このコラムを執筆しているのは2022年度末。公開されるのはちょうど2023年度のはじめという。
コロナ禍はようやく終熄に向かい、3月に実施された卒業式・修了式の実施形態も禍以前に戻りつつある。また3月は卒業判定や入試など会議が立て込んでおり、度々京都に出張したが、修学旅行や卒業旅行、またインバウンドの観光客の多さに驚いた。
マスクを着用する人は多いものの任意となり、コロナ禍で用いられた、アクリル板や次亜塩素酸水の噴霧器も、いたるところで撤去されている。2023年度はさしずめコロナ禍より前の生活に戻るリハビリ期間なのだろう。
さて、新しい年度を迎えるにあたり、私にとって土砂崩れのような変化があった。また年男ということもあり出張のおり真如堂さんに参り本堂で茶碗を求めてきた。それが画像の茶碗である。
これは毎年11月5日から15日まで行われる「お十夜」で、御本尊に備えた小豆飯のお下がりを粥として食するためのものである。本来は、中風分けやタレコ止めのまじないという。
茶碗には干支が記されており、何年に購ったものかが分かる。
干支というのはよくできているもの。十干十二支で六十通りあり、それが一巡すると還暦となる。古文書でも年次がないものでも干支が書いてあり推定できるというものもある。
今年は十二支のうち、兎年にあたり、干支でいえば「癸卯」である。60年で一巡なので、人が生涯で同じ干支の年を経験するのは20くらいだろうか。そのため何かのタイミングで購ったか記録になる。
中西紹一は『時間のデザイン』(藝術学舎出版、2014年)の中で、「私たちは本来連続的なものとして存在する時間の中から一定期間や時間帯を切り取り、そこに多様な意味や価値を付与して」いると指摘している。
太陽暦の1月からの1年をはじめ、4月はじまり3月でおわる「年度」、そして60年で一巡する干支も、いわば時間のデザインの一つである。
日本国内においても、人生儀礼や年中行事、農業暦など、歴史的に積み重ねられてきたさまざまな「時間のデザイン」が重層的に存在している。もちろん、ひとりひとりにとってもだ。おりしもコロナ禍という100年に1度のパンデミックを経験した我々にとって、抑制せざるを得ない人生儀礼や、年中行事がさまざまあっただろう。とはいえ入学式・入社式と新しい門出に際して、2023年度はパンデミックから元に戻っていく、新しい「時間のデザイン」が生まれることだろう。
一介の歴史屋としては、興味深く観察し、体験していきたい。