(2015.11.05公開)
クラシックギターを中心としたCD制作を行う、ウッドノート・スタジオ。代表の笹井慎二さんが制作から流通にいたるまでのすべてをひとりで行う、いわば「ひとりレコード会社」だ。好きなことを一生の仕事にすることは容易くない。そんな考えを覆すかのように、一貫して音楽を天職にしている笹井さんからは、仕事の枠だけに留まらないことの大切さを垣間見ることができる。
——そもそも、ご自身の仕事・表現方法として音楽を選んだきっかけはなんだったのでしょうか。
わたしが中・高校生のころといえば、フォークソングブームのまっただなかでした。御多分に漏れず、兄がギターを買ってきたのが小学校高学年のころで、時々借りて弾いていたことがはじまりです。最初はフォークソングに興味があったのですが、高校生のころクラシック音楽に目覚めました。当時、名曲交響曲のLPレコード10枚セットなるものが売っていたのですが、何を思ったのか親にねだったんです。ベートーヴェンの「交響曲第9番」を聴いたとき、「こんなにすごい音楽があるんだ」と思いました。ポケットスコアを見ながら聴いていたら、聴こえてくる音のとおりに楽譜が動いているのも、ますますおもしろく感じて。
その後は関西学院大学の文学部美学科に進み、音楽美学について学びました。その傍ら、クラシックギタークラブに入り、4年間ギター演奏にのめり込みました。ちょうどギターとクラシックの興味が交差した点が、クラシックギターだったのです。
——学生のころから、音楽を仕事にしたい気持ちは強かったのでしょうか?
ギタリストになるには、いくらなんでも出だしが遅すぎました。子どものころからクラシックギター一辺倒ぐらいじゃないと、無理だろうと諦めていたんです。ただ、音楽関係の仕事には就きたいと思っていました。
まず入社した株式会社星光堂は、レコード流通の大手会社です。わたしは販売店からの注文に対してレコードを棚からピックアップし梱包、配送するという仕事をしていました。ですが流通の仕事は、「右から左」が基本。完成したものを受け渡していく作業なので、他の仕事ができればと考えるようになりました。タイミングよく、ギターを習っていた先生を通じてCD制作会社サウンド・マトリクスの社長に出会いました。小さいレコード会社とはいえギター音楽にも力を入れていることもあり、おもしろそうだと思い転職したんです。入社後は営業担当に就く予定だったのですが、ディレクター業にも携わるようになりました。レコーディング現場を整理し、進行する業務からはじまり、後に録音のディレクションから、曲の編集まで担当するようになりました。
——音楽を売る側からつくる側になったのですね。
当時はデジタルレコーディングの黎明期で、パソコンで曲を切り貼りするような編集システムができたばかりでした。録音したデータを破損することなく、部分ごとにくっつけて曲をつくることのできる「ノンディストラクティブ編集」という技術です。ワンシステムだけで数百万円と当時は大変高価なものでした。ですが最新技術を身につけたおかげで、「録音のことなら笹井さんに」と、ギタリストの間で名が知られるようになったんです。
しかし、サウンド・マトリクスがCD制作から撤退することになり、機材やマイクが残っていたんですね。それを安くゆずってもらい、退職金のほとんどをはたいて買ったんです。後々はこれらの機材を使って独立しよう、という考えはありました。
——しかし今度は一変して、ギター専門雑誌などを発行する、現代ギター社に入社されています。そこではどのような仕事をされましたか?
そこでは雑誌や曲集の編集業務に携わりました。大阪にギター専門店を開店することになり、一時期大阪店の店長を勤めたことも。ですが数年後、大阪店を閉めることが決まり、東京本社に戻るか退職するかの選択を言い渡されました。すぐに辞めて独立する決意はできなかったので、本社に戻り、また編集や営業の仕事をする傍ら、現代ギター社で販売する録音の仕事も再開しました。以前安くゆずってもらった機材を基に、ひととおりCD制作ができる環境を少しずつ自分でつくりあげ、それを会社の仕事にも使っていたのです。
——そして生まれ故郷の京都に戻り、ウッドノート・スタジオを設立。CD制作・販売における何か一部に特化するのではなく、そのすべての工程をひとりでされていますね。
星光堂では流通のしくみ、サウンド・マトリクスではCD制作のノウハウ、現代ギター社では販売や印刷の工程、記事の書き方などを身につけました。すべてがCD制作にダイレクトにつながるんです。そして何より、数社経験したなかでもCDをつくることが一番おもしろかった。録音で苦労したり、今思えば雑なジャケットデザインだったりしても、できあがったときのよろこびや達成感は忘れられませんでした。独立するなら、またそんな仕事がしたい。CD制作も、今のスキルならひとりでもできるだろうと思い、まさに4畳半一間でウッドノート・スタジオをはじめました。
——制作で気をつけていることはありますか?
要となる音の録音において、特殊なことはしていません。多くがギターソロか二重奏、大きくて室内楽くらいなので、何本もマイクを立てるような大規模な録音はなく、比較的シンプルな形式をとっています。メインのマイクと残響用のマイクを立て、音をミックスさせていく方法ですね。気をつけることは音の距離感。ステレオで音楽を流したとき、ギターの音像がものすごく大きく聴こえたり、逆に遥か遠くに小さく聴こえたりするのはよくないんです。スピーカーの真ん中でギターを弾いている姿が浮かぶように、響きや距離感を調整しています。CDを通して聴いたとき心地よいように、曲間のタイミングも呼吸感に注意して整えています。
基本的には「来るものは拒まず」の考えで、依頼があれば何とかかたちにしたいと思っています。演奏者の要望に合わせて、CDという完成品につくり上げていくのがわたしの仕事です。選曲を大きく変えるのではなく、曲順を変えたりコンセプトをたてたりし、CDにストーリー性をつくる提案などもしていますね。
——やはりギター音楽が中心なのは、笹井さんご自身がギターを弾いていることも大きいですか?
前職からギタリストとコネクションができていたので、自然とギター音楽が中心になっていますし、もちろんわたしがギターを弾いていることも大きいと思います。録音の際、ギタリストがどんなことを気にしているのか、音を聴けばおおよそわかります。音程や弾き方など細かく指示を入れるので、「良質なレッスンを受けているみたい」といわれたことも(笑)。演奏者の気持ちが理解できないと、彼らの演奏のそれぞれのテイクについて、どれが良かったか悪かったかも判断できないですよね。
早くからデジタル録音をはじめたことによる知識と経験は、「デジタル」面での強み。同時に演奏者として気持ちを理解してあげられることは、「アナログ」面での強み。その両面を持ち合わせていることが、ウッドノート・スタジオの強みだと思っています。
——さらにCD制作のみならず「楽譜浄書」ということもされていますが、「楽譜浄書」とはどのような仕事でしょうか?
作曲家や編曲家が書いた手書きの楽譜を、パソコンで書き直して出版できるデータにまでする作業です。ただ楽譜をきれいに書くだけでなく、一般的な表記ではないものや、音や記号に不備や間違いはないかを細かく確認します。そのため音楽的な知識も重要な仕事ですね。
楽譜浄書は、ウッドノート・スタジオを設立後、通信教育でマスタークラスまで習得しました。独立するにあたって、そう簡単にCD制作だけでは食べていけないだろうから、履けるだけわらじは履こうと思っていたんです(笑)。また現代ギター社に勤めていたころ、楽譜の校正をしていたことも影響しています。楽譜の見方や音楽理論は理解していましたが、読みづらい楽譜をどう正せばよいかという知識まではなくて。これは身につけておかねば、と思っていたんです。結果として楽譜を見る目を養っているので、CD制作に大きなフィードバックがあるように実感します。その意味では、決して二足のわらじではなかったかなと。
——楽譜浄書の仕事もしながら、ひとりでCD制作のすべてを担う大変さはありますか?
通常のレコード会社のように、制作担当、販売担当など細分化された多数のスタッフがいるわけではありません。そのためかえって経済的に制作ができたり、自分のもっている価値観をフルに表現しやすかったり、スムーズに制作できるのは強みです。一方でそれは弱みでもあって、多くのひとによって意見を戦わせることがないので、独善に陥りやすいんです。複眼的な目線を持ちつづけないといけないと思い、2013年に京都造形芸術大学通信教育部の芸術教養学科に入学しました。音楽の知識だけでなく、背景にある文化全体を頭に叩き込んでおく必要性もずっと感じていましたし。仕事に直接役立つかは別として、自分のなかに蓄積された実感があります。
——自分のなかの枠を越えて、興味や関心が広がった実感はありますか?
そうですね。それまで知らなかった芸術史や芸術分野などを学ぶことは想像以上に苦労しましたが、授業がないとたぶん一生触れることがなかったであろうことにたくさん触れることができました。京都造形大は、卒業生として図書館を利用できるので、現在も大いに活用しています。広がっていく自分の関心を受け入れてもらえる土壌ができたことがうれしいですね。今のマイブームは、『源氏物語』を原文で読むことなんです。大和和紀さんの『あさきゆめみし』を読んで、瀬戸内寂聴さんの現代語訳で読んで、その後原文を……と読み進めていますが、実は原文が一番ストレートでわかりやすいという発見があったり。『源氏物語』が苦手だった過去の自分からするとおどろきですね。
——そのように複眼的な目線が、今後のCD制作につながる手応えはありますか?
まだ直接的にはありませんが、考え方に影響してきているのではないかなと思っています。これはラジオで耳にしたあるジャズプレイヤーの言葉ですが、「あなたの代表作はなんですか?」という質問に「次回作です!」と答えていたんです。わたしも次の作品がより良くなるように、いろんな目線を持ちながら常に前向きに考えていきたい。新しい機材やソフトも積極的に取り入れていきたいし、高音質なハイレゾ配信に対応する録音方法も模索しています。日本は比較的まだCDが売れていますが、やはり斜陽になりつつあります。CDでいいのか、ハイレゾ配信がいいのか、今後の課題のひとつです。ギター演奏も、自分をリフレッシュさせるためにも続けていきたいですね。
インタビュー・文 浪花朱音
2015年9月24日 京都造形芸術大学 @カフェにて
笹井慎二(ささい・しんじ)
1959年生まれ、京都市出身。関西学院大学文学部美学科卒業。レコード卸会社、CD制作会社、音楽雑誌出版社を経て、2009年に京都で「ウッドノート・スタジオ」を開設、CD制作・販売の他、楽譜浄書などの業務を行なう。自身も演奏するクラシックギターの音楽を中心に、一作ごとに丁寧な作業で制作、そのCDは「レコード芸術」誌特選盤など、各誌で高く評価されている。 2013年、京都造形芸術大学通信教育部芸術教養学科開設と同時に入学、2015年に1期生として卒業。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/woodnote/
https://www.facebook.com/woodnotestudio
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学卒業。京都の編集プロダクションにて、書籍の編集などに携わったのち、現在はフリーランスで編集・執筆を行う。