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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#221

答え合わせ
― 川合健太

答え合わせ

(2017.06.25公開)

京都の建築家田所克庸さんに誘われて、西洋館を見に福井県南越前町に行ってきた。日本海に面した河野という集落に目的の建物はあって、そこは今、北前船主の館・右近家として一般公開されている。江戸中期から明治30年代にかけて、大阪と蝦夷地(北海道)を結び、日本海廻りで物資を運送していた廻船、北前船の船主として活躍していた右近家の11代目右近権左衛門の邸宅である。日本海に突き出す急斜面の山裾のわずかな平地に、切妻屋根の大きな民家を連結した母屋、そして、山の斜面の途中には、民家とは対照的になぜかスイスのシャレー(木造民家)風の西洋館が建てられている。麓にある母屋から入館し、玄関を入ると土間、そして広間、大きな囲炉裏があって、上を見上げると、船のぼりと呼ばれる、港に近づくと北前船の後部に立てられたという大きなのぼりが何本も収まる巨大な吹き抜けになっていて、上部の煙出しから入った光がぼんやりと空間を包み込んでいる。そうした母屋の佇まいに心奪われそうになったとき、受付の女性に「もうすぐ団体さんが来るから西洋館から見たほうが良いですよ」と薦められて、もともとの目的は斜面にある謎の西洋館だった僕らは「はい、そうします」と我に返って、いそいそと母屋を通り抜け、中庭を通過し、裏山の斜面を登りはじめた。

西洋館に至る経路にも見どころはたくさんあって、母屋の空間を見て建築鑑賞のスイッチが入ってしまった僕らは、山の斜面をおさえている土留め擁壁のモコモコとしたモルタルのコテの仕上げや積み上げられた石材(後で地元の方からこの石は笏谷(しゃくだに)石という福井県産の石であることを教わる)の加工の妙にいちいち感じ入る。そして、西洋館に到着した。急な山の斜面にありながらも、コンクリートでしっかりとした基台が作られていて、その上は石とタイルで覆われたテラスが広がっていた。参考文献によると、麓から遠目に見えていたスイスのシャレー風は2階部分で、このテラスに面した1階部分はクリーム色のスタッコ(西洋漆喰)が塗られたスパニッシュ様式。こんな風に全く出自の異なる様式の組み合わせは珍しいようだが、なるほど、ここに立つと、1階は建物越しにテラスから見た日本海の眺望を考慮したスパニッシュ風、一方で2階は麓から仰ぎ見たときに濃緑の山を背景にして建物が映えるようにシャレー風に拵えられたのではないかと思う(館内にはそのような遠景を描いた吉田博画伯の絵もかけられていた)。内側から見ても外側から見ても感じ入るような様式の組み合わせが考えられていて、所有者の趣向が見事に昇華された愛らしい建物である。

テラスのまわりでスパニッシュ風の外観の意匠に嬉々としていたら、玄関の扉が開いて、案内係の女性に「もうすぐ団体さんが来るから早く中を見たほうが良いですよ」と薦められて、僕らは「はい、そうします」と我に返って、いそいそと玄関で靴を脱ぎ、上がらせてもらう。内部空間は外から見たときの想像を超えた密度で、もうメロメロになってしまった。靴を脱いでいるのに、玄関に設けられた小窓や床のタイル、金属製の透かし扉やドアノブなど細部に至るまですっかり虜になってしまい、なかなか先に進めない。案内係の女性に背中を押されるようにして居間兼食堂に入ると、天井には1mくらいの間隔で飾り梁が配されていて、その梁の間はすべてボールト状に仕上げられ、わずかな陰影を蓄えた天井になっている。そして、その奥には、少しだけ天井を低くして、絶妙なプロポーションのイングルヌックと談笑コーナーが設けられていて、ストーブの周りにくつろぎのスペースがつくり出されていた。どこも美しく風景が切り取られるようにと設えられた窓の配置やその形状、作りも見事で、見どころは絶えない。圧巻は2階へと続く階段室で、踊り場にある縦長のステンドグラスの頂部には右近家の店印である「一膳箸」の旗を掲げた帆船が浮かび、印象的な光が注ぎ込む。踊り場から眼を転じると、2本のねじり柱で支えられたイスラム風のアーチ越しに2階の和室(不思議なことにシャレー風の中は和室の空間)の扉が見えるようになっていて、めくるめくシーンのつながりに僕らは完全に参ってしまった。一体この建物はどんな経緯で建設されたのか、そんな疑問に西洋館の案内係の女性が答えてくれて、この西洋館は、昭和大恐慌の後、貧しくなってしまった地元の人たちの仕事をつくるためにと11代目右近権左衛門の発案のもと昭和10年に建設され、工事に携わったのはそうした地元の人たちと大林組ということを教えていただく。

さて、極上の空間に心が満たされて外に出ると、ちょうど団体さんが到着した。でも、団体さんというほど人が来なくて、なぜだろうと思ったら、皆さん息を切らして斜面を登ってくる。実はその団体さん、ほとんどの人が麓の母屋で待っていたのだ。

【補記】
建物の設計者について、参考文献には「設計者:不詳」とあったため、僕らは、これはきっと当時活躍していた建築家が設計に関わっていたに違いないと推測し、どこかで接点がありそうな木子七郎や小川安一郎ではないかとドラマチックに考えを巡らせてみたのだが、大林組の社史課へ問い合わせたところ、『福井県の近代化遺産』(福井県教育委員会 1999年)というレポートに「・・・施工は大林組で、近年大林組のサインのある設計図が十数枚発見されて設計者が判明した。・・・」と記述があることを教えていだだく。
ということで、この建物は「設計・施工:大林組」と相成ります。
ちなみに、当時の大林組住宅部が昭和2年に刊行している『住宅と家具』という書籍を国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧することが可能です。大変情熱に溢れた文章で綴られていて、挿絵なども凝った作りになっています。興味のある方は是非そちらもご覧ください。
国立国会図書館デジタルコレクションサイト
http://dl.ndl.go.jp/

【参考文献】
『家の記憶』第一巻(藤森照信、増田彰久著/三井不動産株式会社刊/2001年)

【施設ガイド】
名称:北前船主の館・右近家(旧右近権左衛門邸)
住所:福井県南条郡南越前町河野2-15
開館時間:9時〜16時
休館日:水曜定休、年末年始(12/29〜1/3)
入館料:大人500円(高校生以上)、子供250円(小・中学生)