(2015.11.22公開)
大阪に住んで三年半になる。食い倒れの町とあって、お好み焼き屋にうどん屋と店通いのローテーションに忙しい。お洒落なカフェより地元のソウルフードに喜びを感じるのは年齢のせいだろうか。ともあれ、町そのものに根づいた食は日常の疲れをほっと癒してくれるのは確かだ。他人の故郷は自分の故郷。移動の多い生活でいつしか身についた心持ちである。
そんな「お気に入りローテ」のなかに、少し前からちょっと毛色の違う店が加わった。イタリアはマルケ州の郷土料理を出すオステリア。カウンターと小さなテーブル一席だけで十人も入れば満席になる店内を、小柄な女性がたったひとりで切り盛りしている。次々入る注文を同時にいくつもこなしながら、合い間にワインを選び皿を洗う仕事ぶりには無駄がなく、見るからに爽快だ。
さてメニューのほうは、口中で果汁と肉の旨味が混じり合う肉詰めオリーブのフリット、ぷちぷちする食感のスペルト小麦のサラダ、とうもろこし粉の甘味が優しいポレンタのラグーがけなどなど。派手な料理はひとつもないが、ひと皿ひと皿が鮮明に記憶に残る味である。「あの店、何となく美味しかった。あれ? でも何食べたんだっけ?」ということが(私の場合)ひんぱんにある近頃の外食(特に新しい店)では稀有ともいえる。
イタリアは二十年以上訪れておらず、マルケ州にいたっては恥ずかしながら場所も知らなかった。中部のアドリア海側にあり、州都はアンコーナ。出身者で有名なのは、ルネサンス期の画家ラファエッロや作曲家のロッシーニ。フィレンツェやローマのような名所に溢れた華やかさはないが、海も山も有した自然豊かな土地だそうで、料理同様「素朴」という形容がぴったりだ。
店主はこの土地に暮らし、セッラ・ディ・コンティという小さな町のレストランで修業を積んできたという。そして数年前、現地の食材やワインを調達し、学び覚えたマルケの料理を大阪の町の一角でふるまい始めた。
出されるワインは赤も白もすべてマルケ産だけというところも個性的だし美味しいのだが、記憶力が悪いためワインの名前は憶えない主義なので(憶えると、他の必要な記憶が消えるから)、銘柄については割愛する。だがこんな私にさえ店の名が刻み込まれているのは、それが意味するところの豆がスパゲティにミネストローネにと何度も登場するからだろう。
チチェルキア(Lathyrus sativus)は痩せた土地でもよく育つマメ科の植物で、その姿はスイートピーによく似ている。砂利粒みたいな小さな豆は高たんぱくでミネラルを多く含み、過去には世界各地で多くの飢饉を救ってきた。数千年の昔からヨーロッパで栽培されてきた古代種のスペルト小麦も同様、この店では豆や穀物といった素朴な土地の食材が、その風味を引き立てる調理法で個性を放ち、主役を演じていることが面白い。
貧しさゆえふつうの小麦が食べられず、また保存にも向いているという理由から、古来これらの食材が常食されてきたマルケだが、じつはある時期まで消費量は減る傾向にあった。ふたたび見直され始めたきっかけには、近年のスロー・フードの動きがある。
土地で採れた食材をていねいに調理し食すというスロー・フードの考え方は、マクドナルドなど手軽に食べられるファスト・フードの覇権に対抗してイタリアで提唱され、今や世界に広がっている。セッラ・ディ・コンティの町も、チチェルキアやマルケの冬のおやつ・無花果のサラミ(不思議な味と食感の保存食)に光を当て、特産品として広めているそうだ。
一方ここではあたりまえに昔ながらの料理を作り、都会主導のスロー・フード運動などどこ吹く風といった人々が今なお多いという。もちろんそれが自然な姿なのだが、グローバリズムが暴力的に激化するなか、ささやかに残された舌のみならず心身の幸福は、意識的に工夫を凝らし護っていくほかはないだろう。
地産地消の考えに共鳴し、現地の料理人から手ほどきを受けた店主は、郷里の大阪でほぼその味を再現するにいたった。確かにここには、レストランではあるけれど当地の家庭料理の延長のようなスロー・フードの精神が息づいている。聞けばおつまみのオリーブは大阪の実家の庭で収穫されたものだそうだし、料理を供する陶器の皿まで、店主みずから焼いているのだという。
店主の料理を味わっていると、じっさいには見たこともないマルケの丘や森林が目の前に立ち上ってくる。土地の記憶がすみずみに行き渡った味がそうさせるのだろう。作家マルセル・プルーストは、「パルマ」や「フィニステール」といった地名の響きのみから、訪れたことのないそれらの土地をことばにより創り上げた。ときに料理もまた、人の味覚を想像力に転換し、そこにはない風景を生み出すことができるようだ。