アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

手のひらのデザイン 身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える。

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#124

解く(ほどく)ためのピニョ(비녀)
― 金 サジ

(2023.04.05公開)

私は写真家の活動と別で、韓国伝統舞踊を師のもとで師事している。たまに人前で踊ったり、生徒さんに教えることもある。舞踊はマイペースに続けている。
民族による「男らしさ」「女らしさ」といった美意識が伝統舞踊の中では振り付けや衣装などに織り込まれている。昔と現代では、ジェンダーに対する考え方が違うので、伝統の世界は時代と逆行しているように思う。そんな中でも伝統が在り続けることや、作品を修練する人間が一定数いることにいつも面白みを感じている。

私は社会における「女らしさ」に苦しんだ人間のひとりだ。
ひと昔前は女性は結婚し、専業主婦になって子どもを産み、男性に養ってもらう、ということが勝ち組と言われていた。
身内はみな、容姿のことをとにかく言った。「もっと目が大きかったら」「髪の毛は長くサラサラに」「女らしい言葉を使いなさい」「体の線は華奢でないと」……。
これは、世の中で理想とされる「女らしい」“女”ほど、経済力のある男に見初められやすい、という思込みを持つ大人が、子どもへの幸せを願う中で発していた言葉だった。
しかし、私はこの言葉に答えられなかった。そのため、“女”の身体、精神、容姿に対するコンプレックスから始まり、自分自身に“女”が身に纏う装飾品や言葉、仕草、などを否定する呪いをかけることになっていった。しかし、本当に心から美しいと思えるものに出会ったとき、その呪いは解くことができるということを発見した。

韓国舞踊は作品に合わせて決められた衣装や装飾品を身につける。そのなかに女性が髪を結うためのピニョという簪がある。私が自分が身につけたいと思った最初の装飾品は、ネックレスや指輪などではなく、ピニョであった。
ピニョはものによっては珊瑚や宝石が散りばめられていたり、金細工が入っていたりする。
私が心惹かれたのは、装飾が殆ど無い、シンプルな銀細工のピニョであった。

著者私物のピニョ Photo:金 サジ

著者私物のピニョ
Photo:金 サジ

これを見た時、心の奥底から、「これが欲しい、そしてこれを身に纏う美しい姿になりたい」と願ったのだった。
このピニョはサルプリ舞という作品の衣装にあわせて手に入れたものだ。サルプリ舞とは、もとは巫俗儀式から派生した舞で、「サル(漢字で煞=厄のこと)」「プリ(解く)」という言葉に表れるように、舞手の人生が剥き出しになる踊りとも言われている。ビビッドな配色を想像することの多い韓国の伝統色とは真逆の、真っ白の衣装を纏う。

Photo:金 サジ

Photo:金 サジ

白い服を纏い、白い布を手に舞う姿は美しく、はじめてサルプリを舞う師匠を見た時、鳥肌が立ったことを今も身体が覚えている。
本当に心から美しいと感じたものに出会ったとき、心底湧き上がる興奮が起こるのは、その対象と自分に何かの繋がりを感じているからではないか。
わたしはこのサルプリ舞の作品(衣装や仕草や装飾品すべて)と出会った時、自分に罹っていた呪いを初めて忘れることができたのだった。
“女”の衣装のチマチョゴリを着る、“女”の仕草をする、“女”が髪結のための簪を挿す……これらの“女”の要素を欲する自分がそこに居たのだった。

伝統芸の中では、“男”“女”といった性による「らしさ」を誇張した表現が多々ある。しかし、その「らしさ」を修練を通して徹底的に落とし込んだ時、演者の意識を超えて、呪いをも乗り越えるほどの力を持った美が身体から現れる瞬間がある。
面白いことに、この伝統芸能の世界には、(表沙汰では無いが)昔から同性愛者が他の業種よりも存在していたように思う。
社会の性に対する「らしさ」と、自身の性の「らしさ」の間を、芸能というフィクションを通して行き来する。常に社会と自己の境界を乗り越える作業を、本人の身体を通して行っているのである。
境界を乗り越える行為は覚悟が必要だ。日々の修練の中で行われるこの覚悟の繰り返しは、その人自身の呪いをも跳ね返す強さを獲得していっているのではないだろうか。この強さは世界を生き抜くための強さであり、強さは美へと繋がっていく。伝統芸能が「社会的な」性の美意識を表現していたとしても、それを美しいと思えてしまうことは、その芸人自身の強さが何かを超えているからなのだろうか。その強さを求めて、人は芸に惹かれるのであろうか。

髪をまとめ、化粧をし、白い衣装を着て、最後に簪を髪に通す時、私に罹った「女」の呪いは解ける。呪いが消えることはない。あくまでも「解ける」のだ。たった少しの時間でも自身の身体と心を解くことのできる時間が、人生の中のほんの一瞬でも生じてくれることは、どんなに呼吸がし易くなることか。
人々が創造してきた、伝統の「芸」の「能」が、個々の罹った呪いを解くことができるのであれば、どんな時代になっても、変わらずに伝統は続いていくのだろうと考えている。


金 サジ(Sajik Kim)

自身のコリアンディアスポラの身体的、精神的アイデンティティの「揺らぎ」をきっかけとして活動をはじめる。 創作物語を演出写真の技法を用いて作品を制作。写真家として活動しながら、活動の一環として、韓国舞踊家、金一志の下に師事。 韓国伝統芸能を学びながら、ディアスポラに代々継承されていく歴史・民族精神のトラウマから生まれる新たな可能性を探っている。 現在、ロシアのサハリンのリサーチを日本サハリン協会等の協力を得ながら継続中。 2020年度より多様なメンバーと映像作品「AMA~ウィルスとおよぐ~(https://vimeo.com/529318251)」を完成に向けて奮闘制作中。 2022年12月に株式会社赤々舎より初の写真集『物語』を発刊。2016年度キヤノン写真新世紀グランプリ、令和3年度京都府文化賞奨励賞受賞。 

http://kimsajik.com