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#237

アンガーマネージメント
― 早川克美

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(2017.10.15公開)

「怒り」という感情は、ネガティブに捉えられがちである。了見が狭いことで自己嫌悪に陥ったり、みっともないと感じることもあるだろう。「怒り」はエネルギーを消費するので想像以上に疲労もする。しかし、「怒り」の感情を抱くことはデメリットばかりではない、と私は思っている。今日は、「怒り」をモチベーションに変えるアンガーマネージメントについて、自分自身の経験をもとに話をしたいと思う。

50歳を過ぎて、人並みに丸くなった自分には最近は「怒り」の感情がめったに現れなくなった。それは何故なのかを考えてみたい。「怒り」は多くの場合、他者との違いから発生する。自分とは違う、許容できないことが起きた時、「あの人はどうしてあんなことをするのだろう」という自分との違いを発見した時、「怒り」の感情が生まれるのだ。その違いは、自分の持っている願望・希望・欲求との違いと言い換えることができるだろう。確かに、若い頃は、自分の価値観と違う人に対し、それを認めることができずに「怒り」を覚えたものだった。歳をとって丸くなる、ということは、その価値観の違いを許容できる範囲が広がったということなのだろう。また、違う価値観にふれた時に、「この人はどうしてこんなことをするのだろう(言うのだろう)」と一呼吸入れて理由を考えるようにもなった。行動や言動には必ず理由があり、それは表面的には表れていないこともある。話に寄り添って聞いていくと、その理由が見えてくることがある。理由がわかることは許容の範囲を広げることにつながる。「ちがうけれどそういうこともあるのか」と納得することができる。「みんな違ってていい」という思考を持てたことで、「怒り」のスイッチを入れることが極端に減ったのは精神衛生上大変好ましいものだ。

一方で、未だに私を「怒り」に誘うことが2つほどある。こればかりは、どうにも曲げられない。一つは、「理不尽」なこと。道理に合わないことは「怒り」を生む。もう一つは、「自分に対して」。私には、いつの時代にも「なりたい自分」という存在が漠然とあり、それは日々変化・進化しているのだが、その「なりたい自分」とかけ離れている自分に直面した時、情けない自分に強い「怒り」を抱く。いずれもたいへん強い「怒り」なので、感じた時は、動悸が激しくなり、血が逆流するような体感となる。とても苦しい。

しかし、この2つの「怒り」は、私のエネルギー源にもモチベーションの向上にもなりうる。まず「理不尽」なことに直面した時は、もし直面しなかったら(事なかれ主義に甘んじる)(何となく気になっていたけれど見過ごしてしまう)ことへの諫言となり、俄然、そのことを改善・解消するためのモチベーションが一気に高まる。飛んで火に入る夏の虫になることは必定だが、それはご褒美みたいなものだ。くぐり抜けた時に見える景色は、そのまま見過ごしていたら決して見えない達成感に包まれるからだ。もう一つの「自分に対して」の「怒り」も、大変苦しい感情だが、アドレナリンを発生させ、「なりたい自分」へと成長させるためのエネルギーとなる。「なりたい自分」と「今の自分」との距離を測り、足りない点・問題点を探ることで光を見出すことができるからだ。

「怒り」は苦しい感情ではあるが、それをコントロールすることで、他者との違いを許容できる視野の広がりを生み出すし、モチベーションやエネルギーの源ともなる必要な感情でもある。アンガーマネージメントとは、「上手に怒るようになること」。「怒り」を抑えるのではなく、上手に「怒り」、感情をうまくコントロールできるようになることをおすすめしたい。