(2020.12.13公開)
画面いっぱいに、力強い筆づかいで塗り重ねられた色彩から、陸上や水中の動植物たちが懸命に生きるようすが迫ってくる。描いたのは名古屋にアトリエを構える画家、水上卓哉さんだ。水上さんは12歳のころ交通事故にあい、1ヵ月半昏睡状態となった。その後、両親に支えられながら懸命にリハビリを続け、高次脳機能障害や身体の麻痺などを抱えながら、生命力あふれる独自の表現で絵を描くようになった。「生か死かその境をみたから」こそ、“生きる”ことに興味があると語る水上さん。その創作の根底にあるものとは。
———作品には一貫したテーマがありますか? それはどんなものですか?
はい。2012年から“oneness”をテーマに描いています。“oneness”とは7代先(200年後)の子孫まで美しい地球を残すために、わたしたちが何をすべきかを考えようというネイティブアメリカンの教えです。
oneness=ひとつであること。動物も虫も花もひともたったひとつの地球に住む、ひとつひとつの命に過ぎません。その命を人間だけが採りすぎたり、使いすぎたりしないように、現在を生きるわたしたちがどうすべきか、200年後の子孫を思って判断するということです。
この考えを知ったのは、2009年に京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)通信教育部の高谷好一先生の授業“世界単位研究”を受けたことがきっかけです。そのころからわたしのものごとの判断基準になりました。その後、原田憲一先生の“環境学”“自然学”でも同じことばを聞き、わたしたちには“oneness”が必要だとますます確信を得ることとなりました。
科学者である原田先生に、わたしが「先生がもっとテレビとかに出て訴えてください」というと「君たち芸術を志すひとたち(いちばん平和な考えをもつひとたち)が発信していくのが、いちばん説得力がある」と言われたことにも心を動かされました。そしてこれこそがわたしの使命だと思いました。
芸術家を志すひとたちが平和な考えを持っているというのは、儲けのことばかりを考え経済第一で行動するひとたちとは一線を画しているからです。経済が最優先の価値観では“oneness”を実現することはできません。
大学で先生方の授業を受けたことが、社会の構造についてきちんと知ろうと思うきっかけにもなりました。
———作品の題材はどうやって選んでいますか? また「これを描きたい」と感じるものに共通点はありますか?
まず“oneness”を発信するために何を描いたらよいかを考えました。はじめのうちは、上野公園でパフォーマンスをしていたネイティブアメリカンのミュージシャンを描いたりしましたが、もっと何か直接、わたしが強く受けとれるものはないか……。とずっと探していました。そのうち、わたしにとって輝いてみえるものが“生き生きしたもの”“動きのあるもの”“すれすれのところにあるもの”ということに気がつきました。
“すれすれのところ”とは、大人と子どもや静と動のすれすれ、生物が闘い命がせめぎあっている際などのことで、そこにこそ真実があると感じます。一心に生きる者たちの命の輝きに“oneness”をのせて発信するのが、最も伝わると思うようになりました。
市民農園を借りて畑で野菜を栽培してみたときには、実際に生えている新鮮な野菜に触れ、みたことのないかたちの野菜や大きな葉っぱに生命力を感じ感動しました。水族館に行ったときには「人間にこびを売らない動物たちは、わたしたち人類よりも“地球に対して正しく生きている”」と思ったものです。
それぞれがわたしに発信してくる感覚があって、描きたいものに出会ってしまう。そして“ことばではない会話”をしている感じです。目をみて対話をしているのかもしれません。そこからエネルギーを受けとり、それをわたしは必死に写しとるわけです。
頭から湯気が出るほど没頭して、目で追いながら手を動かす。わたしとモチーフの対話というか闘いというか……。息を止めて走っているような緊張感があります。そうして画面にできた線を、みなさんがオリジナルだとほめてくださる。わたしにとってはモチーフからいただいたものなんですけどね。
また、大学の授業で「地球は生きている星で、人間が上手に使えばあと5億年は大丈夫」と知りました。そのときから、生き物だけではなく、地球そのもののエネルギーも何とか作品にして、わたしなりに“oneness”を発信しようと思い今に至っています。ですから今は自然からヒントをもらっています。
最近は地層に興味が向いています。動物や植物も、フィールドを歩いていれば同じように目がいきますのでモチーフになります。今年はコロナでなかなか取材に出かけられませんでしたが、来週には秋田の後生掛の泥火山に出かけます。大地から泥が噴出しているところを見るのが、すごく楽しみです。しっかり歩けるようにトレーニングもしていますよ。
熱水噴出孔やマグマなどにも興味があります。地球のエネルギーが湧き出ている命の源だと思うからです。
ほかにも本を読んだり、テレビや映画をみたり、音楽を聴いたり、ひとと話したり……。わたしの出会うすべてのものにいつもアンテナを張っています。気になるものがあると実際にみてみたくなります。実際に気になるもののところに出かけていき、わたしの切り取り方で面白いかたちや動き、色をみつけたりします。
現地へ行くと、その場所のひとと話します。すると理解が深くなり、また情報を得て新しい面白さに気がつき、どんどん興味が広がっていくのです。わたしの制作情報ツール=“ひと”なのかもしれません。同じものに興味があるひとに会うと嬉しくなります。
———“生きる”ということに深い興味を感じておられるそうですが、それはなぜですか? 具体的にどんなものやことに“生きる”を感じますか?
なんだろう。生きるの反対……死んでいる? 生きているの反対……動かない? 相反するもののようですが、そのあいだは何か。
興味があるのは、生か死かその境をみたからでしょうか? わたしの知る範囲だけなので情報としては少ないですが“そのあいだ”にあるものは、みんな必死で闘い一心に努力し、一瞬を懸命に生きているように感じます。その瞬間が尊いという感覚が染みつき、ものごとをみるときの基本的な眼となっているのかもしれません。ですから没頭しているもの、一生懸命生きているものに輝きを感じるのだと思います。
以前、佐久島の浜辺でみた、打ち上げられたイルカの骨には興味をひかれました。まだ完全に骨にはなっていなくて、脳が残って腐りかけていました。その状態がかえって、生きてきた証のような気がしました。そのイルカが生きて死に、骨になっていく時間の経過を頭のなかで想像したりします。そして人間の仕業で生き物を苦しめていないといいなと思ったりもします。
地球のために害なものをつくり出さず、自分の目の前だけをみて一生懸命生きる。そして地球の肥やしとなっていくことに、なんだか尊いものを感じるわけです。思うようにならないもの、予測のつかないものに大きな力を感じたりします。必死で生きている生き物には、神聖な何かを感じます。
———どんな場所で、またどれくらいの頻度で絵を描いていますか?
2018年に清須市の新清州にアトリエを建てました。家から車で20分のところで、ミニギャラリーと作業場があります。そこにほぼ毎日、母がつくってくれたお弁当を持参し制作しています。
大作を描くとき、それまでは全体像をみるのに毎日写真を撮りコンビニでプリントしてつなぎ合わせて確認する作業が必要でしたが、やっと作品を並べてみられるようになりました。
だいたい半年ぶんのキャンバスをまとめてつくり、下地を施し制作します。何枚か同時進行で描いていますので、一度に10枚くらい立てかけてあるときもあります。ある絵を乾かしている時間に、ほかの絵を触っているんです。
アトリエに行かないときはモチーフを取材しているか、リハビリで病院に行っているか、展覧会をしているという感じですね。
アトリエを留守にして長期間(1週間ほど)制作できないときは、やりかけたところに戻りやすくする工夫をしています。あまり長く休んでしまうと、感覚が戻るのに時間がかかるからです。はじめはアトリエに入るだけ、次は筆を持つだけ……そうやって、ひとつずつステップを踏んで感覚を取り戻していきます。
———水上さんの絵との出会いについて教えてください。
生まれたときから描いてました(笑)。広告紙の裏に絵を描くことは、物心ついたときにはしていましたね。幼稚園で“お絵かき”の時間に出会い、5歳で近所のお絵かき教室に通い始めました。絵を習うというより先生の顔をみに行って“遊ぶ”という感覚です。工作も楽しかったですね。
毎回テーマが決まっていましたが(例えば:ふゆのあそび、手からはじめにひとを描くなど)、テーマを聞くと描きたいものがもりもり出てきてすぐできあがってしまいました。毎回新しい遊びのルールを、先生が提示してくれるような感じがしていました。
ほんとうに自由に描かせてもらいましたね。その中で、反対にある色“補色”とは何かを自然に覚えました。褒めるのが上手な先生でしたね。そうやって絵を描き集中することで、自分を解放する手段を自然に身に着けたんだと思います。
そして、6年生のとき交通事故で意識不明になりました。
科学者になるか、和太鼓の演奏家になるか、作曲家になるか……。やりたかったことが何もできなくなってしまいました。思うようにならない体と記憶。生きるのに精いっぱい。毎日必死です。早く口から食べものが食べたい。早く退院して家に帰りたい。一呼吸で一音しか話せない。
「お……う……ち……か……え……る」そんな毎日でした。
外泊を許されるようになって、「そこに座っていたことを思い出すだけでいいから」と母に言われ、またお絵かき教室に通うになりました。前のように描けなくても先生は何も言わず、わたしの聞きとれないことばに耳を傾けてくださいました。
はじめはぐるぐる描きでしたが、少しずつ描ける時間は増えていきました。しかし犬などのモデルをみて描いても、とても疲れてすぐ脱線してしまいました。脳が疲れるのです。でも“お絵かき“に行くのは、そこがわたしにとって唯一、ゆっくりとしたマイペースでも、全部できあがらなくても許される、正解がない世界、ほっとできる場所だったからです。
受傷の次の年、それまで毎年参加していた名古屋城景勝保存協会の写生大会なら描いていた記憶があるので、うまく描けるかもしれないと参加しました。でも途中で疲れてしまって思うようにいかず、完成させることができませんでした。その次の年も参加し、描きあげた名古屋城の作品が、以前いただいたことのある“景勝保存協会長賞(1等賞)”を再び受賞しました。わたしには絵が残っていた! と思いました。
———“絵を描くこと”に喜びを感じるようになったのはいつからですか? また絵を描いているとき、どんなことを感じますか?
唯一わたしにできる残されたこと、それが絵の世界だと感じました。ほんの小さな希望でしたが、それがわかっただけでもうれしかったです。ひとに誇れるものがあった! まだ残っていた!! そんな感じです。
油彩に憧れ、色の美しさに感動し「やりたい!」と言ったとき、お絵かきの先生から「最後まで描き切ります。という誓約書を書きなさい」と言われました。新しいハードルです。「絶対あきらめません」と先生に約束し、実際に誓約書を書いて油彩を始めました。色と色が混ざり合う瞬間、補色同士が隣り合ったところにワクワクしたのを覚えています。
高校生になり、美術の先生に美大に行きたいと伝えると「君なら面白いかもしれないね」と言っていただき、デッサンを本格的に始めました。受験勉強というやつです。6時間デッサンを描き続けるというのは、とても大変なことのように感じましたが、それもできるようになりました。やはり頭から湯気が出そうになるほど集中して、必死で描いているとバタンバタンと音がします。そのときはまだ、鉛筆を持ったときに右手が揺れてしまい、力も入りすぎるので、画用紙をはさんだカルトンが大きな音を立てていました。
それを美術研究所では、デッサンをがんばっている「いい音」だと言っていただきました。影をつけるときにも力の調節は思うようにいかないので紙が破れたり、手から血が出たり……。今思うとそんな熱い時間に描いたものはとても尊い画面になっています。今みても一瞬でそのときの情景が蘇ってきます。
油彩は長いあいだかけて、ひとつの作品を完成させます。1年くらいかかった作品もありますし、完成したときはこの上ない喜びがこみ上げてきて、大きな達成感を味わいます。今日はフィニッシュしたからお祝いだ! という感じ。自分の宝物が増えた気がします。
作品を展示し、わたしの言いたいことがひとに伝わったときには、また違った喜びがあります。絵が独り歩きして、自分でしゃべるより多くのことを伝えてくれるのです。ことば以上のものがストレートに一瞬で相手に伝わるのは、絵の世界だからだと思います。そんなとき、この世界を選んでよかったなあと思います。
わたしに直接会わなくても、作品をみて「感動して明日への元気が出た」などと言われると、少し恥ずかしいような嬉しい気持ちになります。そしてわたし自身も新たな感動を得て、また描こうという意欲が湧いてきます。感動がエネルギーとなり、作品を介してその感動エネルギーのキャッチボールをしています。
———“絵を描くこと”は、水上さんにとってどんなことでしょうか?
絵を描くことはわたしにとっての存在証明であり、コミュニケーションツールでもあり、生きるよりどころです。
絵はわたしよりよくしゃべってくれますし、知らないひととも絵の話をすることで一気に仲良くなれたりします。ほかの作家さんの作品とも頭の中で会話できますし、それこそ200年後のひととも世界中のひととも作品を通じて話すことができると思っています。
わたしの絵をみて感動したひとの心が優しくなって争いがなくなり、世界が平和になることが夢でもあります。だから1000年でも2000年でももつ絵を描きたいと思っています。
———「私をここまで回復させてくれたものは芸術の力が大きい」(水上さんのウェブサイトより)とのことですが、水上さんを回復させた芸術について、あらためてお聞かせください。そして、なぜ芸術にそのような力があるのだと思いますか?
“芸術の力”は大いに感じています。わたしの場合、壊れたのは脳の軸索(じくさく)というところで、これはネットワークが寸断されたような状態だそうです。だから何でもゆっくりです。
もともと芸術に親しんでいたということもあるかもしれません。芸術に触れることがわたしにとって最も効果的なリハビリとなったのは、“芸術は楽しいもの”という記憶が残っていたことが理由かと思われます。そしてその楽しいことを、自ら追求するのはさらに楽しく、難しいことがあればあるほど、できたときの嬉しさは倍増するのです。
入院中、初めて生で好きな音楽を聴いたときは、砂漠でオアシスに出会ったようでした。それが呼び水になり、いろいろなものがするすると記憶の底から湧き上がってきた感覚もありました。
また、わたしが回復していくために、残されていた力=“意欲”がとても大事だったと思います。人間は楽しいことしかがんばれないと感じます。わたしの中に残っていた芸術の心は、楽しさを感じることで意欲を刺激してくれました。例えばどんな色を選ぼうかというときに、「この色だ」と脳が動き出す感覚を感じることができました。
選ぶ=“意欲”です。脳が壊れてしまったとき、自己決定はとても大きな一歩です。それを積み重ねて、作品を完成させる喜びを味わうことが、わたしの脳を回復させたといっても過言ではありません。そして芸術は、わたしが回復するペースに合わせて、少しずつ次への課題を与えてくれているような気がしています。
障害を負い、体が思い通りに動かない閉ざされた状態だからこそ、わたしは自分の中に起こる感覚に敏感になりました。手足の硬さがとれる感覚がわかるように、脳が動きだす感覚を感じるのです。
———特に思い出深い作品について教えてください。それにはどんな理由がありますか?
すべて思い出があり、没頭して描いていた痕跡を懐かしく思うときもあります。思い出深い作品は……ぜんぶわたしの子どものようですから。強いてあげれば、シェル美術賞に初めて入選した《ともに生きる》(2016年)、FACE 2019 損保ジャパン日本興亜美術賞に入選した《またここで会おう》(2018年)、杉板に描いた《龍になれ》(2019年)は思い入れがあります。
《ともに生きる》は、イソギンチャクとクマノミが互いに助け合って生きているところに自分を重ねた作品です。自分で紅茶を煮詰めてつくった“紅茶インク”を使い始めたころでもありますね。
《またここで会おう》は、初めて蓮池をみたとき“ここは時空を超えて会いたいひとに会える場所”だと感じ、その思いをのせています。
《龍になれ!》は杉板の木目を活かした作品が描きたくて、材料を調達し、板の反りと闘い克服した経緯があるので思い出深いです。展覧会場で高さ4mほどの作品を見上げたときは、うまくいった!! と思いました。
———今後の展望をお聞かせください。
近くは1月に名古屋で個展※があります。絵を通していろいろなひとに巡り会い、話を聞いてみたいです。絵画以外の世界のひとがどんなことを考えているのか知りたいんです。まだまだ勉強することはいっぱいあって、知らないことだらけです。
地学も自然も伝統文化ももっと知りたい。展示の方法によって作品がどうみえるのかももっと研究したいと思っています。
ほかのジャンルのひととコラボするのも楽しそうですね。最近名古屋市の商工会に入ったので、異業種の方と一緒にまちづくりにも協力できればうれしいです。
コロナが終息したときには、海外にも行ってみたいですね。スペインのプラド美術館やアイスランドの火山など……。興味の向くままにもっといろんなものをみて、描いていきたいと思います。そして世界にも発信できる作家になりたいです。
※【個展】
『VOICE-地球の声をきく- 水上卓哉 絵画展』
2021年1月13日(水)~19日(火)
名古屋三越栄店 8階ジャパネスクギャラリー
取材・構成 大迫知信
2020.10.16 オンライン通話にて、水上さんの母・真由美さん同席のもとインタビュー。
記事は水上さんの文章による質問への回答と、インタビューの内容により構成しています。
水上卓哉(みずかみ・たくや)
アトリエTAKUYA
http://www.atelier-takuya.com
1990
名古屋市生まれ。
12歳の時の交通事故が原因で身体・言語・高次脳に障害がのこる。
2017
京都造形芸術大学大学院芸術研究科(通信教育)芸術環境専攻修士課程 美術・工芸領域洋画分野修了。
現代美術家協会会員。名古屋商工会議所会員。
個展
2010
「はじめの一歩」(名古屋銀行小田井支店)愛知
2011
「一筆の祈り」(銀座 大黒屋ギャラリー)東京
2012
「oneness ~ひとつの命~」(名古屋銀行小田井支店)愛知
2014
「水上卓哉展 楽しんで生きてる?」(ギャラリー東別院)愛知、真宗大谷派名古屋別院教化事業部主催
名古屋市人権週間記念企画展「水上卓哉作品展 200 年後の対話」(なごや人権啓発センター ソレイユプラザなごや)愛知
2018
Galeria 卓オープン記念「伝えたい想いは変わらない」(Galeria 卓)愛知
「水上卓哉作品展『ここから・・・』~初個展から今までをたどる~(名古屋銀行小田井支店)愛知、名古屋銀行小田井支店主催
2019
「生きてく証」(名古屋栄三越 ジャパネスクギャラリー)愛知
「またここで会おう」(ガルリ ラぺ)愛知
2020
「地球からの手紙」(大丸京都店)京都
グループ展
2011~
全国公募現展毎年入選(国立新美術館)東京、(愛知県美術館)愛知、(大阪市立美術館)大阪
2016
第16 回全国障害者芸術文化祭 招待展示(愛知県美術館)愛知
2017
Prologue ⅩⅢ展:シェル美術賞入選者選抜展(Gallery Art Point)東京
2018
パティオ池鯉鮒(知立文化センター)特別展「おーえん展(〇〇展)」(パティオ池鯉鮒 知立文化センター)愛知
他多数
受賞
2015
Big-i アートプロジェクト2015 入賞
2016
シェル美術賞2016 入選
第72回現展 名古屋移動展 中日新聞社賞
2017
京都造形芸術大学(通信教育)修了制作展 研究室優秀賞
第73回現展 クサカベ賞 及び準会員推挙
第2回融合・国際障害者芸術展(日本代表) ベスト創造賞
武漢市障害者博物館に収蔵
2018
第229回ル・サロン2019 入選
シェル美術賞2018 入選
2019
FACE 2019 損保ジャパン日本興亜美術賞 入選
アートワーク
2010 – 2019
「名古屋少年少女合唱団が贈るクリスマスコンサート」チラシ原画担当
2018
中日新聞 歌壇俳壇 カット担当
大迫知信(おおさこ・とものぶ)
京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)文芸表現学科を卒業後、大阪在住のフリーランスライターとなる。自身の祖母の手料理とエピソードを綴るウェブサイト『おばあめし』を日々更新中。祖母とともに京都新聞に掲載。NHK「サラメシ」やTBS「新・情報7DAYS ニュースキャスター」読売テレビ「かんさい情報ネットten.」など、テレビにも取り上げられる。京都芸術大学非常勤講師。
おばあめし:https://obaameshi.com/
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