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アネモメトリ -風の手帖-

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#369

秋卒業
― 野村朋弘

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芸術教養学科は本学通信教育課程の中で唯一、秋入学と秋卒業が存在する。
はじめての秋卒業は2015年の10月。卒業生は8名だったが、2022年の秋には83名となり、着実に増えてきている。2023年は97名という。大台はもうすぐである。
年中行事のように、毎年10月10日前後の月曜は京都の本校で卒業式に出席し、卒業生の皆さんにお祝いを申し上げていたが、4月から芸術学科へ異動となった。
そこで本コラムを使って言祝ぎをしたい。

以前、このアネモメトリで「卒業式」と題してコラムを書いたことがある。少し長くなってしまうが引用してみよう。

試験と卒業式を同日で行うのは大変ということで、別々の日となり、卒業式は盛大化していきます。明治前期の学校の卒業式とは、地域の人々を集める行事となりました。
地域の人々が集まるということで、イベント性は更に強くなります。余興や興行も行なわれるようになります。例えば、明治24年(1891)の4月13日に行なわれた東京の尋常中学校の卒業式では、午前が卒業式、午後が運動会が行われました。差配する教員の大変さは想像するに余りあるものです。
また、別の地域では、幻灯会が開かれるなど、多種多様に行なわれていました。

学校側として卒業式と運動会が同日に実施されるというのは、想像するだに恐ろしいが、いろんな齟齬があったとしても許容されるおおらかな時代だったのかもしれない。知らんけど。

そして現代では卒業式といえば3月と想起されがちだが、上記の時期は4月に実施されており、まだ時期はバラバラだった。それが明治時代の教育制度改革によって統一されていく。
ただこうした3月卒業、4月入学はなにも世界共通な訳ではない。海外でいえば、大学の入学は9月が一般的だろう。そうした世界的には一般的な卒業時期に相当するのが秋卒業である。
日本国内が4月から3月までのスケジュールで年間計画を組んでいることが多いなか、いわば年度途中になる9月の卒業を目指すのは、春卒業とは違った大変さがあることだろう。もちろん、大学での学びの集大成となる卒業研究は春だろうと秋だろうと大変なことにかわりはない。ただ春とは違った困難さをものともせず、卒業される方々に対して敬意をもって言祝ぎしたい。

通信教育課程、特に芸術教養学科での学びは遠隔学修が主である。動画教材もあるが、何よりテキストをじっくりと読むことが求められる。そこには知識の海が広がっているが、暗記する必要はない。「考える」という、自身のキャパシティを広げることこそが大学の学びである。
本学テキスト『芸術理論 古典文献アンソロジー(東洋篇)』に中国の思想家、莊子の言葉がある。莊子は老子とともに道教の祖の一人とされている。彼の書いたものに『莊子』があり、一節に次のような言葉がある。「然則君之所読者、古人之糟魄已夫」(天道編)。読み下すと「しからば則ち、君の読むところのものは、古人の糟魄のみなるかな」となる。意味でいえば「あなたの読んでる書物は、昔の偉人ののこりかすに過ぎない」というものだ。
教材テキストをはじめ参考文献など、万巻の書物は人類の英知を今に伝えるものだが、あくまで過去のものである。それを活かすかどうかは、いまを生きる我々次第である。大学で学ばれたことをどう活かすかどうか。卒業した皆さん次第である。
ぜひ卒業したあとも考えること、知ることを愉しんで欲しい。

改めて、ご卒業誠におめでとうございます。