アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#36

受け継いだ簀桁
― ハタノワタル

(2015.12.05公開)

紙漉きで日々使う大切な道具のひとつに簀桁(すげた)があります。
檜で作った木の枠である桁に、竹ひごを絹糸で編んだ簀をはさみ、ふたつ合わせて簀桁といいます。
漉き舟という大きな水槽に張った水の中に、(こうぞ)という木の皮を煮てつぶした紙素(しそ)を入れ、黄蜀葵(とろろあおい)の根っこからとった粘液を合わせたものをこの簀桁で汲み取り、簀の間から水がゆっくり落ちている間(黄蜀葵のネリの作用のため、ゆっくり落ちる)に揺らしながら紙を作っていきます。
この簀桁という道具、大きさによって紙の種類、呼び名が変わってきます。

私は京都の北の方、綾部市にある黒谷和紙という800年続く紙漉きの産地で、紙漉き職人をしています。その黒谷和紙の伝統的な紙に渋札というものがあります。これは、糸などを染色をする方が、染めの工程時につける札で、その糸がどんな工程で作られているかをメモする紙の札です。糸を染色をするので当然水にも浸かれば、染液にも浸かり、お湯にも浸かるし、しかもジャバジャバ激しく洗われたりもします。その苛酷な工程にも耐え、それでいて書きやすいという紙が渋札です。
渋札は傘判と言われる大きさの簀桁で漉かれます。もともと番傘用に漉いていた紙を使って作られます。
良質の国産楮を使い、よく繊維が絡むように紙を漉く時、縦に横に簀桁を揺すりシートにしたものを、干し板に張り付けて天日で干して紙にし、柿渋を塗り札にします。
時代が変わり、火力乾燥機ができたことによって、大きな紙が作れるようになり、和紙自体が使い勝手のいい大判に移行していったのですが、黒谷の場合、渋札用に板での天日干しにこだわった為に、板の幅に合ったこの紙が残ってきました。サイズは約390×490mmです。

黒谷和紙は山間の集落にあるのですが、日照時間が短いです。なので、紙干し場はなるべく多くの時間を太陽に当てていたいと、山の中腹に作られます。職人が多かった20年前は数軒の家がこの渋札用の紙を専門的に漉いていたので、晴れた日は紙干しをする風景が見られました。会話も必然的に天気の話が多くなります。私はこの渋札用の紙が好きです。そして黒谷和紙を漉こうと思ったのも、この紙があったからです。
一般的な和紙に比べて小さいので、大きなものを加工をする時、どうしても切ったり貼ったり、継いで作っていきますが、それが和紙の使い方だと思っていますし、製紙過程において、お天気を気にしながら作業するのは、自然との一体感を感じられて、四季折々の何気ない風景がこの紙に宿るような気がしています。落ち葉のころには、時折強い風が吹くと、色とりどりの葉が谷を舞います。冬には雪で真っ白になった黒谷を見ながら、紙干しをすることもあります。芽吹きの春は日照時間も増え、仕事のできる時間も増える喜びを味わえます。暑い夏の日も川の上を流れてくる風が心地よい。しかも楮のみで漉いたこの渋札はとても丈夫で、私のように絵画の支持体や内装材として使うにはもってこいの紙です。我が家の床はこの紙を貼ってあるんですよ。
さてさて、道具のお話。
私の使う渋札紙用の簀桁は、この黒谷で50年以上紙を漉き続けてきたサヨさんから、譲り受けたものです。
サヨさんは、私が修行を始めたころ紙を漉いていて、これでもかとこだわり紙を漉いた職人です。多くのことを彼女から学び、今でも時々工房に寄ってきては、話をして帰っていきます。旦那さんの介護をしながら紙を漉き続けてきたので、ほとんど黒谷の外に行くことはなく、畑を耕し、自分の食べる分の野菜は作り、野山を歩いては食べられる山菜や綺麗な花を摘んできて暮らしてきた方です。紙漉きの技術だけではなく、昔の黒谷のこと、暮らしのこと、黒谷の山のこと、歳をとるとはどういうことかなどなど多くの話をしてくれます。
この簀桁を使い紙を漉く時、和紙のことだけではなく、受け継いだもっと多くのことを伝えなくてはと思います。

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ハタノワタル
紙漉き職人。1995年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒。1997年、黒谷和紙漉き師の修行をはじめる。個展やイベント等で紙のこと暮らしのことを伝える。和紙を使って内装の仕事も多く手がける。京もの認定工芸士。
http://www.hatanowataru.org/
https://www.instagram.com/hatanowataru/