(2024.11.10公開)
大阪で「KANKOフラワースクール」を運営し、華道未生流の生け花とフラワーデザインを教える花の作家・河村友見加さん。社会人になってからも2つの大学に通い、空間デザイン、芸術学、美術史、彫刻にいたるまで、多様な学びを取り入れてきた河村さんの作品に触れれば、表現の幅広さに驚くだろう。生け花は、時の流れの中から“今”の瞬間を切り取る、そしてその“今”が刻々と変化していく
———まずは河村さんの現在の活動について教えてください。
現在は自身が経営するフラワースクールで教えることがメインの仕事です。他にフラワーアレンジや花束の注文を受けたり、学校や企業の式典の装花を活けたり、花の資格検定試験やコンテストの審査員をさせていただくこともあります。生け花とフラワーデザインの両方を本格的に30年以上前から始めており、和と洋を融合した共生の花の世界を構築できたらと思っています。
———生け花とフラワーデザインは、どのように違うものでしょうか。
一般的には、生け花は日本文化として伝えられてきた活け方の花。フラワーデザインは欧米から取り入れられた装飾の花と解釈されています。生け花には家元制度があり、その中での制約がある場合もありますが、自分が表現したい何かを表現することが基本にあります。一方でフラワーデザインは、この人にあげたい、ここに飾りたいというお客様からのリクエストに合わせて制作する仕事なのです。実はここに明確な違いがあります。もちろん華道家が依頼を受けて空間を飾るということもありますが、目的が違うのです。生け花が現代のように一般の女性に広まったのは明治以降のことで、それ以前は男性社会で、花を好む身分の高い方々や僧侶、商家の旦那衆、女性も身分のある女性か教養のある遊郭の女性に限られたのものでした。
西洋文化流入により家元が潰れるほどに生け花は廃れかけた時期がありましたが、女性の学校教育に取り入れられたことで日本文化の生け花は生き延び、お嫁入り前に身に付けておくべき教養のひとつと考えられ、戦後日本が豊かになるにつれて息を吹き返していきました。高度成長期には狭い文化住宅にも床の間が設けられ、花を飾り、憧れの対象としての生け花文化が花開いていった歴史があります。一方で、住宅の欧米化が進むにつれフラワーアレンジメントがアメリカからもたらされ、花店の技術向上のために取り入れられ広まっていきました。
———独立し、花の道に進まれたきっかけはなんだったのでしょうか。
20歳から生け花はしていましたけれど、最初は全くの趣味で、人に教えるなんて思ってもいませんでした。20代後半は外資系企業で働いており、昔は多くの会社に福利厚生として絵画や書道、お茶・お花、テニス、野球などのクラブがあったのですが、私の会社にはなく、同僚に花を教えてほしいと頼まれ、終業後に会議室を借りて教え始めました。そのときに花を教えるのって楽しいな、と感じたのが独立を考えた始まりかもしれません。その頃よくフラワーデザインコンテストにも出展していましたので、会社でじっと座って仕事しているより、花屋巡りをしてデザインに合った花を集めたいとよく思ったものでした。自分の能力の棚卸をしたときに、一番長く続いているのは花、自分には花だなと。もっと花をやっていたいと思い、その頃から大学で空間デザインも勉強し始めていました。会社は恵まれた仕事環境でしたので、それを捨てるなんてと周囲からは猛反対を受けましたけれども(笑)。とにかくやりたいとだけしか考えてなかったですね。
花の教室を作ったり講師として教え始めても途中で立ち消えになる方も結構いらっしゃるから、私はまず会社を作ってスクールを開校しようと思いました。当時は有限会社を作るには資本金が300万円必要でしたので、貯金を減らしてしまわないうちに。それが32歳の時です。お陰様で生徒さんにも恵まれ、今、29年期目に入ります。
スクールに来られる方は、花を綺麗に飾れるようになりたい、趣味を持ちたいという方から、花に関わる仕事がしたい、生け花免状・検定試験を受けたい方まで幅広くいらっしゃいます。皆さんには、せっかく始めるのですから細くても長く継続してほしいです、まずは花を好きになってください、楽しんでくださいということを最初に言っています。それには私自身が日々を快活に楽しめていないと伝わらないですので、色々な姿を見せながら日々を過ごしてます。
花には日常の中に溶け込んだ美しさがあります。日常の美です。また、花は癒しの力もありますし、心をアグレッシブにしてくれる部分もあります。花を深く勉強していく中で、様々な事柄に興味が広がっていきます。そういうところまでも伝えられたらいいですね。
———河村さんの作品について聞いていきますね。フラワーデザイン、生け花、それぞれの表現において、まず最初はどういうところから考えていくのでしょう。
例えば、花束にも地域柄があるんです。派手な花が好き、デザイン的なおしゃれな花が好きというように。年齢層による好みの違いもあります。例えば花束。贈呈式のような場面では、大きな花束を抱えるように持つ贈呈か、軽く片手で振って喜びを表現したいシーンに使うのか。フラワーデザインでは、ちょっとした注文時の会話で相手が求めているものはどんなものか、正確に汲み取る力が大事です。不明な場合は質問したり、アドバイスしたり。
生け花の展覧会はグループ展が非常に多く、会のテーマを決められる場合も多くあります。会の全体テーマを出発点として、自分の考え、内面を擦り合わせて作品の構想を立てていきます。
私は野外展が大変好きで、例えば熊野古道で展示をした際は中辺路の界隈で花を活けたのですが、大変楽しい花時間でした。空間に合わせて地元の花を使いました。その“場”に合った花をまず考えます。
作品が置かれる“場”は非常に大事ですよね。仏像は信仰の対象として、お寺などの祈りの場とは本来切り離せない。ただ、時には展覧会の場にもってこられて、裏側から見られたりもします。西欧のギリシャ彫刻なども。
花も同じで、生け花は場と密接な関係があります。場に合わせた花というのが生け花を考える上での一つの切り口ですが、フラワーデザインでは場から切り離されて、一人歩きすることが多々あります。花店の仕事花というのが、日本での出発点ですから。
———河村さんは経営者、作家、先生でもありながら、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の通信教育部で学ぶ学生でもありましたね。
長い歴史の中で、生け花は完全に日本人の生活に溶け込んで、日本文化の中心に入り込んでいると思います。ただそれを人に教えるには芸術分野の知識が乏しく、深く勉強しないと教えきれないなと思って、編入学しました。京都造形大通信教育部では芸術学をはじめ、美学、日本美術史、西洋美術史、中国美術史、建築史やデザイン史、芸能、実技科目のデッサンや彫刻まで幅広く様々な科目を履修しました。フィールドワークも楽しかったです。友人にも恵まれて、より多く単位を取る競争をしていましたね。それ以前には武蔵野美術大学の通信課程でも空間デザインを学んでいましたから、それらの学びの全てがバックボーンとしてあります。
———《時の流れに乗り 願いを込め生き抜く》は2024年10月の展覧会「華道未生流展」で出展された最新の作品ですね。
大きな作品は数名で組んでの出展が多いので、この作品も門下生でグループを組み活けました。竹花器は五つの口があいているものを五重切(ごじゅうぎり)、三つのもので三重切と言いますが、この二管を関連づけるように用いて、霧島躑躅(きりしまつつじ)の苔木や銀香梅(ぎんこうばい)を合わせています。上の口のところに紫が入っていますけれど、これは今年は特に紫式部が人気ですよね、それに因んで紫式部という名の紫の粒々とした実の成った枝と、トルコ桔梗(ききょう)の紫色を合わせて入れています。
左側の三重切の方には、瓢箪の形の切り抜きがありますよね。瓢箪は繁栄、円満を象徴し、吉祥文様です。豊臣秀吉は戦に勝つごとに千成瓢箪を増やしていったと言われています。そこにヒオウギという、邪気を払うために祇園祭や天神祭の時に飾られる古典的な花を入れています。ヒオウギは一日花なので花は咲いていませんが、実が弾けると“射干玉(ぬばたま)”という黒い種が出てきます。“射干玉”は和歌において、黒や暗闇、黒髪といった“黒”を導く枕詞です。
五重切、下から二重目の浅い口が開いている部分に活けている葉。これは徳川家康が江戸城に入城する前に、良い日に先に運び込ませたという逸話がある万年青(おもと)という植物です。外側の古い葉が枯れても抜け落ちずに中の若い芽を守っていて、子孫繁栄、長寿の意味合いがあります。生け花の世界では、これを3世代を表現して活けたりします。そういった文化的な背景も作品に組み込んであります。
———ひとつの作品に、重層的に意味が、物語が組まれているんですね。
この作品は古典の部門展示で、竹花器の七重の入れ方に則るという縛りがありました。できるだけ古典花を中心にと考えましたが、紫式部がモチーフならトルコ桔梗も良し、と言っていただけました。
古典の格を守りながらも、現代的な部分や自分の思いをどう入れるかが、古典の作品づくりでの難しさであり、面白さになります。従来通りに活けるだけでは誰が活けても同じになりますから。
———河村さんの作品は、一般の生け花のイメージから離れた大掛かりなものも多いですよね。
ディスプレイのように大きく展示する機会が多くあり、生け花に馴染みのない方には見慣れないかもしれませんね。《竜田姫》は、奈良県三郷町の龍田大社に祀られている、秋の女神である竜田姫をテーマにした作品です。紅葉を使いながら、川になぞらえた水槽を並べ、神様を祀る時に用いる五色の布や紙片も散らして、竜田川の流れと景色を表しました。入口から川が流れていて、奥に竜田姫がいるというシチュエーションです。こちらも5人がかりでつくった作品です。
花の技術だけでなく、大学で興味のある様々なことを学んできたお陰で、いろんな要素や思いを込めることができ、そうして出来上がった作品かもしれません。
———こちらの大きな水槽を使われている作品《宇宙と地球の物語り》が好きなんです。有機的な躍動を感じます。
この作品の後ろの部分は、自宅改装時に廃棄処分にした襖を黒く塗ったものです。夜や、宇宙のイメージを演出するための建具です。宇宙からエネルギーが下りてきて、下の水槽の水は地球の水です。ここで命が生まれてきたというストーリー仕立てです。生物には太陽の光と水が必須で、そしてエネルギー、有機物があってこそ命は生まれてきます。そういったものを花の作品に組み込んでいきたいと思いました。
丸く飛んでいるように見えるものは、別名に喜樹(キジュ)とも呼ばれるカンレンボクという木の実で、星や、エネルギーが生まれ飛び交っているかのように見えるかと。右上から流れる川のように表現しているのは、旭葉蘭(アサヒハラン)を貼って連ねたもの。白い模様がエネルギーの流れを感じますよね。理想を言えば真っ暗な空間で、水を振動させて波紋を広げ、下からライトアップをした透過光を空間に映し出して表現したかったのですが。
———河村さんは作品制作、ひいては日々においてどういったことを大切にされていますか。
楽しいことで自分を満たす、というのがまず理想的なスタートかなと思います。それと継続です。思ったことは実現すると思っていますから、マイナスのことは言わない。そちらに引っ張られていってしまいますから。
あとは、先を見通しながら今を大事にすることです。“今”に尽きます。過去からも学ばないといけないけれども、過去には縛られない。未来志向。憧れでもなんでも構わないです。展望をもちながら。でも未来ばかりを見ていると空想に耽るばかりになったり、心配事に囚われたりしますから、足元、“今の瞬間”を大事にする。
花は“今”なんです。生きた花はそこに時間の経過があって、生きているその瞬間をいかにうまく切り取って見ていただくかだと思います。
———今を切り取る花への姿勢は、今何をしたいのか、そして何が必要なのかを明快にとらえ進まれてきた河村さんの姿と重なりますね。最後に、河村さんは今どのような未来を見ていますか。
最近、今の教室とは別に、新しく築80年の家を改装し教室スペースを作ったのですが、将来的にはここで花の留学生を受け入れたくてお部屋を準備しています。教室スペースの他に本当に狭い猫の額の庭もあります。留学生の方がマンションを見つけるまでの仮住まいとして使えるようにと思っています。ここで学んでいかれた方々が、いずれ世界各地で教室を開くようになれば……、私の遊ぶ場所がいっぱいできるかな、という甘い妄想を描いているのです(笑)。
来年は大阪万博がありますので、留学生に限らず、一日日本文化体験のような形ででも海外の方に来ていただける機会を作りたいなと思っています。生け花の体験を通じて日本文化に触れた感覚が、ここから世界に広がってくれたら嬉しいですね。
取材・文 辻 諒平
2024.10.15 オンライン通話にてインタビュー
河村友見加(かわむら・ゆみか)
大阪府生まれ。
大阪府立天王寺高等学校卒業(34期)、京都女子大学短期大学部英語専攻コース卒業、京都造形芸術大学芸術学部芸術学コース卒業。芸術学士。
(公)華道未生流、フラワーデザインスクールブツガン、Peter Assman In Floristik Seminareにて、生け花とフラワーデザインを学ぶ。
サントリー(株)、日本ディジタルイクイップメント(株)
(米国 Digital EquipmentCorporationの日本法人)勤務を経て、平成8年に有限会社カンコ設立、KANKOフラワースクール開校。
【資格】
(公)日本フラワーデザイナー協会 名誉本部講師・資格試験審査員・コンクール審査員、(公)華道未生流 師範、博物館学芸員資格、秘書技能検定1級
日本フラワーデザイナー協会資格検定試験3~1級審査
花キューピット(JFTD) ジャパンカップ ブロック代表選考会審査
北陸3県交流事業 フラワーデザイン展 審査他
ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)
アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。