(2021.09.05公開)
私はとにかく、「道具」から入るひとびとが嫌いである。雑誌の特集で鉄のフライパンが流行ったらみんなして高価な鉄のフライパンを買いに雑貨屋に殺到する。そしてその多くがお蔵入りになるので、道具を使うプロの料理人としては本当にがっかりする。それゆえ、いつの間にか「道具」と言われるたびに嫌いになった。
料理人とは、道具に愛されてなんぼである。今回は、いろんな国で料理人と出会った経験を振り返りながら、本当に道具に愛されるとはどういうことかを書いてみたい。
私は東京で生まれ育ち、高校も渋谷、代官山からほど近く、私服で通い、就職先でもイタリアンブーム、カフェブーム、イベントなど様々なことを経験し、時代の真ん中にいる感覚があった。いろいろな情報があり、新しいものに触れ、トレンドという大きな波の中で波乗りをしているようななんでも知っている感覚、今思えばまさに錯覚としか言いようがない。
そんな中イタリア料理をやっている関係で、ふとイタリアで働きたいという漠然とした思いから、25歳ごろから現地に渡り、地方を渡り歩いた。
シチリアで働いた場所は500人ほどの小さな島で、夏には何十万人と観光に訪れるような夏のビーチのレストラン。オーナーシェフは、いかにも島の人間のような短パンと穴の開いたTシャツだが、レストランのキッチンに入ると日本の包丁が並んでいた。彼は「Tシャツよりも日本の包丁が欲しい」と言っていたのを今でも覚えている。私もなにか誇らしげに感じた。しかし彼はとても包丁の使い方が下手だった。
次にアルトアディジェというドイツ語圏の北イタリアで星付きのレストランで働いた時には、コックコートを着たバリバリのコックたちが働いていた。ドイツ製の様々な包丁を持っているコックと働いた。彼らは「ドイツの包丁は素晴らしい」と言っていたが、日本の包丁のほうがよく切れると私は思った。しかし、さすが欧州とでも言おうか星付きレストランとでも言おうか、肉のさばき方は素晴らしくうまい。しかし魚は自分で捌くほうが綺麗にできた。逆に言うとイタリア人で魚や野菜を日本人ほど綺麗に使う人はほんの一握りだと思う。
しかしイタリア人が作ったイタリア料理は日本人には出せない味ばかりで、切り方だけでは説明のつかない料理にもたくさん出会ってきた。イタリアではお母さんたちが作る料理もとても多く、そのお母さんたちは確実にコックが使う道具や切れ味のいい日本の包丁など使っていないが、素晴らしく美味しいものにもたくさん出会ってきた。
と、偉そうに話したが、私もついつい、道具から入ってしまうことがあって道具に“怒られている”。
私は足掛け15年近く外国の田舎で働きすっかり魅力に取りつかれ、もうすぐ40歳というときに現在暮らしている日本に戻る決意をし、縁あって妻の実家の高山でレストラン主体の宿を営むことになった。
料理を売りにするため新たな土地で食材を探し、宿のために家具などを探していると地方の様々な職人と出会うことが出来た。
土地になじむためにも土地を紐解くためにもいろいろなことを自分でもやってみようと、耕さない不耕起栽培の田んぼを手伝わせていただいたり、食材にするため山からクロモジの木を切ってきたり、茅葺職人の手伝いとして合掌造りの茅葺を手伝わせていただいたり、木工職人の手伝いで椅子の削り出しをし、薪ストーブの為に丸太をチェーンソーで切り落とし、斧で薪を割るなど様々なことをしている。外国ではレストランの人間としか話をしてこなかったが、日本では日本語という使い慣れたツールがあることにより、様々な職人たちと様々な道具で、物が出来ていく過程に触れることができた。
現在も様々なことに関わらせていただいている中で、本当の職人たちは道具もみな自分で作っていたり、こだわりの道具を使っていることに気づいた。
これがまたなんとも魅力的で、土佐の鉈鎌、山形の鋏、越後の槍鉋、とてもキレるとても危険な者達は生半可な素人を寄せ付けない威厳を感じる。田舎で暮らしていると実に様々な道具が必要で、いろいろやってみたい私にはいろいろな道具が必要になってくる。どうせ買うならいい道具が欲しくなってしまい、本物の職人たちが使っている道具が欲しくてたまらなくなってしまう。
そうしているうち自分もいい道具にすぐ目が行ってしまい、道具に愛されることを忘れてしまう。「ああ、あの道具が欲しい!」という病気に侵されているわけである。だからまた「ああ、道具が嫌いだ」となるのである。
買ったところで使いこなせないのもわかっているが、欲しくなってしまう。買ったところで道具に怒られるのはわかりきっているのに。
そんなわけで、道具に愛されるといいと言ってみたり、道具に怒られる自分が嫌いで「道具が嫌い」だの言ってしまうのだ。
道具たちに気に入ってもらえるようにただただやり続けるしかなく、自分の技術力を上げることで、その道具が持っているポテンシャルをどれだけ高められるかは自分次第である。
道具を選ぶということはそもそも道具を選ぶ目利き、使いこなすうえでの技術、使い慣れて手になじんできた年月、などが相まって初めてその道具に認めてもらえるという長い工程が待っている。
昨今マルチタスク的リスクヘッジの名のもとにいろいろなことが出来ることが求められているが、私は1つのことしかできない不器用な職人たちが使う、使い慣れた彼らの相棒のような道具たちに惹かれてしまう。
「ああ、道具が嫌いだ」
中安俊之(なかやす・としゆき)
オーベルジュ飛騨の森オーナー兼シェフ。オーストラリア、イタリアで15年ほど料理人として研鑽を積んだ後、5年前に日本に帰国。そして、1979年よりペンションを経営していた妻の実家がある飛騨高山に移住し、先代から事業を引き継ぐ形で、2016年に宿をリニューアルオープンし、現在へと至る。