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アネモメトリ -風の手帖-

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#346

フランソワ・ポンポン展
― 加藤志織

空を描く 加藤

フランソワ・ポンポン(François Pompon / 1855―1933)の名を聞いたことのある人がどれほど日本にいるだろうか?かくいう私もこのフランス人彫刻家のことを詳しく知ったのは今年の7月上旬から9月上旬までの約2ヶ月の間に京都市京セラ美術館で開催されていた企画展示を見てからである。ポンポンと私との出会いは大学のとある授業を受けた時のことであった。はるか以前のできごとであるために授業自体の記憶はずいぶん曖昧ではあるが、時代も地域も異なるさまざまな彫刻作品を紹介した上で、それらの造形的な特徴について比較するようなものだった。その中にポンポンの代表作ともいえるシロクマの彫刻が含まれていた。それは具象的な作品ではあるが、シロクマの形態を忠実に再現するのではなく、若干のデフォルメや修正そして細部の省略が施されているために、ぬいぐるみのようなかわいらしさがある。その際、この彫刻から私が受けた印象は正直何もなかったが、その作品のかわいらしさのためか、なぜか記憶にだけは残ったのである。

妙にかわいらしい作風のせいか、私はそれを20世紀後半に制作されたものだとかってに思っていたが、ポンポンは1855年にフランスのブルゴーニュ地方に生まれた19世紀の人であり、彼のシロクマも1922年にサロン・ドートンヌに出品されたものである。この彫刻家の経歴は決して華々しいものではなく、パリへと旅立った後は近代彫刻の巨人であるロダンなどの下彫り職人を長くつとめるなど苦労が多かったようである。結局、彼が好んで取り組んだ肖像彫刻などの人物像はあまり評価されることなく、50歳を超えてからは動物彫刻を制作活動の中心に据えるようになり、1922年に発表されたシロクマによって社会の注目を得ることに成功した。この《シロクマ》は石膏製でサイズは実物大であったが、愛好者向けに卓上サイズ版がさまざまな素材(銀合金、白色大理石、無釉硬質磁器など)で作られることになった。今回の企画展に出品されているのもこうした小さなシロクマたちである。ポンポンと日本との関係についても一言追記しておこう。意外にも、1922年に東京と大阪で展示即売会の形式で開催された「仏蘭西現代美術展覧会」で作品が紹介されているようだ。

 動物彫刻については、すでに18世紀のロココ美術において登場している。この時代、貴族や新興の上流市民が、小さな彫刻を私邸の室内装飾用に買い求めたこともあって、不特定多数のお客を対象とする小型彫刻作品の市場が少しずつ形成された。その結果、彫刻家は莫大な資金を投入して大規模な作品を発注する少数の有力な依頼者や自分をひいきにしてくれる固定客以外からも仕事を得ることができるようになる。そうした小型の彫刻作品にビスキュイ(素焼)の人形がある。たとえば彫刻家のエティエンヌ・モーリス・ファルコネ(Etienne-Maurice Falconet /1716―1791)は大型の彫像を手掛けた一方で、セーヴルの国立磁器工場の彫刻主任としてビスキュイの原型を制作している。こうした流れが19世紀にも引き継がれ、動物彫刻はフランスではひとつのジャンルとして認められるようになっていた。ポンポンが《シロクマ》を発表した1920年台はアール・デコ(装飾芸術の意味)様式が欧米で流行している時期でもあった。彼の作風、すなわち形態のデフォルメや修正そして細部の省略は、過剰な装飾性を退け簡潔なフォルムを求めたアール・デコの表現にも合致するものであった。

ポンポン展であるが、現在は名古屋市美術館で開催(1114日まで)されており、その後には群馬県立館林美術館、佐倉市立美術館、山梨県立美術館を巡回する予定である。