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アネモメトリ -風の手帖-

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#393

西洋における風景画の誕生について
― 加藤志織

加藤 空を描く

昨年、仕事で函館を訪れた際に珍しく観光をした。定番の函館山である。現地に詳しい知人数人から、山頂に向かうためのロープーウェイは夜景目当ての観光客で激しく混み合うので、明るいうちに乗ったほうがよく、また日暮の時間の景観が素晴らしいと教えてもらったので、太陽が十分高い位置にあるうちに目的地に到着し、あとは人影もまばらな展望台周辺を散策して過ごした。季節的には初秋であったが、北の大地でもまだ夏の暑さがつづき、山を颯爽と吹きぬける風を体に感じながら眼下に広がる函館湾を眺めると、午後のいくぶん弱まった光が青みをおびた海面に反射し、ゆっくりとした航跡を残しながらまるで静止しているかのように海上を進む船が点在していた。一瞬時が止まったかのような錯覚をおぼえつつ海の光景から視線を上げると、そこには一転して上空の風によってダイナミックな動きをみせる雲々とそれらを背後から照らし出す日の光に心を奪われる。まるで、19世紀のフランスで活躍した風景画家ウジェーヌ・ブーダン(1824〜1898)が得意とした海辺の景色を描いた海景画のようである。

今日では風景画は絵画の主要なジャンルの一角を構成しているが、このように認知されるようになったのは、明確に時代を特定することはできないが、少なくとも西洋では16世紀以降のことである。古代のギリシアやローマは別にして、キリスト教を信仰するようになってからの西洋では当然ながらキリスト教美術が中心となり、風俗、静物、風景、動物を画題にした造形芸術は基本的に制作されることはなかった。もちろん、これは風景がまったく描かれなかったということではない。聖書に登場するエピソードを絵画化するときには、その物語の背景として景色が描き込まれることはあった。だが、それらはあくまでも「刺身のつま」のような添え物にすぎなかったのである。しかし、イタリアでおこったルネサンスがヨーロッパに広がると、人々の関心はじょじょに人間自身や現実世界へと向けられるようになり、それにともなって風景そのものがテーマである絵画がやがて登場することになる。

西洋における風景画の誕生の経緯であるが、先に述べたように最初は宗教的な画題の背景から出発する。その際、背景に描かれる景色は現実世界に実在する景観である必要はなく、類型的ないわば記号としての風景であればよかった。そうした背景としての風景がしだいに絵画の構成要素の中心へと変化する。ドナウ川流域で活動したドイツ人画家のアルブレヒト・アルトドルファー(1480頃〜1538)の《竜と戦う聖ゲオルギウス》(1510、アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン)などである。作品名称にキリスト教の聖人である「聖ゲオルギウス」の名が含まれていることからわかるように、この作品には聖ゲオルギウスの悪竜退治の場面が描かれているため、厳密に定義すればそれは宗教画であり風景画とは言えない。しかし、当作品においては、観賞者の興味をひくために本来は画面の中央に大きく表現されるべき聖人と竜が鬱蒼とした森のなかに小さく描かれているにすぎない。これは宗教的なモティーフを言い訳に用いながら景観に焦点を絞って制作された絵画なのだ。風景の描写のみを純粋に楽しむ作品はまだ世の中に受け入れられない状況だった。こうした表現は初期のバロック美術においてもひきつづき制作され、やがてわれわれが知るヤーコブ・ファン・ライスダール(1628頃〜1682)のような写実的風景画が17世紀後半のオランダにおいて生まれるのである。

とは言え、風景画の価値は宗教画に比べて低く位置づけられていた。前者は後者と異なり、複雑な物語、信仰、理念、心理といったものを画面に構成する必要がないからである。この誤った考え方を克服するために尽力したのが、ロマン主義の風景画家であるイギリス人ウィリアム・ターナー(1775〜1851)だ。この画家が絵画ジャンルにおける風景画の地位向上に努め、歴史的風景画や地誌的風景画の名品を遺したことはよく知られている。それにつづいた一人がフランスのブーダンであった。彼はクロード・モネと親交があり、後に印象派の巨匠となるまだ若きモネに大きな影響を与えた。印象派の画家たちは屋外にでかけ、日光の下で刻々と表情を変える実景を直接観察しながら風景や市井の人々の生活を描くのである。