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アネモメトリ -風の手帖-

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#64

手帳と写真
― 宇加治志帆

(2018.04.05公開)

「生きるのがへただな」
のっけから変なことを言うが、自分について、そう思う。生きるのがへただからと言うべきか、それにも関わらずと言うべきか、私はものを作るということをやっていて、そのジャンルが複数あるため、作業部屋は様々な道具や資材でいっぱいだし、日々の作業内容は入り組んでいる。
ところで、クリストファー・ノーラン監督の映画にメメントという作品がある。頭部外傷で記憶を10分間しか保てなくなった男が、メモを駆使しながらある事件の解決へ向かおうとする物語だ。彼の脳内では、流れる時間は激しく分断され、10分前の自分と今この瞬間の自分を繋ぎとめておく事ができない。追っ手から逃げて路上を全速力で走る途中で記憶が途切れ、走り続けながら「俺は今何をしている?」と自問するシーンが象徴的だ。
なぜこの話をするのかというと、私自身も、「さっき何の作業をしていて、次に何をしようとしていたのか」がわからなくなることがしばしばあるからだ。目覚めた時にその日の作業予定が全くわからないことも頻繁にある。脳に大きな損傷があるようには思われない(重大すぎる失敗は今のところない)。ただ、ひとと比べて注意や集中が短く途切れ過ぎたり、逆に長く続き過ぎたりしているような気はする。色々なことをやりたがるのも、そのせいだろうか。
少し詳しくお話しすると、例えばアクセサリーの土台を作っている最中に、突如服のデザインが閃きパソコンで調べ物を始めるが、調べる内容も芋蔓式に広がるため、タブが際限なく開く。いい加減開きすぎたところで「あっ、私はそもそも何を調べようとしていたのかな」と振り返り、当初の動機を思い出してホッとすることはできるのだが、本当はもうひとつ手前の「途中停止しているアクセサリーの土台作り」まで戻らないといけないのだ。
これは、集中と注意が途切れて移り変わっていってしまう場合のよくある例だが、逆の場合もある。同じようにアクセサリーの土台作りをしていたとして、それをいつまでもやり続けたい、ほかの作業に移りたくないと思ってしまう。終えたとしてもなかなか寝付けない。集中が続きすぎるのだ。どちらの状態も、それを野放しにしておくことは、様々なジャンルの活動をスケジュール通りにこなしていく上で、なかなか危険なことである。
このような自らの脳機能と行動の特徴に気づいてから、私は手帳を熱心に活用するようになった。主に使うのは、EDITの1日1ページ手帳。できるだけ多く書き込めて、小さめのバッグでも何とか持ち運べるB6サイズだ。
マンスリーページには「その週にやっておきたいこと」と、日時の決まっている予定を書き、それをもとに、日割りのページに「この日あたりに済ませたい作業」をある程度書き込む。「1日1ページ」のメインのスペースに日々書き込むのは、就寝時間と起床時間、体調、気分、何を作って食べたか、何時から何時までどんな作業をして何がどのくらいできたか、誰からどんな連絡があったか、試したこと、改善できたこと、湧いたひらめき、気付き、予定した作業のうち何が終わらず、何を取りやめたか、どこに何の資材を発注したか、などを色分けして書く。作業中はすぐに手帳を開けるようにし、その都度確認し、メモをする。デザインやインスピレーションについては、別のノートや紙も使う。
私が手帳に書いていることは、ごく当たり前の、淡々としたものだ。しかし、私にとってはこの手帳は、今日と明日を結ぶ大きな支えなのである。ある作業を必要なだけ成し遂げ、次にどんな作業が待っているかを予め知り、必要なタイミングで作業を切り換えるために。同じものを続けて食べすぎたり、食べなさすぎたりして体を壊さないために。体を健康に保ち、魂にとって必要な仕事にエネルギーを十分使えるようにするために。そして、私自身を知るために。
さて、先述の映画の主人公も、生き抜くためにメモとしての写真を常に撮っていたが、私もまあまあ撮る方だ。スーパーへ買い物に行く道すがらでも、記憶に残したい光景に出会ったと感じたら、スマートフォンで撮る。なぜその光景を残しておきたいのかは、その時は知らない。でも、後から見返せば、空気や光の肌触りとともに、その時の微細な感情・感覚を呼び覚ましてくれる。残しておきたいのは、撮った光景そのものよりも、「その時私が実在したという感覚の記憶」なのかもしれない。それらの写真は、tumblrにアップロードし、「生きてた記録」と名付けている。
冒頭、生きるのがへただと書いた。どういうことか、少しおわかりいただけただろうか?
きっと、私の試みはまだまだ続く。いつだって、大切なことを書き留められていない、撮り残せていない、自分がどこにいるかわからない、気がしてならない。手帳や写真との付き合いは、ますます深まる一方だろう。
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個展の展示風景。

個展の展示風景


宇加治志帆(うかじ・しほ)

大阪府生まれ。1998年 京都市立芸術大学美術学部美術科フレスコ画専攻卒業。
美術作家、アクセサリーブランド ”Fool’s journey”の作り手。
2006年作業療法士の国家資格を取得。「人が真にその人として生きること」をテーマに、大阪府にて活動中。
装飾品、インテリア、被服など、美術やファッションの境界を超えた表現活動とともに、ときに音楽活動も行う。
2016年、HOTEL ANTEROOM KYOTOのリニューアルオープンに際して、コンセプトルーム666号室の全面的なプロデュースを行った。
https://gushanotabi.wordpress.com