アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

最新記事 編集部から新しい情報をご紹介。

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

このページをシェア Twitter facebook
#77

老舗染工場から生まれた“気持ちの良い”テキスタイル
― 山元桂子

(2019.04.05公開)

京都壬生の老舗染工場の技術を活かしたテキスタイルブランド、ケイコロールを主宰する山元桂子さん。美術作家として活動していた山元さんは2009年、結婚を機に、夫が4代目当主つとめる山元染工場で舞台衣裳を制作するようになった。山元染工場の伝統的な技術を、山元さんはどうやって身につけ、どのような衣裳をつくっているのだろうか。また、その技術を取り入れた新たなブランド、ケイコロールを立ち上げたのはなぜだろうか。話をうかがうと、作り手が自分にしかできないものを生み出すために、必要なことがみえてきた。

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_10

山元染工場内の様子。長い布地のデザインを描き、柄を染めるための台が並んでいる

山元染工場内の様子。長い布地のデザインを描き、柄を染めるための台が並んでいる

———山元染工場では、どんな染物をつくっているのでしょうか?

山元染工場は、昭和5年に創業して、今年で90年になります。これまでずっと、舞台やテレビドラマで使う和装の衣裳を専門につくってきました。おもに使っている技法は、模様のかたちがくりぬいてある型紙の上から色を染め、生地に模様をつける型友禅というものです。創業以来、さまざまな模様の衣装を制作してきたので、型紙の数は10万枚を越えています。
舞台やドラマの衣装というのは、どれも一点もので、色や模様がひとつずつ違うんですね。単におしゃれにみえるというより、その役柄の年齢、職業、家庭環境、そして舞台となる時代背景などが伝わるデザインが求められます。
そうしたご要望に応えるために、山元染工場では、衣裳のデザインから染め、仕立てまですべて手掛けています。京都の一般的な染屋さんでは、作業がとても細かく分かれています。例えば一着の着物をつくるときも、ある柄だけを染める染屋があって、その柄の中でも種類が3つほどあって、またさらに……というふうに細分化されているんです。
同じ着物をたくさんつくる場合は、そのほうが効率的です。でも一点ものの舞台衣裳をいくつもつくるとなると、工程を細かく分けていたらなかなか完成しませんよね(笑)。

———だから役柄に合わせたさまざまな衣装を、山元染工場だけでつくっているんですね。

そうなんです。それに必要があれば、型友禅以外の技法も使って染色しています。このあいだも、生地に直接、筆で絵を描く手描き友禅で舞台衣裳を制作しました。
衣裳を着る役の設定や時代背景などをうかがって、それに応じたデザインを臨機応変につくり出していくんです。一般的な着物では絶対にやらない、わざと汚れたような加工をすることもあります。ですから山元染工場は、染産業の中でもとても特殊な伝統工芸の技術を受け継いできたんです。現在は夫の宏泰が4代目の当主で、その母とアルバイトの方がひとり、そしてわたしの4人でやっています。

生地を染める山元さん。壁一面に色鮮やかなケイコロールの布地が貼られている

生地を染める山元さん。壁一面に色鮮やかなケイコロールの布地が貼られている

———山元さんが染織の道にすすんだのはなぜでしょうか?

わたしの出身は三重の志摩半島です。景色がよくていいところですが、伝統工芸に触れるような機会はぜんぜんなかったですね。高校時代は美術部で絵を描いていました。たくさんの色を使うことが好きで、大学はいちばん色を使いそうな染織コースに入りました。はじめは染織が好きというより、なんとなく楽しそうだからという直感で選んだ感じですね。それが結果的に、わたしに合っていたんだと思います。
転機になったのは、大学院にすすんだときに言われた、指導教員の八幡はるみ先生のことばです。わたしはそのとき、染織領域に身を置いていたのですが、現代美術の作品をつくっていたんですね。すると八幡先生が、「今のうちに京都の伝統的な技術を身に着けておいたほうがいいよ」というようなことをおっしゃったんです。
たしかにそれはとても大事なことだと感じました。わたし自身、美術作品を制作するなかで、作り手として独自のアイデンティティを身に着けたいと思っていました。京都の伝統技術を習得できれば、自分の核となる深いアイデンティティが生まれるはずです。そう思って、修士の一年時に京都市産業技術研究所というところに3ヶ月ほど通い、手描き友禅の基礎を学びました。
それに夫と出会ったのも、京都市産業技術研究所だったんです。それから大学院を修了した翌年の2009年に結婚しました。

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_b

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_a

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_6

紙にデザインを下描きして、型紙を使って布を染め上げていく

紙にデザインを下描きして、型紙を使って布を染め上げていく

———山元染工場で働くようになり、型友禅をはじめとした技法は、どうやって身に着けたのでしょうか?

そこは家族の特権で、夫や母とただ一緒にいるだけで学んでいることがあるんですね。生活と仕事が一体になっているので、贅沢に時間をかけて、やりかたを身に着けてきました。例えば、忙しそうにしている母の隣に行って何時間も作業を手伝ったりしていると、一連の流れを自然に覚えます。いまだに母には「ここは、こうするんやで」と、手取り足取り教えてもらったことはないですね。
従業員の立場だと、決められた労働時間のなかでものをつくるので、あまり時間をかけるわけにはいきません。家族だと、長い時間を同じ空間に一緒に過ごすというだけで、みえてくるものがある気がします。労働時間が長くなりがちというデメリットもありますが、技術を習得するという意味では贅沢な学びのプロセスだと思います。

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_13

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_f

色鮮やかなケイコロールのファブリック

色鮮やかなケイコロールのファブリック

———その後、新たなテキスタイルブランド、ケイコロールを立ち上げたのには、どんな経緯があるのでしょうか?

ケイコロールを立ち上げた2016年に、息子が保育園に入ったんですね。その保育園では、卒園する子どもたちに、在園児の親が記念品をプレゼントするという習わしがありました。在園児のお母さんのなかに、わたしが染屋だということを知っている方がいて、「なにかできひん?」と気軽な感じで相談されたんです。
それを引き受けて生地を染めてみたら、とてもかわいいテキスタイルができたんですよ。山元染工場の伝統的な染物が、現代バージョンになった感じがありました。実は山元染工場の技術を活かした、独自性があって今でもふつうに使える染物をつくりたいと、何年も前から思っていたんです。
12年に1人目、15年に2人目を出産して、舞台衣裳の仕事と並行して子育てもしていました。その合間の時間にも、手を動かして試しにいろいろつくっていました。でも、かわいいけど手間がかかりすぎるとか、色や柄のバランスがいまいちだとかで、うまくできずにいました。ところが卒園する子どもたちの顔を思い浮かべながら試しにつくってみると、デザイン的にも技術的にも気持ちの良いと思えるものができたんです。
このテキスタイルを扱うブランドをつくれば、山元染工場がこれまでに培ってきたものを舞台衣裳とは違うかたちで発信することができます。そして山元染工場について、より多くの人に知っていただけます。それがケイコロールを立ち上げたきっかけですね。

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_e

ケイコロールは山元染工場で受け継がれてきた模様や技法と、山元さんの感性が融合して誕生した

ケイコロールは山元染工場で受け継がれてきた模様や技法と、山元さんの感性が融合して誕生した

———ケイコロールの特徴を教えてください。

今お話したように、ケイコロールは山元染工場独自の古典柄の型紙を使っています。その古典柄を、わたしが気持ちがいいと感じる色の構成にしていることが特徴です。たくさんの色を使うことが好きなので、カラフルな色合いのものが多いですね。
それに多少の色のかすれやにじみ、はみ出しなどもあえて残しています。いろんな色を重ねるときれいな発色ばかりではなく、組み合わせによっては濁った色になったりもします。でもそういった部分も、デザインとして残しているんです。ただなんとなく味があるからという理由ではなくて、手仕事の痕跡を残すことを大事にしているからです。

———他にはないものをつくるために、手づくりであるという特徴を生かしているんですね。

そうですね。大量生産のさまざまな製品が流通しているなかで、均一で流行に乗ったものをつくっても意味がないですし、埋もれてしまいます。多種多様な製品を生産している大きな企業でも、真似ができない部分が手づくりであるということです。
手仕事の跡をデザインとして残すことで、他にはない個性になるんです。かすれやにじみ、色の重なりといったものは、一歩間違えると汚くなってしまいます。そうならないように気を付けていますし、かわいいというより、デザインとして格好良いかどうか、気持ち良いかを強く意識しています。
ケイコロールがこれからも長く愛されるブランドになるかどうかは、いかに独自のアイデンティティを守っていくか。そこに尽きると思っています。手づくりであるということをはじめ、山元染工場独自の技術わたし自身が培ってきたものといった特徴をひとつにした、ケイコロールにしかできないものをこれからも追求していきたいです。

使い終わった道具を洗う山元さん

使い終わった道具を洗う山元さん

使い込まれた数多くのブラシ

使い込まれた数多くのブラシ

———山元染工場で働きながら、新たにケイコロールも立ち上げ、それを続けていくモチベーションはどこからくるのでしょうか?

自分の子どもを育て上げて、心配をかけないようにするためには、あと30年は仕事をやめられないですね。その30年、何をどうやって続けていけばいいのか。自分がやるべきことについて考えるとき、発端はいつもそこなんですよ。
お金を稼いで食べていくというだけなら、例えばパン屋さんのアルバイトとか、わたしだけ別の分野の仕事をしたほうがいいんです。ダブルインカムでリスク分散ができるので、経済的には健全なんです。
だけどわたしには、30年もパン屋さんのアルバイトはできないんです。これまでの経験で育ててきた、自分の中のクリエイティビティを発揮できないと、たぶん30年ももちません。
30年間、食べていくためには、自分のクリエイティビティを発揮し、その独自性を“褒めてもらうこと”が大切だと思っています。“山元染工場、山元桂子だから良い”という具合に褒めてもらわなければ、続けるパワーが湧いてきません。そして、続けられないと食べていけないですし、食べないと続けることもできません。
そこでどうすればいいのか考えてたどりついた持続可能な働き方が山元染工場で働きながらケイコロールを立ち上げるという今のかたちだったんですね。

———ケイコロールは“好きなものをつくりたい”という思いから生まれたというよりは、“30年間食べていくため”に生まれたブランドなんですね。

そういうことですね。ただ、山元染工場もケイコロールも切っても切り離せない、タイヤの両輪のようなものだと思っています。例えば舞台衣裳を制作しても、山元染工場のクリエイティブな部分に日の目が当たることは、なかなかありません。それは決して悪いことではありませんが、他にはできないことをやっているわけですから、もっと知られてもいいはずです。ケイコロールを通じて、山元染工場が培ってきた歴史や技法などについても伝わればいいと思います。
一方、ケイコロールでは、山元染工場がもっているノウハウを活用しています。BEAMS JAPANさんやJR京都伊勢丹さんとコラボレーションした商品をつくった際に、「こうしてほしい」と提案された条件がありました。その宿題にフレキシブルに答えて、ものづくりができたのも山元染工場で培った仕事の仕方が活きていたからです。
これからも、山元染工場とケイコロールを楽しみながら長く続けていきたいですね。

取材・文 大迫知信
2019.02.28 京都壬生にある山元染工場にてインタビュー

UNADJUSTEDNONRAW_thumb_5

山元桂子(やまもと・けいこ)

1983年三重県生まれ。2008年京都造形芸術大学大学院芸術表現専攻修了。その翌年、結婚を機に、夫の実家である山元染工場で働くようになる。昭和5年の創業以来、テレビや映画、舞台など、時代劇の衣装を手掛けてきた山元染工場で、衣装のデザインや型友禅染めをはじめとする染織の腕を磨く。16年に山元染工場の伝統技法と、独自の色彩感覚を融合させた新たなテキスタイルブランド、ケイコロールを立ち上げる。そのテキスタイルは、多くの色と柄を重ね合わせた鮮やかな色合いと、手づくりの温かい風合いが特徴。京都市と京都伝統産業ふれあい館が開催する「京ものユースコンペティション2017」では、出品した〈あずまトート〉が準グランプリに選ばれる。テレビや雑誌などメディア出演多数。

ケイコロール:https://www.keikoroll.com/
山元染工場:http://www.yamamoto-some.jp/


大迫知信(おおさこ・とものぶ)

大阪工業大学大学院電気電子工学専攻を修了し沖縄電力に勤務。その後、京都造形芸術大学文芸表現学科を卒業。大阪在住のフリーランスライターとなる。経済誌『Forbes JAPAN』や教育専門誌などで記事を執筆。自身の祖母がつくる料理とエピソードを綴るウェブサイト『おばあめし』を日々更新中(https://obaameshi.com/)。京都造形芸術大学非常勤講師。