(2016.02.07公開)
東京に本社がある大企業の面接を受けた知人が、いつもどおりの京都ことばで話し出したところ、「店頭では標準語で話さないとお客様に失礼になる」と注意を受けたという。
その話に仰天するとともに、なんだか腹が立った。
ついに京都中華思想に迎合するようになったかと勘違いしないでほしい。違和感をもったのは、「標準」的でないと「失礼」だというその感覚である。人の話すことばにはその人の生きてきた時間のすべてが詰まっており、それに敬意をもたないなら、その人自身を否定することになってしまうと思うからだ。
だが、とかく人は言語に優劣をつけたがる。関西弁か東京弁かなんて、酒の席のネタとしてなら他愛ないものだが、歴史的には自分の母語を使うことを禁止され、外国語を強いられてきた人々もいれば、二重、三重の言語状況を生きている人々もいる。
個人とそのことばはどんな関係にあるのか? 訛っているのはいけないことか? 母語と国とはイコールで結びつくのか?
重くもなりがちな言語をめぐるテーマを、明るくさわやかな気持ちで受けとめられるような夕べがあった。作家・温又柔(おんゆうじゅう)さんのエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』刊行を記念して開かれたイベント、「カタコトの夜」のことである。
本のタイトルどおり、台湾人の両親をもつ温さんは台北で生まれたが、父親の仕事の関係で幼児期に日本に移住し、東京で育った。周りの日本人の子どもと同じように、日本の学校教育を受け、一番得意な言語として日本語を身につけた。後に日本語で小説を書くようになり、すばる文学賞佳作を受賞している。
ひと言でいえば「日本語ペラペラの台湾人」。でもじっさい彼女は、そんな安易な表現では済まされない複雑な言語状況を生きている。そしてその状況や周りとの関係にじっくり向き合い、それらをていねいに解きほぐしていったのがこのエッセイ集だ。
いかに自分のことばが育まれたかを考え続ける温さんの文章には、台湾にいる親戚を含めた家族の話題が欠かせない。大人になって日本に来た両親は日本語が自由には使えない。三歳まで台北で暮らした温さんは、幼児として自分がしゃべっていた台湾語を記憶としてもちながら自在には操れず、後に中国語を「外国語」として学ぶ。親が日本語を話さない家庭で、幼稚園や小学校にいる時間を除き、彼女の日本語をおもに培ったのは、「ドラえもん」などアニメ番組だそうだ。
そんな家庭には、日本語、中国語、台湾語が入り混じった不思議な会話が飛び交う。
――あらら、ほっぺ、ユウミィミィ。カナ・小籠包 好可愛!!
母親のこうした表現を思春期の温さんは受け容れられず、「どうしてママは、ふつうのお母さんみたいに、ちゃんと日本語を喋らないんだろう?」と苛立った。ましてや、こうした表現をそのまま文章にすることなどありえず、「あらら、ほっぺがぷるぷるよ。小籠包みたいでとっても可愛いわね」とすべて日本語に翻訳してからでなければ書いてはいけないと思い込んでいたという。
一家が台湾の親族と交流するとき、言語間の関係のまた別の局面が現れる。互いに離れた土地で暮らしてきたにもかかわらず、温さんとその祖母は同じ日本語を使い、流暢な会話ができるのだ。「夕焼け小焼け」を優しく歌ってくれるおばあさん。その背景には、日本による台湾の植民地支配というきびしい歴史的事実が控えている。
日本式にいえば大正生まれだという温さんのおばあさんは、日本語を「国語」として学ばされた世代だ。一方、第二次世界大戦終結後、中華民国が台北に臨時政府を置いて以降に教育を受けた両親の世代は、日常のことばだった台湾語ともまた距離のある、中国語を「国語」として身につけている。
祖母、母、娘三世代がそれぞれ操ることばを通して、台湾がほぼ一世紀にわたりたどってきた歴史が見えてくる。そして温さんやおばあさんにとっての日本語、お母さんにとっての中国語を考えるとき、その人をかたちづくる言語はもっているパスポートや国家などと必ずしも結びつかないということがわかるのである。
本の表紙には、台北の古地図の上を歩くやどかりの写真。そこには、「我住在日語/わたしは日本語に住んでいます」という作家の意志に溢れたことばが鳴り響いている。日本語という「やど」と台湾人の本体、アイデンティティはその一緒くたの状態にこそあるようだ。
イベントでは、「カタコト家族」と題する書き下ろしの文章が楽しくリズミカルに朗読された。エッセイ同様、そこには日本語だけでなく、家族間で交わされる中国語(や台湾語?)の単語もぽんぽんと入ってくる。「カタコト」といえば未熟なイメージをもたれがちだが、かつて母の風変わりな日本語を恥じた温さんは、今、複数言語がぶつかり合うその状態に可能性を見出している。
温さんと彼女の言語の関係は、確かに特殊なケースかもしれない。しかし住んでいるのが外国でも大都市でも地方の町でも、「訛り」は誰もがもつものではないか。「私は私の訛りをもって、私の遍歴を証言し、世界の響きに合流する」とはトークの聞き手を務めた詩人・管啓次郎氏のことばだが、なるほど個人がさまざまな場所や他人と関係を結びながらある時間を生きてきたなら、彼/彼女の歴史そのものとしてそれは姿を現すだろう。
だからどれほど標準化の力が働いても、人が生きている数だけ訛りはある。それゆえに世界は面白いのだ。