(2018.02.04公開)
京都国立近代美術館で現在開催されているゴッホ展(巡りゆく日本の夢)を先日見てきた。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、この著名な画家についての説明は不要であろう。ヨーロッパ出身であるにもかかわらず、おそらく日本でもっとも名前を知られた絵描きの1人だ。江戸時代に活躍した尾形光琳、伊藤若冲、円山応挙、葛飾北斎といった日本美術史上の花形絵師を知らない者であっても、ゴッホの名を耳にしたことがない人間はまずいない。その抜群の知名度、人気は本家本元である欧米にもひけをとらない。
先週、CNNなどの報道が伝えたところによると、トランプ政権はホワイトハウスのリビングに飾るために、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)が所蔵するゴッホ作《雪のある風景》(Landscape with Snow)の貸与を要請したらしい。ところが、その提案はトランプ大統領に批判的な同美術館によって断られる。ちなみにホワイトハウスが美術作品の貸し出しを美術館に要請することは先例のあることらしく、たとえばオバマ政権も同様の依頼をおこなっている。
わたしはこのニュースを聞いて、金儲け一辺倒で美術とは結びつかないトランプ大統領でも、「さすがにゴッホは好きなんだ」と思い、《雪のある風景》を美術館のホームページで探してみた。一般的にゴッホの絵画から想起されるのは激しく力強い筆使いや鮮明な原色によって覆われた派手な画面であるが、これらの特徴は件の作品ではあまり顕著とは言えず、むしろ地味で落ち着いた印象を受ける。あのトランプ大統領が好みそうな絵画のイメージとはまったく乖離しており驚いた。
彼を成金趣味の持ち主であると考えていたのは、わたしの誤解であって、本当は繊細で微妙な精神世界を尊重する人物であったのかと思いつつも、さらにいろいろな記事を読んでみると事実が見えてきた。この作品を選んだのは、ワシントンポストによると、ホワイトハウスのインテリアを担当するコーディネーターであったとのことだ。「やっぱりね」と得心した。とはいえ、コーディネーターが事前に家主の趣味を尋ねておくことは充分にありうる。したがって今回の絵の選択にはトランプ夫妻の意向が反映されているのかもしれない。
いずれにせよ、「アメリカ第一主義(アメリカ・ ファースト)」を標榜する大統領であれば、オランダで生まれフランスで活動したゴッホよりも、アメリカ生まれの画家、そう抽象表現主義の巨匠ジャクソン・ポロックやポップアートのスターであるアンディ・ウォーホルの作品を選んだ方が良さそうではある。
さて、ここで《雪のある風景》に話を戻そう。先述したように、ゴッホの作品には人気がある。これはその作品の魅力を理解していると考えている人が多いということの裏返しでもあろう。しかし、本当にその魅力は理解されているのだろうか?《ひまわり》(1888年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン)や《糸杉と星の見える道》(1890年、クレラー・ミュラー美術館)のように、描いた画家の情念がドラマチックに表現された(かに見える)作品ではなく、そうした特色が控えめな《雪のある風景》のような作品も充分に味わわれているのだろうか?こうした疑問にわたしは即座に「そうだ」と断言する自信がない。
誰もが聞いたことがあるように、そもそもゴッホの絵は生前ほとんど売れなかった。何の予備知識もなく、一目みて魅入られ感動するような作品であれば、たとえ他の職業画家と比べてキャリアが短く不十分であったとしても、この画家の評価はもう少し早い時期から上昇し始めていても良さそうである。しかし、現実は異なる。おそらく、ゴッホの絵画とは、われわれが考えている以上に複雑で奥深く、ゆえにわかりやすくないというのが真実だろう。
にもかかわらず、ゴッホの作品を見て強烈な「感動」を覚えるのは、名誉や金といった現世的な利得を無視し、ひたすら絵画に一生を捧げて死んだという誰もが共感しうる人生物語とあわせて鑑賞されているからではなかろうか。われわれは、不遇な環境のなか絵画と信仰にひたすら専念した人生とまるで感情をぶちまけたような激しいタッチで埋め尽くされた作品を直接関係づけ、その意味を読み取ったと錯覚しているに過ぎないとも思える。
しかし、ゴッホを神格化し、美術の殉教者として祭り上げてきた責任の一端は美術史家にもある。その絵画を解説する際に、彼の天才性やボヘミア的な生活を多かれ少なかれ論述のスパイスとして用いてきたのだから。こうした傾向については、フランスの研究者ナタリー・エニック(1955〜)が1991年に『ゴッホはなぜゴッホになったか』(三浦篤訳、藤原書店、2005年)で詳しく論述している。そのため、同書の上梓以来、この問題はすでに美術史においては自覚され改められている。
エニックは、オランダ出身の1人の売れない画家が、いかにして「天才ゴッホ」となったのか、その軌跡と背景を鮮やかに描写した。同様の試みは、京都国立近代美術館のゴッホ展(巡りゆく日本の夢)でも確認できる。同展では、ゴッホが日本の浮世絵などから受けた影響と並んで、大正から昭和にかけてゴッホを日本人がどのように受容してきたのかについても紹介されている。フランスに留学した前田寛治の《ゴッホの墓》(1923年、個人蔵)や佐伯祐三の《オーヴェールの教会》(1924年、鳥取県立博物館)、さらには著名な歌人である斎藤茂吉が渡欧中の1924年にゴッホの《ひまわり》などをメモした手帳が解説とともに展示されているからだ。
この展覧会は、伝説化した画家の人生や人となりといったヴェールを剥ぎ取り、今までとは違った角度から作品を鑑賞する機会を与えてくれるかもしれない。また、ゴッホの《種まく人》(1888年、ファン・ゴッホ美術館)や《寝室》(1888年、ファン・ゴッホ美術館)といった名作も出展されており充実した内容だ。みなさんに鑑賞を奨めたい。
ゴッホ作《雪のある風景》(Landscape with Snow)
グッゲンハイム美術館所蔵
https://www.guggenheim.org/artwork/1486
ゴッホ展—巡りゆく日本の夢
京都国立近代美術館
会期:2018年1月20日(土)~ 3月4日(日)
開館時間および休館日については以下のURLでご確認ください
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2017/423.html
画像:京都国立近代美術館前(筆者撮影)