(2025.06.05公開)
私は、2020年12月から滋賀県大津市の山間部にある約50世帯の集落で、空き家を改装した家にアトリエ兼住居として住んでいます。住んでいますと言っても、近年の私の活動は現地に行かないと成立しないことだらけなのと、最近では唯一の交通手段であるバスが減便になり、終バスの時間が早まって帰れないことも多く、未だにこの集落での暮らしを充分に味わえていません。これが私の悩みの種でもあります。
振りかえってみると、引っ越しをする前、改装工事をしてもらっているそばで作品制作をしたり、プロジェクトで育てている挿し木の管理をしたり、家が私仕様になっていく工程をできる限り楽しんでいたように思います。これからお話をすることは、そんな時期のお話です。

玄関前を掘り起こした時に岩が1/3くらい見えていたところ
新しく水道管を敷くためにユンボで庭を掘り起こしてもらっていた日のことでした。私はその日、家の2階の一室で刺繍の作品を制作していました。改装のデザインや工事をお願いしていたK君から、玄関前まで来てくれと呼ばれたので見に行くと、「水道管を敷きたい場所に大きな岩があるので、それを邪魔にならないところに移動させて埋めることになるけど……」とのこと。目の前には大きな岩の1/3くらいが顔を出していました。え? ここにこんな岩が埋まってたん? この岩、今初めて地上に出てきた? これって、初めて太陽の光に当たってるんじゃないん? いや、かつては地上にいたけど、何かの拍子に地中に埋もれてしまっていたとか? ずっと地上に出たかった? そうなん? ほんまに家の入口やん。なんで? え? この岩が私を呼んだん? そうなん? 色んな想像が頭の中でいっぱいになり、私はある日のことを思い出していました。
私は2016年から京都駅のすぐ南側の東九条に住んでいました。この東九条という地域で「植物」という存在に出会いました。植物を育てること。植物から色をもらって布や糸に色を移しかえること。植物の特性や効用を知る。これらを通して、植物の世界にどんどん魅了されていき、もっと自然に近い環境で、便利すぎない場所に住みたいという気持ちがどんどん大きくなっていきました。
そんな中、とあるきっかけでこの集落のことを知り、実際に歩いてみるととても気になる空き家がありました。その家に住まれていた方の世界観を引き継ぎながらその家に住みたいと思いました。偶然にもその家の方を知っている友人がいて、その友人を通して家の持ち主さんに会うことができたのですが、残念ながら話がうまくまとまらず、とぼとぼと集落を歩いていた時。「あ! 絶対この家!」と感じた家に出会いました。そばにたまたま犬の散歩をしていた方がいたので、その家の持ち主さんに繋いでもらって、お電話をして、会って……今に至ります。あの時、「あ! 絶対この家!」と思った瞬間、私は何かの声を聞いたような気がしていたのでした。その声の主はこの岩やったんかも……地上に出してあげたい……これから地上でこの家を守ってほしい……そんなことを一人であれこれ考えていると、私の気持ちを察したK君は、ユンボを操縦している方に、岩を地上に引き上げてもらえるか相談してくれたようで、その方が「え~! 取り出せるか~? ユンボでは無理ちゃうか?」とちょっと渋い顔をされました。
私はこういう時、人に迷惑をかけたらいけないという思いが発動してしまうことがあります。本当は岩を地上に取り出してほしかったのですが、「無理なら大丈夫です。岩は移動するだけでまた埋めてください」と言いました。するとK君はびっくりした表情で「え? まっこいさん(私のあだ名)、ほんまにいいんですか?」と言ってくれたのです。そこで私も正気に戻って「やっぱりすみません。地上に出してほしいです」と言いました。K君からもユンボの方にお願いをしてくれて、最終的には「出すんかいな……わかった! やってみるわ!」と言って、ユンボをぐりんぐりんと上手に操り、私が置いてほしい場所にその岩を設置してくださいました。

場所を移動させて岩を地上に取り出そうとしているところ
今になってみると、この岩がこの場所に存在しないことなど信じられません。本当によかった。あの時K君が一言ああ言ってくれなかったら……私は一生後悔していたと思います。
直感を大切にすること。もうこのあと二度と起こらないと想定される機会は絶対に逃さないこと。目に見えないものはこの世界に山のようにあるということ。ただそこに存在しているものも、想像もできない経歴を持っているかもしれないこと。この世界はそういうもので溢れていると思ってみること。この岩はこれらのことを私に思い出させてくれます。
私は長期にわたるプロジェクトを動かしているので、時間を重ねるにつれ関わってくださる人が増えていきます。協力してくださる方が増えていくことは本当に心の底から嬉しいことなのですが、その分、いろんな意味での調整が必要になってきます。自分の気持ちや思いは二の次です。でも、プロジェクトにおける本当に大切な部分の決断や判断は、私がしないといけません。そういう時に、毎回この岩のところに行って、岩に触れて、いったん落ち着いて自分の心の声を聞く時間を持ちます。私にとってこの岩は自分を取り戻すための装置です。

現在の岩の様子(2025年5月15日)
今、この岩はただそこにあるものとして景色の一部になっています。でも、この岩、地面の中に埋まってたんやで。それで、私、地中にいる岩の声を聞いてん。人間以外のものとの秘密ごとがあることって、とっても幸せなことだと思います。
山本麻紀子(やまもと・まきこ)
1979年京都市生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻構想設計修了。ある特定の場所について観察や考察を続け、常識や習慣など日常の中で見過ごされている事柄や疑問を糸口にして、その場に関わる人たちとのコミュニケーションの在り方を考えるプロジェクトを行う。その一連の過程を、絵、写真、映像、ドローイング、染め、刺繍など様々な形式に展開させて作品制作を行っている。