(2018.01.05公開)
「Yotta」(以下ヨタ)は、山脇弘道さんと木崎公隆さんによるアートユニット。デコトラを彷彿とさせるド派手な外見に、オリジナルの「石焼イモ~♪」を流しながら焼き芋を販売する《金時》や、巨大こけしの足元に足湯が装備された《花子》など、思わず誰もが立ち止まり、触れてみたくなる作品ばかりだ。それも、惹きつけるのはアートに関心のあるひとだけではない。今回は山脇さんに、ヨタでの活動についてうかがった。
———ヨタの活動が始まったのは2010年とのことですが、結成のきっかけを教えてください。
大学を卒業してフラフラしていたら、同期の友達に京都造形芸術大学の創造学習センター(当時は芸術教養教育センター)で働いている木崎さんと金谷耕児さんを紹介されて。最初は木崎さんと、金谷さんの3人で、遊びが仕事になったらいいねって感じでやっていて、アートをやろうと思ってはなかった。クライアントに、こんな風にビルのライトアップをしませんかって提案をしたりとか。もともと木崎さんと金谷さんはふたりでものをつくっていて、僕はそこに入ったような感じ。3人の時は「Yotta Groove(ヨタグルーヴ)」って名前で、木崎さんとふたり体制になってから今のヨタになった。
———はじめはクライアントがいて、楽しいけどあくまでも「仕事」だった活動から、アートユニットとして活動するきっかけはなんだったんですか?
現代美術家の椿昇さんが「六本木アートナイト2010」に出す時、技術者として呼ばれたんです。映像を使うからセッティングとか仕込みの搬入を手伝ってくれへんかと言われて。せっかく行くんやったら僕らも何かつくろうということになって、ちょうど寒い時期だったから焼き芋屋さんをすることになった。それがはじめて、特にクライアントもなくつくったデビュー作の《金時》。
———《金時》はその派手な外見に対し、中身は石焼き芋屋さんっていうギャップがありますが、そういったデザインにしようと思ったのは?
つくりはじめた時、僕らが好きだった、今後なくなっていきそうなものを組み込もう、ということになって。焼き芋屋さんって、もともとは大きな壺の中で芋を焼く、「つぼ焼き」が始まりで、それがリアカーでの移動販売に変わり、そのあとは軽トラになった。僕らが知っているのは軽トラの頃なんだけど、軽トラでやっても普通だから、デコトラにしようと。小さい頃、夜、高速道路に行くとデコトラが止まっていて、ピカピカ光っていて楽しかったのよ。かっこいいし、子ども心にくすぐられていて。でも今は「ヤンキーみたいなひとが出入りして……」って荷物を預けるお客さんが嫌がるから、どんどん減っていっているのね。それは寂しいと思って《金時》はデコトラにしようと。でも、ただのトラックでやっても普通だから、焼き芋屋さんに似合わなそうな車にしようと「センチュリー」っていうトヨタの最高級車を選んだ。政治家や社長が乗るような車で、庶民の食べものを売る車をつくろうと思ったんです。
僕らの小さい頃、焼き芋屋さんって高かったのよ。高いくせに芋はカスカスだったりして、騙された気持ちになったりとか。デコトラもそうだけど、猥雑さがギリギリ残っていた。綺麗じゃないものに子ども心は憧れたりしていて。焼き芋屋さんに騙されるような体験は、今の子どもにもあったほうがいいんじゃないかな。
———でも、《金時》はすごく美味しい焼き芋を提供しているというのも、またギャップですよね。作品の鑑賞者は、子どもを対象にしているとか?
全然そんなことはない。対象は設定していないけど、どちらかというとアートに親しんでないひとの方に向いているよね。イベントに呼ばれることが増えてきたけど、それもアートフェスティバルとかじゃなくて、業者のイベントとかマルシェとかで。アーティストとして呼ばれないことがあるのもヨタのひとつの特徴だと思っていて。日本中にあるイベントを総体として見ると、アート以外の方が多いもんね。僕らも、アートイベントじゃないと行かへんってこともないし、スケジュールと予算が合えば行くようにしている。
———この《金時》は「イッテキマスNIPPONシリーズ」の第1弾ということですが、その時点ではすでにシリーズ化する構想があったんですか?
作品がひとつに収まらないだろうから、シリーズ化しようと話していたんです。僕らは大阪出身なんやけど、大阪って実は盆踊りが有名なまち。盆踊りと聞くと若者のイメージがないけど、僕らはかっこいいと思っていて。そういう小さい頃にはあった日本的なものがなくなっていくのが寂しいなって話をしていて。盆踊りもそうだけど、やり方を変えてもう一回する、つくり直すことをシリーズ化しようと思った。現在「イッテキマスNIPPONシリーズ」は、この《金時》とこけしの《花子》《ポン菓子製造マシン「穀」》《青空カラオケ》の4つあります。
小さい頃、近くの団地にポン菓子の製造マシーンがよく来て、お金とお米を持って行ったら、おじさんが目の前でポンってつくってくれていたのよ。ポン菓子は九州が発祥地だから東京のひとはあまり知らないけど、ポン菓子も石焼イモも日本のお菓子のひとつ。カラオケも普通のひとが歌えるし、こけしの《花子》は足元に足湯をつくって、誰でも入れるようにした。日本人だったらちょっとだけでも知っていて、アクセスが難しくないものを共通言語として作品に使っている感じかな。すごくローカルなものでも、日本人のためにつくられたものは日本人にとっては、見たこともない海外から輸入したアートより馴染みがあると思うのよね。
———ヨタの作品は、個人の小さい頃の記憶が強く結びついていると思うのですが、山脇さん自身もそういったアートをつくりたいと思われていたんですか?
基本的にはヨタとして考えているけど、個人としても、焼き芋屋さんもポン菓子も面白いなと思う。もしくは、小さい頃面白いと思っていたことを基本的なテーマにしているね。ヨタでつくった《青空カラオケ》で言うと、昔、大阪の天王寺に違法カラオケ店があったのね。天王寺公園の一角を占拠してお店を出して、1曲100円ぐらいで歌える、通称「青空カラオケ」があった。飛田新地や釜ヶ崎が近いこともあって、日雇い労働者のおっちゃんがいっぱい歌いに来ていた。20年近く続いていて、大阪にオリンピックを誘致する時に消えなあかんことになって全部撤去されるまで、大阪におっさんの歌声が鳴り響いていたのよ。うちの親父が歌っているのが聞こえて恥ずかしかった記憶もあったり(笑)。カラオケって、すごく個人的なものじゃない。青空カラオケはそれを無理やり共有させられるような空間。昔は恥ずかしいと思うこともあったけど、今は結構いいと思っていて。逆の言い方をすると、美術館より、こういったおじさんの話とか、デコトラを運転しているひとのつくりこみやアイデアとかのほうが面白いのよ。ヨタでは、そういうのを借りているぐらいの感覚かもしれない。アートに興味がないひとでも巻き込めるような仕組みを中心に考えているね。
———ひとりではなく、チームで制作することについてはどう思われていますか?
昔はアーティストってピカソだったらピカソ、デュシャンだったらデュシャンってひとりの名前が全てだったと思うけど、僕らの上の世代からチーム制をはじめたイメージがあります。パラモデルさんや明和電機さん、Chim↑Pomさんを筆頭にかもしれないけど、グループに可能性があると思ったんやろうね。
僕も個人より、漠然とだけどグループの方が可能性を感じる。例えばひとりやったら、石なら石っていう風にメディウムを固定することが多いと思う。チーム制がいいと思っているのは、メディウムにとらわれへんから。ヨタの場合、なんとなくお互いの得意な事と、不得意な事で役割が分かれていて、大道具と小道具くらいの分け方をしている。でも、だいたいの案が、技術的に他のひとの手を借りないとつくれなくなっていて。そこで知り合いの鉄工所のおっちゃんとか、ステンレスに詳しい友達とか、風船屋さんとか、プログラムを組めるひとに頼む。ひとりだとひとつの考え方になっちゃうけど、僕らは2人かそれ以上のひとがチームに加わることもあるから、いろんな考えが入ってきたりして。チームで制作することはもちろんストレスはあるけど(笑)、それを考えても可能性の方が大きいと思う。
———制作以外にも昨年は「のせでんアートライン2017」のアートプロデュースもされましたが、これはどういった内容になりましたか?
アーティストを22組呼んで、ワークショップばかりの芸術祭をやりました。僕、京都造形芸術大の「マンデイプロジェクト」(京都造形芸術大学の1年次プログラム。毎週月曜日にさまざまなワークショップを行う)の講師をやっていることもあって、ワークショップが好きなのよ。美術館だと1、2時間使って何か作家と同じような体験をすると思うけど、マンデーって1日かけてするじゃない? 先生が指導っていうよりも先導しているだけで、学生が主体になる関係も好きで。そういう体験がたくさんできたらいいなと思って、ワークショップを芸術祭にしてみた。
2年前は出展者として招聘してもらった芸術祭やけど、そんなにアートが受け入れてもらえる場所ではないなと思っていて。普通の芸術祭をオーダーされたけど、まずは見方なり楽しみ方をワークショップで体験したらどうかと思って。地元の小学校でアーティストと一緒にワークショップをしたり、夏休みに入ったら外部から来てもらったり。芸術祭でも、作品を観るだけじゃなくて関われる場所をつくりたいなと思っているから。その考えがやっぱり「ヨタ」的だと思う。それに、集団でするワークショップは日本的だなと思っていて。そもそもアートは海外から輸入されたものだけど、グループでのワークショップは日本のために翻訳されたアートって感じがして結構気に入っている。
———近々の予定はどんなものがありますか?
2018年にはヨタの個展をやりたいなと思っているところで。まだ企画を考えている段階で具体的には進んでないけど、路上でやりたいなと思っています。
———ヨタの活動を知るうえで、路上や「外」は重要なキーワードですね。
そうなんですよ。それは、美術館のなかより外の方に届けたいひとが多いってこともあるし、「美術」と言ってしまうといろんなことに言い訳ができてしまう。でも、外だと全然言い訳がきかない。それに、僕らが外に出た理由は、ちょっとでもまちが面白くなればいいなと思ったから。そういうコンセプトでだったら、美術館でやるより外でやった方がいいよね。たとえ見たひとにアートだと思われなくても。
取材・文 浪花朱音
2017.12.04 オンライン通話にてインタビュー
1983年大阪府吹田市生まれ。京都造形芸術大学映像舞台芸術学科卒。卒業後のフリーランスを経て、現代アートユニット・Yotta(ヨタ)を結成。京都造形芸術大学非常勤講師。
木崎公隆・山脇弘道からなる現代アートのユニット。2010 年結成。ジャンルや枠組み、ルールや不文律など、あらゆる価値観の境界線上を発表の場としており、それらを融解させるような作品制作を行っている。現在は、自分達のアイデンティティから世界のカタチを捉え直す作品シリーズを制作中。2015年に《金時》で第18 回岡本太郎現代芸術賞 岡本太郎賞受賞ほか、 六本木アートナイト2010,2012、おおさかカンヴァス2011,2012,2016、Reborn-Art Festival 2017など参加多数。その他、のせでんアートライン2017のプロデュース、小学校でのワークショッププログラムの実施など、幅広く活動。
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて、書籍の編集・執筆に携わる。退職後はフリーランスとして仕事をする傍ら、京都岡崎 蔦屋書店にてブックコンシェルジュも担当。現在はポーランドに住居を移し、ライティングを中心に活動中。