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#213

シャセリオー展を見て
― 加藤志織

シャセリオー展を見て

(2017.04.30公開)

2月の末から東京の上野にある国立西洋美術館でテオドール・シャセリオー(1819 – 56)の日本で初となる回顧展が開かれている。カリブ海に浮かぶアンティル諸島でフランス人を父として生まれたこの画家は幼少期に父親の母国へと渡り、その後、芸術の都パリで画家の道を歩むことになった。
その才能は、10代の初めに新古典主義の巨匠であるジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780 – 1867)のアトリエの一員になることによって花開き、わずか17歳でサロンにおいて入選を果たすと、20歳になる頃には画家としての評価を早々に確立する。
彼の画業はこのように順風満帆なすべりだしであった。しかし、偉大な芸術家にしばしばみられるように、その天才は将来を嘱望されつつも残念ながら病によって夭折する。ルネサンス期に活躍した画聖ラファエッロと同じく37歳の早すぎる死であった。
ラファエッロが死後も長く名声と影響力を保ち、一般にも幅広く知られているのに対し、シャセリオーの名を聞いたことのある人はごくわずかであろう。事実、フランスですら彼の大規模な回顧展が開かれたのはこれまでにたった2回である。
その理由は、早世にくわえて代表作ともいえる会計検査院の壁画装飾用に制作された戦争と平和を主題にした寓意画が、不幸にも1871年に起こったパリ・コミューンのさいに放たれた炎によって建物とともに焼けてほぼ失われてしまったことにある。
絵画史におけるシャセリオーの位置づけは、まず新古典主義の描写技法や画面構図などを師であるアングルから学び、つぎにアングルのライバルであったウジェーヌ・ドラクロワ(1798 – 1863)が押し進めていたロマン主義の主題を取り入れて、両者の融合を試みたことであろう。さらに、この2人が共通して関心を示したオリエント世界に対しても興味をもち、それを題材としたエキゾチックな風物や官能性を帯びた女性像を描いてもいる。
今回の展覧会では、オリエントを主題にした彼の作品が複数出品されているほか、アングルに比肩する出来映えの肖像画や裸婦像を見ることもできる。《カバリュス嬢の肖像》(1848、カンペール美術館)やアメリカ合衆国の民主主義を論じた19世紀フランスの政治家・思想家であるアレクシ・ド・トクヴィルの肖像画(1850、ヴェルサイユ宮美術館)、そして若干16歳のときに描いた自画像(1835、ルーヴル美術館)などである。
また、新古典主義とロマン主義との合一を目指したシャセリオーの試みが、少し年下のピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824 – 1898)やギュスターブ・モロー(1826 – 1898)といった象徴主義の画家に、神秘的かつ官能的な画風を伝えたことも忘れてはならない。本展では、アングル、ドラクロワ、シャヴァンヌ、モローの作品も展示されている。したがって、それらとシャセリオーとの様式的な影響関係について観察することが可能だ。
これらの作品をつぎに日本で鑑賞できる機会はかなり先になるだろう。フランス近代絵画に興味のない方にも、この機会に是が非でも国立西洋美術館を訪れていただきたい。残りの会期は約1ヶ月間。

「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才」は国立西洋美術館で5月28日(日)まで。