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#198

風景のなかの芸術教養
― 下村泰史

風景の中の芸術教養

(2017.01.15公開)

あけましておめでとうございます。
で書き出すと、いつも「だ」「である」調で書いているこの文章にはなんだか座りが悪いのだが、本年もよろしくお願いいたします。である。
さて、今日は本務校である京都造形芸術大学の芸術教養学科が掲げる「芸術教養」というよくわからないものについて考えてみたい。私は芸術教養学科の五人の教員のうち、最後に合流した一人である。もともとの学科の立ち上げ時にはいなかったので、この学科のコンセプトについては自分なりにいろいろ考え、自分の中に納得を作っていく必要があった。この過程で私が考えたことは、これから芸術教養という領域に入っていこうとする人にも役に立つかもしれないと思うのである。
みなさんにもそれまでがあり、それを踏まえたこれからの中に芸術教養の視点が入り込んでくることになるのだが、私にも当然だがそれまでがあった。私のそれまでは「はみだし造園屋」であった。
もともとデザインに興味があったのに、大学では森林生態学系の自然がつくりだす空間について勉強していた。職にありついてからは、隣接領域の宅地造成土木の現場を走り回った。農村計画のコンペに参加して賞をもらったりもした。その傍らランドスケープの専門家として自然環境保全やアート関係のNPOの活動に関わるなかで、さまざまなセクター(専門家、市民、行政、地元住民、大人、子ども、老人、さまざまな性、さまざまな障害疾病…)をつなぐワークショップ的なアプローチを学び、風景と記憶を題材とした大規模なインスタレーションに手を出したり、さらに震災後移住してきた音楽家たちとの交流の中でコミュニティ・ミュージックに手を出したりと、いつのまにか、ものづくりとしての造園からは随分離れたところに来ていた。
もちろんこれらは、広い意味でのランドスケープ計画に関わるものではあるし、そうした分野の学術雑誌に論文を発表してきたりはしているのだが、「庭園づくり」「公園づくり」「広場のデザイン」といったランドスケープ・デザインの中心部分はきれいにぐるりと回避してきたような感じである。
ランドスケープの周辺のことに関わりながら、私の中にはいつも葛藤があった。ランドスケープ学は、オープンスペースの姿をその思考の対象としている。そこには「人がつくったもの」「人がつくったのではないもの」「どっちともいえないもの」「人がつくったのだけれど、わざとつくったわけではないもの」などが入り乱れているのだが、ふつうに庭園や公園を設計したり作ったりするのは、当たり前だが「ひとがつくったもの」の一部に限られる。それ以外の部分についてどう考えたらいいのか、どういうことばをもって語ればいいのかわからなかったのだ。
森林は森林としての姿とその美しさを持っている。それは人の手が入ることはもちろんある(里山など)けれども、森の空間を満たしていくのは植物たちのいとなみが関係しあって作り出していく姿である。「人がつくったのではない」空間の姿がここにはある。
川もまた自然のいとなみと人の暮らしとのせめぎあいの中で姿をあらわす。里山と同様いわゆる「人と自然の協働作品」のようなものだが、その「人」のほうもややこしい。治水と利水と環境保全という川のさまざまな側面にさまざまな人が関わっている。ここでは作家や作庭家のような単独者による造形はありえず、それは多数の声が響き合う中で造形の意志が生じてくるのだ。
都市や集落の姿はそれぞれその場所固有の美しさを持っている。そこには地域独特のコンポジションの原則がある(建築造形や街路の通し方のその地域なりの作法など)が、同時に、多数の意図された形と多数の意図されない形が、そうした作法の上で全体の姿を生み出している。
「景」を相手にした時には、このように「多数」の意志の問題、「自然」の問題が、どうしても出てくる。ここでは、芸術的・表現的アプローチであれ、機能的・問題解決的アプローチであれ、何か一通りの人為的な意志だけで姿形が作られるのではないのである。作家デザイナーのすばらしい創意とその向こう側に広がる世界とを同時に語らなければならないのが、このランドスケープという分野なのだった。

話は変わるが、京都造形芸術大学の芸術教養学科の専門科目では、「伝統行事」「食文化」「工芸・美術・プロダクト」「景観」「イベント」「空間造形」「情報編集」「コミュニティ運営」といったものについて考えることが求められる。これらの中には、普通に芸術、とかデザイン、とかということばで語られているものからかなり逸脱した印象のものもあるだろう。「工芸・美術・プロダクト」というのは、芸術教養の対象の「一部」でしかないのである。芸術の勉強をするつもりだったのに、こういうレポート課題が与えられて面食らった人も多かったかもしれない。私の理解では、芸術教養は、「作家」という神秘的な(?)存在からスタートせずに、人間が姿を与えた表現物すべてについて、考えていこうとする思考なのである。表現者の秘密に迫るのも大変面白いことだが、そうした方法が取りこぼしてしまうそれ以外のさまざまな表現とその可能性について考えていくことができるのだ。今思えば、私が苦闘してきたランドスケープもまた、そうした領野のできごとなのである。

この十数年日吉ダムに水没した集落の家屋位置を夜間あかりで表現する、というインスタレーションに関わってきた。風景とあかりのデザインは当然として、平安時代に遡る地域の歴史、植生史・河川利用史等の自然環境との関わりについての理解、河川管理者やさまざまな大学を結んでのワークショップを含むコーディネーション、数日間にわたるイベントのスタッフのシフトを含む進行計画、淀川・桂川の上下流市民の相互理解の形成というコンセプトの整理など、さまざまな側面を持つものであった。これらは、ランドスケープの専門家であり市民活動家でもある私が、長年にわたって蓄積してきたさまざまな知見と技術を援用して取り組んだものだ。しかし、今思えばこのプロジェクトには、「空間造形」「イベントのデザイン」「コミュニティ運営」「伝統文化」「景観」と、この芸術教養の着眼点が詰まっていたのだった。もしかしたらここを卒業していたらもっと簡単にできたのでは、というのは冗談だが、芸術教養の視点を持つことで、地域を包括的に理解し、そこになんらかの表現的な手立てをもってアプローチしていくことが可能だということが、反省的に理解されたのであった。

というわけで、私がやってきたことと芸術教養的なものとが、ここにきて結構重なるものだということがわかったのだが、これは私だけではないのだろうと思う。たとえば、神社の境内で商店街活性化のための青空市をやりたい(昨年ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役にたつ」でもそういう場面があった)というような場合にも、神社の歴史、境内の空間構成の読解と計画、商店街のコミュニティ運営、イベントの時間的デザイン…と、芸術教養的に取り組んでいくことが可能なはずだ。おそらく、誰ものこれまでとこれからの間に、この芸術教養のアプローチは挿入することができるはずだ。

さて、もう一度私の仕事に引きつけて考えてみると、意志の「多数」の問題は、かなりの部分、「コミュニティ運営」「情報編集」的に考えることができることに気づいた。一方で、意志されざるものや、「自然」が生み出す姿について考えることばは、今の芸術教養の枠組みの中にはまだないのかもしれない。それについて考えていくのも、これからの仕事なのかもしれないと思う。
風景について考えるとき、どこまでが人間の意志によるものなのか、まずその線をひくところから見えてくるものがあるのかもしれない。