(2015.02.15公開)
大恩ある榮久庵憲司氏が2月8日に亡くなられた.
彼のもとで働いた11年間は今日の私の礎となっている.
デザインとは,社会を変える運動であることを教えてくださった.
いただいた様々な言葉が思い出される.
大学に入学して始めての授業「プロダクトデザイン概論」で,キッコーマンの卓上醤油瓶を知った.榮久庵憲司氏が率いるGKインダストリアルデザイン研究所の仕事だという.戦後の何もかも失った焼け跡を目の前にして,榮久庵氏は,「消えゆくものたちを見つめながら,ものをつくる世界にかかわれば,国のためにも自分のためにもいいと決意した」という.そして,日本で初めてのインダストリアルデザイン事務所を設立,デザイン界のパイオニアとなった.その話を聞いた私は,榮久庵氏に憧れ,GKインダストリアルデザイン研究所に憧れ,そこへの就職を心に決めたのだった.
幸いにも,無事に入所を果たしてからは,直接お話しいただける厳しくも優しい言葉が私を導いてくれた.それは何もわかっていない自分の道を照らす星だった.
「ものづくりで心がけることは,世の中の役に立つ社会的に意味のあるものを生み出そうとする運動だよ」
彼の仕事は初代の秋田新幹線こまちやJR成田エクスプレス、ヤマハ発動機のオートバイなどのデザインのほか、コスモ石油やミニストップなど企業のロゴマークも数多く手掛け、ビジネスにデザインの概念を定着させた。
後年,彼は「ものとこころ」のかかわりの大切さを説いた。
「人間にこころがあるように、ものにもこころがある。人間世界と同じように道具にも道具世界があります。ものは人のこころを映している。ものの造形につくり手が自らのこころを込めたとき、使う人にもその思いが伝わるはずです。道具というのは、人の道に備わりたるもの。道具をそこに置くことによって、生活にも秩序が生まれ潤いが出てきます」日本経済新聞(2008)
私がデザインの道を歩ませていただき,多くの人にデザインの思想を伝えたいと志すようになったのは,ひとえに氏の教えがあったからだと思っている.
昨年,久方ぶりにお会いでき,近況をご報告することができた.感謝の思いをお伝えできたことが何よりだった.
残された教え子である私たちは,彼の意思を継いで歩みを進めなくてはならない.
ここにあらためて哀悼の意を表するとともにご冥福をお祈りします.