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アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#156

切り絵から広がる世界。「人とつながる」芸術の力を伝えていく
― 山口美登志

(2025.11.09公開)

長崎県を拠点に、切り絵作家として活動されている山口美登志(みとし)さん。世界平和への願いを込めた「Love & Peace」をテーマに、海洋生物をはじめ様々な生き物や、古典芸術を翻案したユニークな図案の切り絵を制作されている。
「芸術に関わる場がサードプレイスではなく、今はファーストプレイスとなった」と語る山口さんは現在、長崎県美術館でアートボランティア、アートコミュニケーターとしても活動し、日々、芸術を通した人と人とのつながりの構築を実践されている。
大学での地域創生の研究から、切り絵制作、美術館でのボランティア活動。まるで異なるモチーフが同じ画面に会する切り絵の如く、ひとつひとつの活動が線でつながり世界を広げてきた山口さんに、これまでのことを伺った。

《セイレーンを導くジンベエザメ》 2023 A2 – 平和の象徴としての、悠久の時を生きるジンベエザメをメインに、ギリシア神話に登場する怪物・セイレーンをアクセントとして取り入れた作品。「セイレーンは美しい歌声で船を惑わせ難破させる怪物です。この作品では、ジンベエザメがセイレーンたちの悪事をやめさせるために深海へと導いています」

《セイレーンを導くジンベエザメ》
2023
A2

平和の象徴としての、悠久の時を生きるジンベエザメをメインに、ギリシア神話に登場する怪物・セイレーンをアクセントとして取り入れた作品。「セイレーンは美しい歌声で船を惑わせ難破させる怪物です。この作品では、ジンベエザメがセイレーンたちの悪事をやめさせるために深海へと導いています」

———山口さんが切り絵と出会ったきっかけを教えてください。

京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)通信教育課程を卒業した後、2020年より大学のウェブマガジン・アネモメトリのコーナーのひとつ、風信帖の記事を6本担当させていただきました。最後の取材で切り絵作家のはっとりあすかさんの活動を紹介したことが、切り絵との出会いでした。取材記事の寄稿依頼がなければ、今こうして切り絵をしていることもなかったでしょうね。
その後、はっとりさんのアート教室に誘われ、そこではっとりさんの憧れの切り絵作家・藤城清治さんの切り絵を知り、とても感動してしまって、私も本格的に切り絵を始めることとなりました。
紙を切る、というシンプルな作業の積み重ねから多様な表現が広がっていくところに切り絵の魅力を感じています。
カッターと紙とカッティングマットがあればいつでもどこでも制作ができること、切っている時は集中力が高まり無心になれるところが好きですね。時間はかかりますけれども、その分完成の喜びはひとしおです。

《タンポポリング》 2022 A4

《タンポポリング》
2022
A4

———作品について伺っていきますね。《タンポポリング》は初期作品ですが、すでに随分と細やかな表現をされていますね。

切り絵をはじめて1年くらいの時期の作品です。ウォーキングの時に撮った道端のタンポポの綿毛をアップで見ると、銀河みたいに美しくて、はじめはこんなものはさすがに切り絵にはできないだろうと思ったのですが、ものは試しだとやってみると、意外とやれるじゃないかと。初めての力作、記念作です。これで4ヵ月くらいかかっています。

《縄文への旅》 2023 A2

《縄文への旅》
2023
A2

———続く《縄文への旅》では、山口さんの代表的なモチーフのひとつ、亀が登場しますね。

《縄文への旅》は、大きな作品に挑戦しようと思い、A2サイズでつくりました。そのころから興味があった、縄文時代の土偶を海亀の甲羅に配置した図案です。長寿の象徴である亀と、大きな争いもなく1万3〜4千年続いたと言われている縄文時代。それらを掛け合わせて、土偶が亀の背中に乗って、悠久の時を泳ぐ姿に、平和な時代への思いを込めています。私の現在の切り絵のテーマでもある「Love & Peace」の原点となった作品です。

《太古の宇宙(そら)》 2023 A2 – 世界最大の亀であるオサガメをモチーフに。甲羅をもたないオサガメの背中の白い斑点模様を、最も美しく星を望むことができる2月の星座に見立て図案化。背景はオサガメの主食であるクラゲをデザイン。「1億年以上も前から生き延びているこの亀に平和への願いを込めました」

《太古の宇宙(そら)》
2023
A2

世界最大の亀であるオサガメをモチーフに。甲羅をもたないオサガメの背中の白い斑点模様を、最も美しく星を望むことができる2月の星座に見立て図案化。背景はオサガメの主食であるクラゲをデザイン。「1億年以上も前から生き延びているこの亀に平和への願いを込めました」

《Love & Peace Again》 2024 A2
 – 平和な時代でしか生きられない存在として、ナマケモノの親子の姿を図案化。ナマケモノが掴まる木の幹にハートマークが紛れ込む遊び心が(山口さんのサインも隠れている)。「この頃から、『Love & Peace』を自分の制作、活動のテーマと決めました。タイトルにある、Againは今こそ愛と平和の復活を! という願いを込めたもので、Superflyさんの歌のタイトルからいただきました」

《Love & Peace Again》
2024
A2


平和な時代でしか生きられない存在として、ナマケモノの親子の姿を図案化。ナマケモノが掴まる木の幹にハートマークが紛れ込む遊び心が(山口さんのサインも隠れている)。「この頃から、『Love & Peace』を自分の制作、活動のテーマと決めました。タイトルにある、Againは今こそ愛と平和の復活を! という願いを込めたもので、Superflyさんの歌のタイトルからいただきました」

———「Love & Peace」をテーマとされているのはなぜでしょうか。

長崎に住んでいるので、昔から自然とあった感覚ではありますね。今、世界で起こっている戦争、紛争、人と人との争いを解決するためには、昔からロックでも歌われてきたように、結局はLove & Peaceの気持ちだと思うのです。力で捩じ伏せても、何百年も続く恨みしかそこには残らない。Love & Peaceの掛け声だけが平和への道を開くのだと、自分なりに作品で表現していきたいです。
ただ、今後はそれにとらわれすぎず、臨機応変にやっていくことも大事だなと思っています。

《羽衣》 2025 A2

《羽衣》
2025
A2

《羽衣》では能の演目の「羽衣」をモチーフに、漁師から羽衣を返してもらった天女が、約束の舞いを披露しながら天空に昇る様を描きました。純粋な和風の表現にこだわりすぎず、ミュージカルのような、音楽とダンスの要素を感じさせる線の躍動を意識して、これまでとは異なったスタイルになっていると思います。

制作中の山口さん

制作中の山口さん。描いた下絵を元に、無心で切り出していく

———切り絵作家として、喜びを感じるのはどんな時でしょうか。

集中力や根気はいりますが、切る過程で無心になれる喜びが勝りますから、大変だとか苦しいだとかは思ったことがないですね。私は線を切る工程が大事で、実は仕上がりの見栄えは二の次です。好きな音楽をかけて、線を切っている時間が何より楽しいのです。
グループ展などを通して、巷のアーティストとどんどんつながっていくことも大きな喜びですね。同じ表現をする者同士、年齢や性別、職業など関係なくフラットな関係での交流は刺激になります。

レジンを用いて世界の海の美しさを表現するアーティストのBRIWOOD・HIKARU氏との共作。HIKARU氏のレジンアートの上から山口さんの切り絵が重なる。最終的に表面はレジンで覆うように仕上げられるため、切り絵の生き物がレジンの海の中を泳いでいるよう

レジンを用いて世界の海の美しさを表現するアーティストのBRIWOOD・HIKARU氏との共作。HIKARU氏のレジンアートの上から山口さんの切り絵が重なる。最終的に表面はレジンで覆うように仕上げられるため、切り絵の生き物がレジンの海の中を泳いでいるよう

———最近では、異なった表現ジャンルのアーティストの方々とコラボレーションもされていますよね。

私たちのグループ展をたまたま観にきてくださった、レジンアートのトッププロであるHIKARUさんが私のジンベエザメの作品を気に入ってくれて、お声がけをいただいたことがきっかけです。
切り絵というのは細い線でつながっているだけの繊細なものですから、はじめは本当にレジンの海に埋められるのか、という懸念もありました。ただ、HIKARUさん主導で慎重に制作を進めていただいた結果、思いがけない大作となりました。

山口さんの切り絵が、沖縄の「美ら海」アートの第一人者であるtsubomi氏と、BRIWOOD・HIKARU氏の手による美しい海を泳ぐ

山口さんの切り絵が、沖縄の「美ら海」アートの第一人者であるtsubomi氏と、BRIWOOD・HIKARU氏の手による美しい海を泳ぐ

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独自の世界を展開するフィンアーティストのYURIE氏による下絵を元に制作した山口さんの切り絵を、BRIWOOD・HIKARU氏がレジンアートに昇華。三者がバトンをつなぐように制作。クラックが神秘的

独自の世界を展開するフィンアーティストのYURIE氏による下絵を元に制作した山口さんの切り絵を、BRIWOOD・HIKARU氏がレジンアートに昇華。三者がバトンをつなぐように制作。クラックが神秘的

このコラボレーションが成功したことで、レジンアーティストのtsubomiさん、ダイビングの道具であるフィンに絵を描くフィンアーティストのYURIEさんともコラボレーションをすることができました。
コラボレーション作品は長崎県美術館、沖縄の宮古島や東京のギャラリー、さらにはパリのルーブル美術館直下にあるスペースであるカルーゼル・デュ・ルーヴルでも展示をされました。私だけでは行けなかった所に作品を連れていってくださって感謝しています。
異なるジャンルの作家さんとのコラボレーションは、新しい表現の可能性を広げてくれ、自分を高める力にもなっています。

《シーサー/狩野永徳風》
 2024
 A2
 –
 コラボレーションにあたり、シーサーというオーダーを受けて切り絵をつくったことをきっかけに展開した個人作品。狩野永徳作《唐獅子図屏風》を翻案し、二対の力強いシーサーがLove & Peaceを掲げている

《シーサー/狩野永徳風》

2024

A2

–

コラボレーションにあたり、シーサーというオーダーを受けて切り絵をつくったことをきっかけに展開した個人作品。狩野永徳作《唐獅子図屏風》を翻案し、二対の力強いシーサーがLove & Peaceを掲げている

———山口さんは切り絵に出会う前、京都芸術大学の通信教育部で学生をされていました。どのようなことを学ばれていたのですか。

定年後に絵を描いたり、美術に関する活動をしたいと考え、定年の2年前、58歳の時に入学しました。
芸術教養学科では、豊かな生活を創造するためのデザイン思考を学んでいました。元々はファインアートを学ぼうと大学に入ったわけですが、だんだん私の考えの方向も変わっていって、地方創生をはじめとする「芸術を通して人と人がつながること」に興味が出てきたんです。
卒業研究では、2016年に行われた、長崎県波佐見町の地方創生事業「HASAMIコンプラプロジェクト」に始まるまちづくりデザインへの評価考察をしました。
ポルトガル語で「仲買人」のことをコンプラドールといいます。伝統産業を中心に、観光、人材育成、移住を促進する目的で進められたこのプロジェクトの独自性は、その名前が示すとおり、地域や人をつなぐ「仲買人」としての人材育成に力を入れているところでした。その後の波佐見町の活性化を見て、ゆるく、しなやかに人を動かすことが今の時代に合っているのだと考えました。

長崎県波佐見町の西の原地区。移住者などが参画して立ち上げた、居心地の良いレトロモダンな空間

長崎県波佐見町西の原地区。移住者などが参画して立ち上げた、居心地の良いレトロモダンな空間

製陶所跡を利用した人気のカフェ

製陶所跡を利用した人気のカフェ

「ゆるく、しなやかに人と連携していくこと」。これは今の私が大切にしている考えにもつながっています。
大学卒業後も、芸術活動を通じて広く人と関わりたいと思うようになり、科目履修で博物館学芸員課程に進みました。修了後、長崎県美術館のアートボランティアと、これもボランティアの一つなのですが、アートコミュニケーターとしても館内ツアーのガイドや対話型鑑賞を担当しています。

———芸術による協働の喜びを知る山口さんだからこそ、その価値を実感をもって伝えていけるのだろうと思います。

大学で得た「芸術活動を通じて人と人をつないでいきたい」という思いは、切り絵作家としてグループ展を開催したり、美術館のボランティアやファシリテーターとして実現ができました。私にとって、芸術に関わる場がサードプレイスから、ファーストプレイスに変わったのです。もしも芸術教養学科での学びがなかったら、私の第二の人生はどんなにつまらなかっただろうと考えることがあります。大学には本当に感謝しています。

「第4回はじまり展」での展示 2024年12月 長崎県美術館

「Love & Peace展」での展示
2025年7月
長崎県美術館

———大学での研究、切り絵制作、美術館のボランティア活動と、すべてが線でつながり、山口さんの世界は広がっていったのですね。最後に、今後の展望を教えてください。

制作では、もっと下絵のイラストがうまくなりたいと思っています。「切り絵のミュシャ」とも呼ばれる倪瑞良(にい・みずよし) さん、圧倒されるほど精緻な生き物の世界を描く福田理代(まさよ)さん、お二人の表現を理想としていて、私もそんな風に表現してみたいと思っています。
ボランティア活動については、これからもアートコミュニケーターとして、芸術を通して、子供から老人まで、幅広く人と人をつなぐ役をしていきたいと思っています。特に生きづらさを抱えている若者を応援していきたいです。「カタチにとらわれず、生きていることを表現してほしい」と伝えていければ。誰もが、いつからでも芸術家になれると信じています。

取材・文 辻 諒平
2025.10.01 オンライン通話にてインタビュー

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山口美登志(やまぐち・みとし)

定年退職を前に芸術大学の通信教育課程で学ぶ。大学のウェブマガジンにて、切り絵作家のはっとりあすかさんの取材活動を掲載した縁で切り絵を始める。
作品では、はっとりさんの癒しのコンセプトに共感して、土偶や海などをモチーフに「Love&Peace」を表現する。

instagram: @yamamitosan
X: @noatonora

■最近の活動
「みんなのHTB展覧会」(2023年4月 長崎県佐世保市 ハウステンボス)
「第3回はじまり展」(2023年10月 長崎県波佐見町 モンネポルト)

「重尾アートマルシェ」(2024年5月 長崎県佐世保市 松本孝之絵画館)
「第4回はじまり展」(2024年12月 長崎県美術館)
「波佐見アートマルシェ」(2025年6月 長崎県波佐見町 教法寺)
「Love & Peace展」(2025年7月 長崎県美術館)

■略歴
2018.09 京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)通信教育課程卒業
2019.03 学校事務職員定年退職
2020.03 京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)博物館学芸員課程修了
2020.07〜 大学ウェブマカジン
「アネモメトリ」内、地域の情報発信をするコーナー・「風信帖」にて2年間執筆
2022.01~ はっとりあすかアート教室に参加。切り絵作家となる
2024.04~ 長崎県美術館アートボランティア及びアートコミュニケーター


ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)

アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。