アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#45
2016.11

本、言葉、アーカイヴ

後編 共有し、受け渡していくために
7)言葉にならないことを記し、物語をつくる
小森はるか+瀬尾夏美さん(3)

『波のした、土のうえ』は、陸前高田の方たちを、復興途上のまちの風景のなかで撮った作品である。
3本の短編からなっていて、出演者それぞれが、思いのある場所に身を置きながら、語る。そのつくりかたは独特で、各々に話を聞き、それをもとに瀬尾さんがつくった原稿をやりとりして改稿を重ね、最終的に本人に朗読してもらう。その語りの声に、小森さんの映像をかぶせて編集したものだ。
それは紛れもなく、その場所で各々が辿ってきた人生の物語でありながら、被災したひとびとや土地に通じ、さらには見る者が自分に引きつけて受け取れるような普遍的な力がある。

『置き忘れた声を聞きに行く』より

「置き忘れた声を聞きにいく」より©Komori Haruka + Seo Natsumi

「置き忘れた声を聞きにいく」は、小料理屋をやっていた阿部裕美さんの話。阿部さんは実家のあった土地を訪ねて、流された日に両親が着ていた衣服を広げてはしまうことを繰り返していた。
「まぶしさに目の慣れたころ」の鈴木正春さんには、祭りの準備で会った。偶然にも瀬尾さんの勤める写真館の店主が上司に当たるというひとで、生まれてからずっと同じ場所で、同じ仲間と生きてきたが、その多くを失った。
「花を手渡し明日も集う」では、森前地区で花畑をつくる紺野勝代さんを撮影している。地区で亡くなった方みんなを弔うために花畑を思いつき、精魂込めてたくさんの花を育ててきたが、その花畑は復興工事でなくなることが決まっていた。
3人が作品のなかで語るのは、個人的な思い出ともっと普遍的なことを織り交ぜた言葉だ。たとえば、家族や友人との思い出が語られるかと思えば、「わたしはもう何も失いたくない」という言葉が出てくる、というふうに。小森+瀬尾は、どのようにして、この語りを紡ぎ出したのだろうか。

波のした、土のうえ予告 from Komori Haruka on Vimeo.

———阿部さんなら、阿部さんの思い出の場所で話を聞く。被災の話ではなく、ここであったことを聞きたい、といって。それを小森が撮って、わたしは聞いたことを1回持ち帰って文章を書くんです。文字起こしではなく、彼女が話していたことの断片を一人称で起こします。わたしがこんなことをして、娘はこうでね、とか。そうすると、ひとつの物語のような、抽象度のあがったものになる。(瀬尾さん)

瀬尾さんは話を聞くとき、録音はしない。そのとき「聞けたことを聞く」しかないと思っているからだ。3人の原稿を書くときは、そうして受け取った言葉を紡いでいった。

———陸前高田にいていろんな話を聞くと、言葉になってないけど、このひととこのひとの言ってることは一緒だな、と感じたりするんです。二度失うことの意味とか。そういう言葉を入れ込みながら、彼女の言葉や風景を描写していく。原稿はいつも小森に持っていってもらって、小森が本人と一緒に読み上げて、読みづらそうだったら一緒に読んで、わからないことを説明して、本当はきつくて言いたくないことがあればここは切りましょうとか、編集していく。そうやって朗読の声ができてきて、その声に対して撮ってきた映像や、一緒に取材して撮った映像を合わせて、言葉から浮かぶ風景を小森の手法で編集しています。(瀬尾さん)

個人の声を大切にしながら、そこに何かを織り込んでいくことは、とても繊細な表現だと思う。「言葉じゃなきゃ書けないことがある」という瀬尾さんが、このようなやりかたで伝えたかったのは何だろうか。

———いかに言葉にならないことを記述しておくか、ということがあって。日常会話で出てくるエピソードと、ため息のようにそこに付随する、根底にある不満とか悲しみ、つらさとかも。エピソードは聞けるけど、そこにある感情は言葉にする術を持っていないひとが多いと思います。それをいかに、シンプルに書けるか、というのはあって。それがこう思っているでしょ、というかたちになったら暴力的だと思うんです。違うことを言わせたり、きついこともあったりして、実際暴力的だとも思いますし。でも自分が言いたいのはこういうことだった、と言ってくれることもあるんです。言葉になりきれないことっていうのを、陸前高田だけでなく共有しうると思うんです。
ここを書かないといけないと思うんですよね。エピソードだけ書くと誤解を生むこともあると思うんです。こういうことがあったというときに、そこに通底するものが前提にないと、変なひとになったりもする。きちんとこれと一緒に保存しないといけないってことがあるんですよね。しかもこれがないと伝わらないことも多い。わたしの役割として、エピソードをいかに伝えるかではなくて、これと共存させて伝えるか、ということを媒介者としてやりたいと思うんです。(瀬尾さん)

瀬尾さんが試みていたのは、言葉を信頼して、言葉になりきれなかったものも、あえて言葉にしていくことだった。さまざまな文脈から発せられる言葉のつながりを見いだし、紡いでいくことで、伝わる表現に変えてゆく。文化的に遠くても、時代が変わっても通じる、普遍的なものに。その可能性をひらいているのだと思う。

小森さんのほうも、陸前高田に来てから映像を撮っても「映らない」ことにずっと悩んでいたが、自分のやることを記録ではなく「表現」と自覚してから気持ちが変わった。

———ここに誰の家があって、何があって、どういうひとが亡くなったのか、日常的に聞いてわかるようになってきたときに、撮りたいものが映らないということがすごくあって。それでも、風景が持っているものを撮っていたし、そこに通って、まさにつなぎとめようとしているひとたちの記録をしていたんです。そうして、阿部さんが看板を立てるとか、実家の跡を案内してくれるとか、すごい瞬間が撮れたことは貴重な体験ですが、撮影させてもらったことを伝える方法が見つからなかった。
『波のした、土のうえ』の手法は、やってみるまでわからなかったですけど、映像を残しておく方法って表現にあるんだなと。震災後はわたしは記録の意思が強かったから、どうやって伝えるのかを考えないといけないんですけど、その残しかたが全然わからなかったし、メディアで映るものを改善する方向に行ったほうがいいんじゃないかと思うときもあった。でもやっぱり作品に可能性があったというか、瀬尾の書いた言葉と本人たちの声で、撮っていたものが救われた感覚です。(小森さん)

小森+瀬尾の表現は、しなやかで、たしかに伝わるものがある。ごく個人的な、小さなことから始まって、その奥底に流れるものをたぐりよせ、点をむすんでいくような、丹念な、そしてひらかれた表現である。