(2024.01.05公開)
キュレーターとして展覧会を扱っている私にとって、Google スプレッドシート等を使った予算管理や作品管理、そのほか並列的に進行するプロジェクト全体の把握は、非常に重要なタスクとして位置している。基本的にアーティストや専門家たちとの協働が多い展覧会制作という仕事では、データを簡単に共有できたり、誰かに一部の管理を任せることができたり、なおかつラップトップやスマートフォンを通していつでも確認・操作できるクラウド型のエクセルは何より使い勝手が良い。
そのなかでもとりわけ予算書の作成と更新は、はっきり言って自らの展覧会制作の根幹部分のひとつと言っても過言ではない。予算書は最終的にキュレーターがどのような展覧会にしたいのかをはっきりと示すことができ、なおかつプロジェクト実施に関しての指標となるツールであるからだ。もちろん、アーティストがいて、彼女ら/彼らの芸術作品があるからこそこの仕事は成立しているわけだから、この作業自体が単独で存在しているわけではない。
しかしながら、そのような一見誰にでもつくれそうな予算書はその実、項目・単価・数量とともに極めて具体的な事業設計図になる。それは想像する通り、作家数、作品数、展示場所、開催期間、広報の仕方、搬入出方法、展示施工、什器、機材、専門家委託箇所、監視員数、清掃頻度、作品メンテナンス、安全対策、関係者の労働時間、ハンドアウト等の要否、保険、作品の返却先、カタログの仕様などなど、多岐に渡る。場合によっては、理念的かつ崇高な展覧会企画書や、会場入口に掲げられているキュレトリアル・ステートメント、あるいは芸術祭等に与えられているテーマなどに比べて、それは多くのディティールを語り得る。実際のところ、何かと専門用語が並ぶそういったテキスト群よりも、その書類は一般社会に対してこちらのイメージを伝達しやすい。なぜならそこには事業全体の金額的な規模感が明記されているだけではなく、いったい誰がどこにいくらなんのために支払うのかという責任の所在に関する近代的な契約概念が盛り込まれているからである。一般社会では理念云々よりも実質コストを重要視しているきらいがあるから、むしろ予算書や決算書がもっとも汎用性の高い表現媒体となる。それゆえに、社会と芸術を取り結ぶ媒介や窓口となるようなプラットフォームを用意するキュレーターという職域において、いつからか、会計書の用意や帳簿の管理はプロジェクト実現に向けた必須の装置であると考えるようになった。
このような意味で、私にとって予算書は、展覧会制作という不確定な未来を忠実に映し出す画期的な道具である。もちろん、それは予算管理や差配を含む権限がキュレーターに委託されているケースのみになってくるものの、そういったお金の管理はキュレトリアルな実践の一部であり、確実に最終成果の質に作用すると信じている。絶えず項目や予算配分の増減可能性を片目に入れつつも、もう片方では芸術活動をもっとも自由度の高い営みにすべく、定期的にスプレッドシートを開いて数字を打ち直す。その行為の積み重ねにより、思い描く理想の形を現実化させていく。
言うまでもなく、そこには無限の調整と妥協が横たわっているが、その変遷すらもGoogle スプレッドシートやエクセルは克明に記録してくれる。逆に隠しておきたいところでさえ、それらのアプリケーションは記帳してしまう。結果的にそれは、芸術的な活動自体をアーカイブするような性質も帯びてくるし、まるでそのシートが、実施した展示自体のそもそもの出発点である楽譜や戯曲のように見えてくるときもある。
加えて、その道具には支出ばかりではなく、どんな資金を元手にするのかという想定の収入を書き込むことができる。もし主催者がいればそれが大きな資金源となるし、国・地方自治体の補助金、民間の助成金等も含めると、項目の数は増えていく。さらに、その展覧会が入場料を徴収するのであれば、売上を立てることもできるし、カタログ販売収益が生まれる可能性がある。展示作品を売買するのであれば、それらも収入として計上できる。当然、そこには自己負担金すらも書き込めるし、銀行からの借入金や、家族からの援助だって予算書に登場し得る。このように財源を把握しているからこそ、キュレーターとしての計画力、変更対応力と、各ステイクホルダーとのバランス調整力、はたまた、「それはできない」という決断力を行使することが可能なのだと考えている。
とはいえ、アメリカ建国の父アレクサンダー・ハミルトンが言った「権力とは財布を握っていることである」という言葉を忘れてはいけないと思っている。そのような資金の掌握性とキュレーターの権力性は多かれ少なかれ重なっていて、むろん、それが良く働くときだけに限らず、悪く動作するときもあるからだ。繊細かつ几帳面なメンテナンスがプロジェクト進行の停滞を招き、絶えず時代に革新的で変化に富むという芸術活動のダイナミックな不確定性を嫌うようなキュレーター像になってしまっては元も子もない。その至言を反省的に心に留めておくということが、この道具を適切に利用するためのマニュアルなのだと思う。
堤 拓也(つつみ・たくや)
1987年生まれ、滋賀県大津市在住。インディペンデント・キュレーター、グラフィックデザイナー。2019年アダム・ミツキエヴィチ大学大学院カルチュラル・スタディーズ専攻修了。主なキュレーション実績に、鬼丘鬼鏟:時間的臨摹(京都、2023年)、山下拓也個展「闇が抱える光:熊、ムンク、チーズバーガー、他」(台北、2023年)、飯川雄大展「デコレータークラブ:未来のための定規と縄」(鹿児島、2023年)、国際芸術祭「あいち2022」(愛知、2022年)など。展覧会という限定された空間の立ち上げや印刷物の発行を目的としつつも、アーティストとの関わり方に制約を設けず、自身の役割の変容も含めた有機的な実践を行っている。2018年より山中suplexプログラムディレクター(現在、育休中)。
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山中suplex
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