(2015.07.05公開)
愛知県の海辺のカフェで腕を振るうピザ職人の牧一心さんは、今年アメリカで行われたイベント「INTERNATIONAL PIZZA EXPO 2015」で、世界の職人とピザづくりの腕前を競い合った。さらに美味しいピザを求めて日々試行錯誤を続けている牧さんだが、初めから強く望んでピザ職人になったわけではなかった。営業職としていくつかの会社を渡り歩いていた牧さんは、生まれ育った地元愛知でピザ職人の道に偶然足を踏み入れ、この仕事を腰を据えて追求していこうと決めたのだった。成り行きに任せて就いた職業を極めていこうと決意した牧さんが抱える思いとは。
——現在31歳の牧さんが、愛知のオーガニックカフェCafe Oceanでピザをつくりはじめたのは2年前からだとお聞きしました。それまでの経緯を教えてください。
地元の高校を卒業してから営業の仕事に就いていました。大きなまちに憧れて20歳のころは東京で働いていたこともありましたが、会社が倒産して愛知に戻ってきて、別の会社でも営業職を続けていました。
Cafe Oceanで働き始めたのはほんとに偶然というか、店のオーナーが昔からの知り合いで、人手がいるときにちょうど僕が営業の仕事を辞めて手が空いていたので手伝うようになったんです。店は知多半島と渥美半島の間の大きな湾に面していて、いつも穏やかな海が見えます。愛知で生まれ育った僕にとっては地元なのでスタッフの中にも友達がいて、妹もかつては働いていました。僕は今は正社員として働いているんですが、カフェの店内ではなくてテラス席に面したテイクアウト形式のピッツェリアをひとりで切り盛りしています。
ピザをつくりはじめたきっかけは2年前、店のオーナーが専門の職人に依頼して今のピッツェリアの場所に石窯をつくったことです。それがあまりに立派だということで、石窯といえばピザですから、ピザを出す専門のコーナーをやろうということになりました。それをどう使うかということを決めずに、先に石窯をつくってしまったんです。それでピザが好きだった僕が、ピザを焼くことになりました。
石窯をつくってくれた職人が美味しいピザも焼けるので、そのひとにつくり方を教わりました。はじめのころは正直、店で出せるようなものではなかったんですが、ピザづくりに関する教本は何でも手に取り、ネット上のピザづくりの動画と自分の作業と照らし合わせて何度もピザをつくりました。ただ、そうした独学ばかりではなく、評判のお店に出かけていって直接教えを請う飛び込み営業的なことをしたり、大会があれば見学に行き、いろんな職人の技術を真似たりしていました。足を使って得た知識や技術も、お客さんに喜んでもらえるピザには欠かすことはできません。
——はじめは教えてもらったとはいえ、店で出せるレベルになるまで独学でピザをつくり続けられたというのは、それだけピザが好きだったからですか?
ピザを食べるのは小さいころからかなり好きでしたね。僕の母親はアメリカ人で、僕が物心ついたときから家でよくピザを焼いてくれていたんです。家でつくるピザってオーブンで焼くので、その中に入れる容器に合わせてピザの形も四角いんですよ。その四角いピザをアメリカではグランマスタイルっていうんですが、僕のにとってはママスタイル、母の味です。ピザが好きになった原点ですね。
僕が中学生のころカリフォルニアとペンシルバニアに1ヵ月滞在したときに、毎日いろんなピザを食べようと決めて、ピザ日記というものをつくって食べたピザの感想なんかを記録したこともあります。そのときは31日のうち27日はピザを食べていました。子どものころから2年に一度はアメリカに行く機会があって、毎回ピザを食べていましたね。
——牧さんは今年の3月にラスベガスで行われた「INTERNATIONAL PIZZA EXPO 2015」*というイベントで、ピザづくりの腕前を競う大会に出場しています。そこではどのような発見がありましたか。
ピザの大会に出場するのは自分のつくるピザの評価を知りたいからです。大会には有名な店の職人も出場し、順位が付けられるので、客観的な評価が得られるいい機会です。
アメリカの大会に出場したのは、国際的な評価を知りたいということもありますが、家族に会う目的もありました。アメリカ人の母、弟とふたりの妹、そして義理の父は8年ほど前からアメリカに住んでいます。たまにアメリカには家族に会いに行っていますが、今回は大会の出場をかねて訪れました。
大会には別の国際大会で1位になった日本人や、本場のナポリからきた職人たちが参加していました。僕が出場したナポリピザ部門は30組が参加して、僕の順位は12位でした。大々的に発表できる順位ではないですよね。
*毎年ラスベガス・コンベンション・センターで開催され、1万人以上のピザ業界の関係者やピザ好きが集うイベント。今年で31回目となるPIZZA EXPO 2015は、3月23日から26日にかけて開催された。
http://www.pizzaexpo.com/
——強豪ぞろいの大会で、ピザ職人歴2年の牧さんがその順位になったのは誇れることだと思います。牧さんのつくったピザで評価されたポイントは何だったのでしょうか。
評価のポイントはいかに規定に沿ったナポリピザが焼けるかどうかでした。つくるピザの種類もシンプルなマルゲリータかマリナーラのどちらかに限られていて、学校のテストのように減点方式で採点されます。オリジナリティが出せない分、ピザを焼く基本的な技術が問われます。
評価の基準は3つあって、ピザの味とそれを早く正確に焼く技術、そして清潔さです。味で高得点が取れればよかったんですが、僕への評価がいちばん高かったのは清潔さでした。調理場をあまり汚さずにピザがつくれることがここで言う清潔さで、僕はほとんどゴミを出さなかったので評価されたのだと思います。
——牧さんが勤めるCafe Oceanでは、〈自然環境への負荷をできるだけ少なく〉することをコンセプトにしています。牧さんがピザをつくる際にゴミを出さないことは、店の方針でもあるのでしょうか?
そうですね。ゴミを出さないことは店のコンセプトに通じています。Cafe Oceanでは〈農のある生活〉という理念も掲げて、スタッフが畑で作物もつくっています。種類も数もたくさんあって、バジル、オレガノ、ルッコラとか、ハーブではつくっていない種類のほうが少ないくらいです。農作業の労力を考えると野菜は買ってきたほうが安いので、飲食店が主体になって作物をつくるのは意外と確立していないやり方なんです。だけど、他でやっていないからこそ、自分たちで継続していくことに意味があると思うし、やりがいにもなります。それに地元でできた食材を使えばものを輸送するエネルギーが減って、自然環境への負荷を少なくできます。
ピザをつくるのも、ハーブは摘みたてがいちばん香りがいいので、畑で新鮮なものが収穫できるのは利点ですね。だからCafe Oceanのハーブがのったピザはとても香りがいいですよ。ラスベガスのピザの大会では材料を自分で持っていったのですが、バジルだけは現地で新鮮なものを用意しました。大会が始まる直前まで見つからなくて苦労しました。
野菜以外にも、自分たちでつくっていない小麦粉や油、チーズなどは地元産の良質なものを使っています。大量生産や輸入された食材を使うよりも店で出すメニューの価格は高くなりますが、僕はお客さんが受け入れてくれる限り、このやり方でピザをつくりたいと思います。
——生まれ育った土地に愛着があるからこそ、地元の食材を使ってピザをつくりたいと思うのでしょうか。
いや、特に地元に愛着があるってわけでもないですね。だからといって母が生まれ育ったアメリカで暮らそうと思ったこともありませんし、20歳のころは東京で暮らしていましたからね。だけど、引き寄せられるように地元に戻ってきて今に至ります。
愛知には少し高いけど手間ひまのかかった作物をつくっている農家さんは多いと思います。愛知は自動車をはじめとした工業が盛んで、収入の高い層が多いようです。それで食べ物にもお金をかけられるので、無農薬栽培の農家が作物をつくれますし、僕たちの店のメニューも受け入れてもらえます。店で使っているチーズは、愛知に移住したイタリア人がつくっているものなんですが、この土地がチーズづくりに適しているというより、買ってくれるひとが周りに多いから愛知でやっているんだと思います。
僕らの取り組みは単純に経済的な理由に助けられている面もあります。だけど、何かを長期的に続けていくためにはお金が回るってことはとても大事なことですよね。少し値段が高くていい食材を使うってことが受け入れられないなら別の方法を考えないといけなくなります。もしそうなったとしても、今のピザ職人の仕事は長く続けていきたいです。
——牧さんは自ら強く望んだというより、ある意味、成り行きに任せてピザ職人になったわけですよね。それでもなぜ、今の仕事を長く続けていきたいと思うのでしょうか。
たしかに考えてみると不思議ですね。僕は、実は農作業が苦手で、自分のことを都市型の人間だと思っているんです。だからさっきも言ったみたいに地元を離れたくて一度は東京で働きました。今でも大きな都市に行けば明るい未来が待っているような気がするんですが、この場所を離れられない。
それは偶然出会った今の仕事を、成功したという確信が得られるまで続けていきたいと思っているからです。僕は今まで何度か転職してきましたが、それでは自分が築き上げようとしている何かが成功しているのかどうかわからないんです。だから今まで「自分にはこれができる」って胸を張って言えることがないんですよね。
今のピザ職人の仕事は、美味しいピザを求めて試行錯誤を重ねながらじっくりと追求していくところが自分に合っていると思います。でもまだ、成功するのか失敗するのかわからずにいます。これが成功したと自分の中で確信が持てたら、それから同じ仕事を続けても、別のことを始めたとしてもやっていけるって思うんです。人生という長いスパンで考えれば、そういう希望があるから投げ出せないし、今の場所から離れられないんじゃないかって気がします。だから10年以上の長い視野を持って今の仕事に腰を据えて取り組んでいきたいです。
——具体的にこれからどんなピザをつくっていきたいですか。
ナポリで生まれたピザは、イタリアをはじめ輸入物の食材を使うことが多いのですが、僕は地元の食材にこだわっています。それは店のスタッフやオーナーの努力、地元の経済状況、お客さんの好みなどいろんな要因によって成り立っています。そうした環境に恵まれて、地元の良質な食材が使えることで、ここでしか味わえない独自のピザをつくることができます。
それに僕は半分アメリカ人の血が流れていることもあって、アメリカンスタイルのピザをもっと広めていきたいと思っています。今日本でピザといえばナポリのピザが主流で、アメリカのピザは亜流だと、特に職人たちから思われています。ですが、アメリカのピザの文化はとても広くておもしろいんです。カリフォルニアではパンのような生地や様々なトッピングが楽しめますし、シカゴではパイのような型に入れて焼き上げるシカゴスタイルとなっています。これからは地元の食材を使いながらアメリカンスタイルを取り入れてオリジナルのピザをつくっていきたいですね。
インタビュー・文 大迫知信
2015.6.2スカイプにて取材
牧一心(まき・いっしん)
1984年愛知県生まれ。弟と2人の妹、アメリカ人の母は、現在アメリカ在住。高校卒業後は「しゃべりベタ」を克服するため営業職に就く。2008年、京都造形芸術大学通信教育部文芸コースに入学し、学業のかたわら地元愛知のCafe Oceanでピザ職人として働きはじめる。大学卒業後はピザ職人の道を追求するため、日々試行錯誤を重ねピザのつくり方を研究、評価を知るためピザの大会にも出場する。2015年3月にはラスベガスで行われたイベント「INTERNATIONAL PIZZA EXPO 2015」のピザづくりの腕前を競う大会に出場し12位の成績を得る。同年2月に結婚。プライベートも充実し、「成功したという確信を得る」ため長いスパンでピザ職人の仕事に励む。
http://cafe-ocean.blogspot.jp/
大迫知信(おおさこ・とものぶ)
1984年大阪府生まれ。工業系の大学を卒業し、某電力会社の社員として発電所に勤務。その後、文章を書く仕事をしようと会社を辞め、京都造形芸術大学文芸表現学科に入学する。現在は関西でライターとして活動中。