(2019.10.05公開)
私の一番最初の映像体験は、団地の壁に投影された巨大な「寅さん」*1 でした。
次の日団地の壁は真っ白に戻っていて、「あれはなんだったんだろう?」と思った、子供のときの夏祭りの記憶。そこに確かにあったものが消えてしまった時、映像とともにその時の音と匂いなど細かい状況を思い出します。
あの時誰かがこんな会話をしていたとか、フランクフルトの焼く匂いがしたとか、近所の子が「東映まんがまつり」のサンバイザーをかぶっていて羨ましく思ったとか、あの日風が強かったなとか、そしてそれはちょっと装飾され歪み、夢でみたものと混同して都合よく記憶されていたりもします。
“ロケハン”と称してよく散歩をします。歩く時間は決まって夜。
世界が寝ていると、昼間にみえてこなかった景色がふわっと浮き上がって来て、何かが閃きます。散歩をしながら写真を撮り、メモをして、その後まとめて手帳に記録すると、より頭が整理され、また違うアイデアが湧いて来たり。
旅先でもよく夜に散歩するのですが、去年行った博多では、夜の街をひたすら歩いていくと、川沿いに人々がお酒を交わす屋台が建ち並び、雰囲気に見とれているうち、川から海に抜けてとても感動しました。
先日は、大阪の仕事場からGoogleマップを使っていつもと違う駅をめざしてみたら、かなり過酷な道を誘導され、突然暗闇に崖が現れたり、知っているはずの街の裏側への経路を通され、普段の道とは違う別レイヤー上を歩いている感覚になり、外国にいるような気分になりました。その間、1人も人をみなかったので、おもわず「皆ゾンビにやられたのか……」と妄想を膨らませる程の不思議な体験でした。地図を持たず感覚だけで歩くのと、Googleマップで誘導されながら歩くのとでは、身体的にも意識的にも全くべつものであるというのを、散歩を通して実感しているところです。
最近は、スマホに装着出来る「ZoomiQ6」というマイクで、
その場所がもつ音や匂い、人が介在する事で発生するもの。そして、音やメモを通して記憶を辿り、新しい景色を想像します。
録った音そのものを作品にすることは殆どないのですが、イメージとイメージの隙間にある、煙とか水みたいに掴めないものを掴もうとしているような……。
感覚的で曖昧なものほど、言語化してしまうと別ものになる事が多いので、あえて曖昧なまま余白をのこして記録している感覚です。
映像作品は、そんな夜の散歩と音と記録を重ねながら制作し、展示して初めて景色がみえます。そして、展示が終わればサーカスのようにふわっと消えてしまう。
小さい時にみた、団地の壁に投影された巨大な「寅さん」は確かに存在し、そのときの驚いた感覚が頭をはなれないのは、散歩や記録を続けながらその風景をずっと探しているのではないかとも。
映像作品を通して場所や風景をつくり、その後消失してまた日常にもどったとしても、その場所に存在したという“記憶の旅”は、永遠に続いていくものだと思っています。
*1 映画『男はつらいよ』の主人公=車寅次郎
*2 『ふたりのベロニカ』クシシュトフ・キェシロフスキ監督、1991年、フランス・ポーランド映画
〈展覧会案内〉
室千草・映像インスタレーション作品展
「Shadow Collection」
2019年10月9日(水)~20日(日)
12:00~19:00[月・火休み]
光兎舎ギャラリー
京都市左京区浄土寺上馬場町113木のビル
http://kousagisha.com/
室千草(むろ・ちぐさ)
1973年生まれ。1996年大阪芸術大学卒業。映像インスタレーションを国内外で発表。一方、大阪・淀川文化創造館シアターセブンで開催の「映画女子のファンミーティング」のパネラーとして参加(継続中)、映画の制作や企画にも携わる。只今、京都で新たな映画プロジェクトを企画中。
主な映像インスタレーション作品は、
個展「Behind the eyes」(大阪芸術大学情報センター、大阪、2006年 / IF MUSEUM ポーランド、ポズナン、2007年)、「何番目かの空白」(LumenGallery、京都、2016年)
グループ展「Schön – Schön」(Kunsthalle Faust、ハノーバー、ドイツ、2008年)、「Mediators」(ワルシャワ国立美術館、ワルシャワ、ポーランド、2010年)、「アンサンブル・ソノリテコンサート」にて映像インスタレーション併設展示(岩倉実相院、京都、2015年)等がある。
https://www.chigusamuro.com/