(2015.03.15公開)
2011年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震が発生した。この地震や津波、それに伴う福島第一原子力発電所事故が起きた大震災である。後に東日本大震災と名付けられた、この震災は4年を経た今でも東北を中心とする多くの地域に傷跡を残し、復興も道半ばである。
日本は地震大国である。古代・中世に限っても約3000にも及ぶ地震の史料が残されており、このデータベース(〔古代・中世〕地震・噴火史料データベース(β版)http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/erice/)で一覧することが出来る。
今回の東日本大震災は1142年前の貞観11年(869)に起きた貞観地震に比されることも多い。しかし、これだけに限らず、慶長16年(1611)、近代では明治29年(1896)や昭和8年(1933)などに起きた三陸地震がある。この地域は、度々大規模な地震が発生し、地震と共に津波被害を受けている。
明治から昭和を生きた物理学者・エッセイストである寺田寅彦の有名な警句「天災は忘れた頃に来る」が示すように、地震の脅威は常に忘れてはならないのだ。
震災の教訓を生かすものとして先に掲げたデータベースのような史料があるが、京都などの都市で記されたものが多く、伝聞であったり震源地や規模を網羅するのは難しいものがある。
そして近世になると地震誌というべき書物が作られるようになる。例えば寛文2年(1662)5月に起きた若狭沖地震である。被害の実状など状況を克明に記録した浅井了意の『かなめいし』が編まれた。江戸時代の出版は、仮名草子が木版印刷ながら都市部を中心に多く刷られ、商人や名主など庶民も含む幅広い読者層を獲得していた。まさに江戸時代の新しいメディアといえよう。『かなめいし』は仮名草子の特徴である仮名文字+絵本として制作され、五条大橋の崩落や清水寺の石塔の倒壊など、京都の観光名所の被害や人々の様子を丁寧に記している。こうした地震誌は物語として、哀話・忠義者などのエピソードが含められるものの、地震への教訓を示すものとして、また被害状況を知るための情報源として庶民に読まれ、全国の災害の記録に関する地震誌が編まれている。地震・津波といった天災は、どの地域でも襲ってくる可能性がある。防災啓蒙のため、地震誌は機能していたといえよう。
過去の災害を今に伝えるものとして、文字資料の他にも欠かせないものがある。口碑伝承や地域に残された地名や神社である。これらは、地域に遺された大切な防災文化遺産といえよう。口碑伝承とは、口から口へと伝えられたことで言い伝えを指す。
例えば宮城県仙台市若林区に「浪分神社」という神社がある。本来は稲荷神社として鎮座していたが、慶長地震の際に社前で波が分かれて引いた伝承が残されており、浪分神社と呼ばれるようになったという。また、福島県相馬市には「御船地蔵」とよばれるお地蔵様の伝承があった。大地震の時に、お地蔵様が船を操って山頂へ移ったので、それを祀ったものという。これらは過去の災害時に、被害を免れた地点や警句を示すものである。こうした津波に関する口碑伝承は岩手・宮城・福島に数多く遺されており、また警句を刻んだ災害記念碑も多く建てられている。
これらは災害の記憶を継承するためにも機能している。今回の震災によって、口碑伝承は地域に遺された防災文化遺産として再評価され、調査・研究が進められている。成果が期待されよう。
今回の震災に対してもそうだが、大切なことは復興に与力すること。そして震災の被害を受けた地域があり、そこに暮らす人々がいることを「心に留めおく」・「忘れずに記憶しておく」ことだ。2年前、陸前高田市の八木澤商店さんを訪れた際、河野会長よりお話を聞く機会を得た。震災復興の道のりは長く険しい。復興のためには短期ではなく長期的に東北へ関わりを絶やさないで欲しいと仰られたことがとても印象的だった。
復興が進むように願いつつ、災害に対して備えを怠らない。地域に遺された文化遺産は、そうした思いを今に伝えている。