(2024.12.08公開)
数々のコンサートで演奏を行うサクソフォン奏者・野島レナさんは、サクソフォンに出会った中学生の頃から、プロの演奏家になる未来だけを見ていたという。音楽大学を卒業し、夢を叶えたあとも変わらず走り続けてきた野島さんだが、コロナ禍においては立ち止まることを余儀なくされてしまう。今回は、コロナ禍を経て演奏家のキャリアプランニングについて改めて向き合うこととなった野島さんに、サクソフォン奏者の日常から、演奏家を取り巻く現状についてまでを伺った。プロとして生涯を通して演奏を続けていけるように、また世代や立場を問わず音楽活動が豊かに社会で息づく仕組みについて、今、考えられることは?
———まずは野島さんの現在の活動を教えてください。
サクソフォン奏者としてコンサートやいろんなイベントに出演をしたり、“SAX PARTY!”という12名のサクソフォン奏者によるチームの主宰として企画運営をしています。あとはヤマハとの業務委託という形で、西日本の学校吹奏楽部の指導や、講習会の講師をしています。
演奏会はロングドレスを着て大きなホールで演奏する機会もあれば、ショッピングセンターやカフェ、先月は中学校の中庭を使いましたし、雨が降っていなければ場所はどこでも。
———サクソフォンという楽器について基本的なところから聞きたくて。
サックスと呼ばれることが多いですよね。アドルフ・サックスという人がつくった楽器だからサックス。そこに共鳴機という意味のフォンという言葉がついてサクソフォン。サクソフォンというと、ライブハウスでドラムやベースとともにアドリブを繰り出しているとか、街角でセッションをしていたり、かっこいいジャズのイメージが強い楽器ですけれども、当初はクラシック音楽で使用されることを想定してつくられたと言われています。歴史的にはヨーロッパの軍楽隊に採用されてからスクールバンドに広がり、日本では吹奏楽の花形楽器ですね。ただ、ヴァイオリンやチェロがあるオーケストラ、つまり管弦楽には基本的にサクソフォンの席はないんです。開発当時、オーケストラという完成された編成の中に新しい居場所をつくる機会が少なかったのではないかなと思うんですけれど。例えばラヴェル作曲の「
YouTube–【Rena Plays…】Merry Christmas Medley / arr.IKUTA Yoshiko
———ジャズバンドでのパワフルな音のイメージが強かったので、野島さんの澄んだ音色は印象的でした。サクソフォンの魅力はどこにありますか。
私が元々、コンサートホールの一番端まで届くような澄み渡った管弦楽の響きが大好きだったので、今でもそういう音を出したいというイメージをもっています。一方でジャズやロックのガツンとくるようなビートやリズムにも憧れがあって。
1900年代初頭のビッグバンドやダンスシーンにおいて広がっていったサクソフォンですが、1970年にエディソン・デニソフが発表した「アルト・サクソフォンとピアノのためのソナタ」という曲で、ジャズの世界で用いられていた速いパッセージや特殊な演奏方法がクラシックにも取り入れられました。サクソフォンはジャズシーン、クラシックシーンの両方で耕され、2つのいいとこ取りができるような、ちょっとわがままな気持ちにも応えてくれる楽器なんです。
サクソフォンがもつバイタリティ、懐の深さが好きですね。比較的音を出すのは簡単なんですけれど、そこからいい音にしていくのはすごく時間がかかる。ちょっとしたセッティングの違いや、体格とか肺活量にも影響を受けます。その過程で各人のもつイメージする音色にどんどん近づいていく、曲選びや音色づくりにおいて個性が出やすい楽器です。
———サクソフォン奏者としてのご自身の個性をどう考えられていますか?
サクソフォンを始めた中学生の時からずっと練習の虫なのは自他共に認めることだと思います。ただ私としては、今風に言うと推しを追求しているような感覚なので、あまり練習を練習と思っていないところがあって、ゆえに無茶苦茶な練習を意図せずしてしまったり、イベントで「あなたにしかわからないでしょ」と言われてしまうような攻めたプログラミングをしてしまったり、それが良くも悪くも私の個性かもしれません。
———演奏会のプログラムは奏者が組むことも多いのですね。お客さんの立場からすると素朴に、知っている曲は嬉しいというのはありますよね。
知らない曲ばかりは気持ちがもたないですよね。でも、流行っている曲でも、私自身がいいなと思えば心の底からプレゼンしますけれど、ただみんなが知っているからという理由では選ばないようにしています。
最近だとハロウィンだったので、「秋の行楽にみんなで出かけたら魔界に迷い込んでしまって、そこでゾンビに遭遇してしまう」といったストーリーを立てました。ちょっと攻めてますね。「妖怪人間ベム」「スリラー」といったみんなが知っている曲に、サクソフォンのために書かれた一般にあまり聞かれたことがない曲も入れながら、バランスよくテンションがもつように。
今度、車のブランドのショールームでコンサートがあるのですが、未来の乗り物について連想して、例えば「銀河鉄道999」ができるかな、と考えてみたり。ブランドの魅力である安心感、高級感、エグゼクティブな感じ、そこに日本の習慣みたいなもの、例えば紅葉狩りのイメージで日本唱歌の「もみじ」も入れようなどとプログラムを組んでいます。
———どのようにお仕事は広がっていくのですか。
すべて人とのつながりですね。演奏と練習だけやっていれば音楽事務所などが仕事を用意してくれる状況の人はわずかで、結局は自分で自分を売り込んで、演奏できる場をつくるところから関わらないといけない人がほとんどです。私も、自分にできることや費用を書いた仕様書を持って、CDと一緒に渡すことは常にしていました。
ジャズバンドの分野では毎日ライブハウスに立って場数をこなしていくことで自分のフィールドを広げていく方法もありますが、コンサートホールに固定して毎日立つなんてことはまずないですよね。自分の足で広げていかないとフィールドが広がらないのはみんなが抱えている悩みでもあり、一生ついて回る条件です。
———様々な場で演奏をされてきた中で、特に印象深い公演はありますか。
以前、ウクライナで現地の演奏家の皆さんと共演させていただく機会がありました。私は留学をしていないので、海外の方々とご一緒するのは初めてで、当然ながら舞台で後ろを見ると、ブルー、グリーン、ブラウン、いろんな色の目がこちらを見ていて。舞台上にいる日本人は私と指揮者だけという状況には緊張もしましたけれど、クラシック音楽の伝統を長く守って育ててきた人たちと一緒に舞台に立って演奏できたその瞬間には、幸せを噛み締めましたね。演奏した曲は、アレクサンドル・グラズノフ作曲の「サクソフォン協奏曲」で、サクソフォン界では定番の名曲なんですけれど、今思えばグラズノフはロシアの作曲家ですから、今のロシアとウクライナの状況から考えると、あの時の舞台はかけがえのない瞬間だったんだなと思い出します。
———野島さんは京都芸術大学大学院を2023年に修了されています。今一度大学で学ばれたことにはどういった背景があったのでしょう。
きっかけはコロナ禍ですね。それまでありがたいことに演奏の場には恵まれてきたんですけれど、1回目の緊急事態宣言が出た頃には0になって、ちょうど自分の初めて出すCDのレコーディングもしていたのですが、それを売っていくためのコンサートも全部白紙に戻ってしまって。
予定に全部斜線が入ったスケジュール帳を眺めてるときにふと、今何ができるんだろう、パンデミックが終わったら自分は何をしていきたいんだろうかと思ったんです。音楽家のキャリア形成について一度、きちんと勉強してみようかなと。そこからキャリアコンサルタントの国家資格を取ったり、今まで知らなかった一般的な就職の概念を学習しながら、音楽家特有のキャリアとそれを取り巻く環境、成人教育全般を見直しました。その流れで、本間正人先生というスーパーマンを見つけて、追っかけのように京都芸術大学大学院の芸術環境研究領域に入りました。修士論文は「サクソフォンに特化した初学者向け楽譜のデザイン―生涯にわたる演奏活動をサポートする―」というタイトルで、子供からシニアまでずっと楽器を吹いていくためには、どういう考え方を基に、どういう教材にしたら教える側も教わる側もポジティブにいられるんだろう、ということを研究しました。
———コロナ禍をきっかけに、人が楽器に親しめることは決して当たり前ではないという事実に向かい合ったわけですね。そして現状でも、演奏家がただ演奏を続けていく、その時点で一定のハードルがあるのですね。
スポーツ業界のように、実業団という形でバックアップを受けたり、音楽活動を引退した後のセカンドキャリアを準備するシステムが今の業界には足りていないですよね。音楽家のライフプランを相談できる場所が少ないことは問題です。
例えばお子さんがいたとして、演奏家になりたいと言われたらどう思うでしょうか。逆の立場で、ご家族に演奏家になりたいと正直に言えるかどうか。躊躇するのではないかなと思うんですよね。私も生徒と接する中で幾度とこのテーマについては話をしてきたんですけれど、一緒に考えることしかできていない状況で、すごく悔しい点です。
一方で楽器愛好家として、他の仕事の傍ら趣味として続けている人はたくさんいますよね。私は、そうしたアマチュアプレイヤーの方々と自分の間に線を引いてしまうのではなくて、むしろこれからはお手本にするぐらいのつもりでいかないといけないと思います。普段は音楽とは関係ない仕事をしているんだけれど、演奏活動もプロとしてやっていますと、もっと堂々と言えるような。パンデミックが今後もないとは言い切れない状況の中で、これまでよりも広い解釈で、プロとして楽器を一生続けられる方法を模索していくことが大事かと思います。
———2012年から、12名からなるサクソフォン奏者のチーム・“SAX PARTY!”を主宰されています。チームをもつことも、いかにプロとして演奏を続けていくかという課題意識からでしょうか。
サクソフォン奏者はオーケストラに席がないので、固定のメンバーと顔を合わせるという働き方は基本的にできなくて。例えば新卒で企業に入ると育成計画があり、先輩とのコミュニケーションの中で仕事の責任とやりがいが見つかってきますが、芸大や音大を卒業した人たちは野ざらし状態で一人放り出されますよね。そのときに助け合える仲間に出会えるかどうかは、その後演奏活動を続けられるかどうかに関わっています。
例えば、先方から四重奏のオーダーを受けたときに、自分以外の3人を一から探す作業って本当に大変なんです。集まったはいいけれど、方向性の違いもありますし、不安定な仕事の仕方をずっとしていくのは辛い。常にコンセプトを共有して、同じような熱量で仕事ができる人たちがそばにいてくれればスケジュール合わせも楽だし、そういった会社みたいなコミュニティをつくりたいな、と思ったんです。
コロナ禍のタイミングで土地を買い、一軒家をリフォームして、レッスンやSAX PARTY!の練習に使えるスタジオをつくることもできました。
———芸術家のチームアップは、なかなか継続が難しいものだと思います。この規模のチームが12年間続いているのはすごいですよね。
もちろんこれまでにはメンバーの入れ替わりもありましたし、大変ですよ。上から下から日々叱られている中間管理職です(笑)。
SAX PARTY!の音楽監督である須川展也先生は、日本サクソフォン業界を代表するスーパープレイヤーで、私も昔、喫茶店で流れていた須川先生のCDに出会って進路に大きな影響を受けた一人ですし、他のメンバーもそれは同じで、まず須川先生がいてくださることは大きいですよね。
チームを10年、20年と続けるのは難しいだろうとは最初のうちに思ったので、まずは3つの理念をしっかりつくったんです。「サクソフォンを通して、音楽の素晴らしさ、楽しさを社会に伝えられる音楽会をつくる」「愛好家の方々とのふれあいや、訪問演奏、教育事業など、少しでも社会貢献できるチームを目指す」「チームのメンバーとして、それぞれの活動を活かしながら、楽しさを保ちつつ高い演奏クオリティや音楽性を高め合う努力をする」。たとえ誰かがチームを離れても、これらの理念にさえ共感できていればつながっていけるだろうと。どこの会社やグループでも3割くらいの人は辞めてしまうと言われますが、それは当たり前のこととして、新陳代謝があることを前提に進んでいけばいいのではないかと意思共有をしたことから、今まで続けてこられていると思います。
———持続可能性を念頭においた、しなやかで強い共同体のあり方を模索されてきたんですね。個から集団へ、そしてコロナ禍を経て、社会と音楽のあり方へと目を向けられてきた野島さんですが、今後の展望をお聞かせください。
少子化に伴い、学校から吹奏楽部がなくなる地域が出てくるかもしれない今、その代わりとなる音楽活動の場がつくれるかどうか、いわゆる部活動の地域移行に注目が集まっています。大編成の吹奏楽という醍醐味を残したい、0にはしたくない、1ぐらいは残したい、それを守るためにはどうしたらいいかな、という活動をやっていきたいですね。まずは部活動の地域移行をスムーズに、かつより良いものに、自分の地区では来年度には達成したいと思っています。
子供も大人もシニアも、みんなが生涯にわたって音楽活動に携わることで充足感を得られるような場と機会をずっと守っていきたいです。私自身が、それを演奏活動で示していくのも大事ですし、SAX PARTY!のようにいろんなバックグラウンドをもったメンバー同士がチームとして挑んでいくことも大事にしていきたいです。ソロとチーム、その両方のあり方から音楽の素晴らしさを社会に提示できるような場づくりを、今後も地道に続けていきたいと思っています。
取材・文 辻 諒平
2024.11.07 オンライン通話にてインタビュー
野島レナ(のじま・れな)
津野栄一音楽教室(愛知)にて幼少期より音楽に親しみ、中谷中学校(兵庫)吹奏楽部でサクソフォンを始める。広島音楽高校を経て、大阪音楽大学を首席卒業。あわせて最優秀賞を受賞。同大学音楽専攻科を修了。読売新人演奏会、ヤマハ管楽器新人演奏会に出演。なにわ芸術祭新進音楽家競演会にて新人奨励賞を受賞。
大阪市による若手音楽家育成支援事業で選抜され2007年にデビュー。ソリストとして関西フィルハーモニー管弦楽団、ウクライナ・フィルハーモニー、西日本フィルハーモニー交響楽団、ソフィア・フィルハーモニーなどと共演。郷の音ホール第3期レジデンシャル・アーティスト。猪名川町親善大使。ソロCD『風薫る』をブレーン株式会社よりリリース。
アンサンブル“SAX PARTY!”(音楽監督:須川展也)を2012年より主宰。100名のサクソフォン大合奏や、サクソフォン愛好家とのコミュニティ『サックスのがっこう』(第1期〜第3期)など、クラシック・ファンと初心者の両方へのアプローチを一貫して続けており、幅広い世代から支持を得ている。
これまでにサクソフォンを佐藤美穂、篠原康浩、小村由美子、須川展也の各氏に師事。
室内楽を上塚憲一、井上麻子の各氏に師事。
芸術教育研究を本間正人氏に師事。
https://renaweb.wixsite.com/website
お知らせ
2025年3月2日(日)「野島レナ サクソフォンリサイタル The Mirror of Light シリーズ1」猪名川町(兵庫)にて開催予定。詳細はウェブサイトをご覧下さい。
ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)
アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。