(2014.08.17公開)
京都府の中部、丹波地方に日吉ダムというダムがある。桂川の上流に位置するダムで、市民の間で意識されることはあまりないようだが、京都とも縁の深いダムである。嵐山の風景のまんなかにある大きな川はこの桂川であるし、みなさんよくご存じの鴨川もこの桂川の一支流である(さらにいうと桂川は淀川の支流である)。私はこのダム湖面を使った「天若湖アートプロジェクト」というプログラムに関わっている。京都造形芸術大学の学生のアイディアをきっかけとして2005年に始まったこのイベントは、今年で記念すべき第10回を迎えるはずであった。
はずであったということは、そうならなかったということなのだが、なんと会期の8月9日(土)・10日(日)に合わせたかのように、台風11号がやってきたのである。しかも会場のほぼ真上を抜けていったのだった。アートプロジェクトの本体をなす、ダム湖の湖面を使ったインスタレーションは、当然ながら断念せざるを得なかった。私自身は併催される展覧会の準備や各方面の調整があったので、8日から11日の撤収まで日吉地域にいることが多かったのだが、9日にはかなり早い段階で、豪雨による土砂災害を警戒しての道路の封鎖があって、実行委員会チーム全体がいったん撤収せざるを得ない状況となったし、最接近とさらなる豪雨があった10日には、家を出ることもできなかった。
台風一過の11日、日吉ダム天若湖を訪れて息を呑んだ。いつも青々と山と空を映している湖面が濁りきってコーヒー牛乳のような色になっていたことも、山から流れ込んだ流木がいたるところに浮かんでいたのにもぎょっとはしたが、それらは予想できたことであった。驚いたのは広大なダム湖が一夜にして満水になっていたことだ。
ダム湖は呼吸するように水位を上下する。冬期に貯められた水は、農繁期の春から夏にかけて流され、真夏には水位は13メートルも下がる。この状態は秋の台風に備える姿勢でもあるのだ。だから、水面は夏に低く冬に高い。湖岸の水面が行き来するゾーンには樹木は侵入できず、夏には水面と森との間に、土と雑草しかない帯のような連なりが姿を現す。「天若湖アートプロジェクト」が開催される真夏の湖はいつもそんな姿を見せていた。ところが、11日の水位はそんな帯を越え、森の下部に食い込まんばかりに上昇していた。水面は、高く、広く、近かった。私が知っている夏の天若湖ではなかった。
ダム湖の姿を見た後、日吉ダム管理所に挨拶にうかがった折り、一夜にしてここまで水位が上昇した理由を聞くことができた。10日の台風通過時の桂川流域の降雨は凄まじかったという。日吉ダム天若湖への流入量は、多い時には毎秒900トンに達したという。これは昨年の台風18号には至らぬものの、平成16年(2004)の台風23号を凌ぐものだったという。この流入量を受けて日吉ダムは、通常なら毎秒150トンずつ流下させるところ、毎秒15トンにまでその量を絞り込んでいったという。ほとんど塞いだということである。これによって天若湖の水位は急上昇したわけである。
毎秒900トンというのは、現在の嵐山で一秒間に流すことができる最大の水量とほぼ一致する。今回の豪雨では日吉ダムより上流の降雨にはダムによって待ったが掛かったわけだが、ダムより下流に降った分だけでも嵐山の川沿いの道は浸水した。もしダムがなく、さらに毎秒900トンという水が奔流となって嵐山に到達していたらと思うと、少々恐ろしくもなる。
ダムが建設されることで、河川環境は大きく分断されてしまう。魚の遡上などは不可能になる。桂川でも日吉ダムや世木ダムによって、名産だった鮎はいなくなってしまった。また有機物の堆積により、水質は悪化する。上流からの堆積物によってどんどん埋まっていくので、ダムという構造物は寿命が短いとも言われる。100年もたないことも多いようだ。現に日吉ダムの少し上流にある世木ダムは終戦直後の竣工だが、水面の陸化の進行がここ数年著しい。そしてなによりもいくつもの村を潰してそれは建設される。日吉ダムの建設においても、7つの村がなくなった。そこに暮らしてきた人の生活を大きく変えてしまう。土地を奪うだけでなく、風景をも変貌させてしまう。ふるさとは水面になってしまうのである。こうした様々なネガティブな側面から、これ以上ダムの建設をするべきではない。場合によっては撤去を進めるべきであるという声もある。それはおそらくそうなのだろうと思う。
一方で先に見たように、既に作られたダムが下流の都市を守っているのも、そのダムを懸命に操作している人たちがいるのも事実である。そしてダムだけでは守りきれないのも事実である。
ダムがもたらすものや奪うものを、単純化し、性急に一般化してはいけないのだと思う(よく使われるキャッチフレーズ「ダムはムダ」は最大の単純化の一つだろう)。都市との関係、自然環境、そこでの生活文化、それら流域の個性によってダムの意味合いは変わってくる。また逆に、ダムに注目することで流域の姿が立ち現れてくる。これらを具体的に捉え、考えることは、それぞれの流域の市民に与えられた課題だと思う。彼らの多くはダムから遠く離れた所に住んでいるが、流域環境の諸課題の当事者でもあるからである。
「天若湖アートプロジェクト」はたのしいアートイベントであるが、一方でこのような「流域誌を知覚可能にする」ことを目指すものでもある。今回台風のため実施は見送らざるを得なかったが、狙い澄ましたように台風が到来し、湖の姿を変えていったことは、私たちがやろうと思っていたことと同じくらいに、流域と川とくらしについて考えさせる出来事だったようにも思う。これを奇貨として試みを次に繋げていきたい。