今年の上期は、ほとんど遠出もせずに仕事や制作に没頭する日々が続いていた。しかし、秋が深まるにつれて、ようやく各地に足を運ぶ機会が増えてきた。10月の1ヶ月で京都、香川、兵庫、埼玉を訪れ、11月から年末にかけては広島、滋賀、大阪、神奈川、千葉、長野への出張が待っている。訪問先も多岐にわたっており、幼稚園や美術館、工場、倉庫、企業の研修施設、民営の小さな図書館や、元々銀行だった建物をほとんど手作りでリノベーションした喫茶店など様々な場所に加え、瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島にも足を運んだ。
この旅の目的はどれも、仕事や創作・研究の一環としてのものであった。どの場所でも、普段なかなか得られないやりとりが生まれ、思いがけない発見に満ちた時間が流れた。たとえば、10月初旬に訪れた京都では、秋卒業者の卒業式に参列した。その後の在学生が主催してくれた卒業パーティでは、普段顔を合わせる機会の少ない学生の皆さんと酒を酌み交わし、さまざまな話をすることができた。卒業生の未来への希望や卒業研究に込めた思い、そこから得た新たな視点や発見が語られるたびに、喜びや成長を実感されている様子が伝わってきて、むしろこちらの方が励まされるような、感謝に溢れた時間であった。
また、倉庫の責任者が「どうすればより働きやすい環境を作れるか」という課題に対して日々取り組まれている話も興味深かった。文字どおり、立ち止まることなく現場に目を配りながら、従業員がより意欲的に働ける環境づくりに心血を注ぐその姿勢から、目の前の問題に向き合い続けることの大切さを改めて教わった。そして、幼稚園では、先生が子どもたちと接する中での葛藤に触れることができた。手際よく進めることと、子どもたちが自身のペースで成長できる時間を守ることとの狭間で、先生たちはなんとかバランスをとりながら奮闘している。日々の一つひとつが試行錯誤の連続であり、その姿勢には心を打たれるものがあった。
こうした現場でのやりとりを重ねていくうちに、秋の旅が単なる「出張」ではなく、旅そのものが「対話」であることに気づかされる。私はそこで、表面的な情報ではなく、その人々の想いや苦労、目に見えない工夫に直接触れることができる。言葉や表情の奥にあるその人らしさ、情熱や葛藤を目の当たりにすることができるのは、やはり現地に足を運び、目の前で聞くからこそだと実感する。テキストや資料の情報だけでは感じ取れない部分が、会話やその場の空気から自然と伝わってくるのである。また、相手の言葉に耳を傾けることで、自分が無意識に抱えている偏見や固定観念にも気づかされる。対話の旅は、私にとって私自身の認識を拡張していく機会でもあり、対話を通じて自分の内面にも目を向ける貴重な時間となっている。
たとえ一つひとつのやりとりが小さなものだったとしても、その積み重ねは大きな学びへとつながっていく。この秋に巡り合った数々の場所と人々の思い出が、まるで地図の上に点在する目的地のように私の心に残り、これからの道しるべとなっていくだろう。
次なる行き先で、どのような対話が待っているのだろうか。その期待を胸に抱きつつ、また対話の旅を続けていく。