アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#21

ていねいに歩き、じっくり対話する。
スタンダードであたらしい地域資源の生かし方
― 小橋圭介

(2014.08.05公開)

山口県立大学でグラフィックデザインを教える小橋圭介さんは、教員としての仕事の傍ら、地域資源を活用した製品企画や、普及活動に携わっている。なかでも山口県田布施町の「ハゼの実ロウ復活委員会」の協力のもと、(はぜ)の実を使ったワークショップやイベントの企画・開催に積極的に携わり、新たな展開を繰り広げている。グラフィックデザイナー、そして大学教員、2つの肩書きを持つ小橋さんが取り組む地域の生かし方、新しいものづくりのありかたとはいったいどのようなものなのだろうか。

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山口県田布施町に生息する櫨の木。伐採が進み、今では貴重な品種となった

—大学教員になられる前は、企業でグラフィックデザインの仕事をされていたとお聞きしました。会社員から大学教員になられたことは、なかなか異色の経歴かと思います。どういった経緯でそのような道を歩まれたのでしょうか。

もともと山口県立大学の環境デザイン学科出身でして、卒業後に地元の印刷会社にデザイナーとして就職しました。勤めて1年半ほど経った頃、大学時代の恩師から環境デザイン学科の助手の採用枠が空いているとの連絡があったんです。助手になるには修士を持っていること、もしくは修士と同等の経験があるという条件があり、わたしが持っているのは学士のみだったのですが1年半企業で勤務してることが後者の条件に見越すことができると言われまして。一次選考がポートフォリオの提出だったんですが、大学卒業までお世話になった恩師たちに、1年半企業で働いた自分の作品を見てもらうことでまた新たな活路が見出せるのではないかと思い、いわば腕試しのような感覚で応募しました。当時働いていた企業には何の不満もなかったですし、大学の先生になりたい、という気持ちも実のところまったくなかったんです。ただ、大学卒業後、デザインに関しては仕事以外でもライフワークとして作品づくりを続けていましたのでそれを見てもらいたい、という気持ちが大きかったんです。選考のさい、提出に必要なポートフォリオは揃っている状態でしたので応募するにあたって特別何か準備しなければいけないこともなく、結果、割とトントン拍子に最終選考まで残り、採用されるに至りました。

—縁とタイミングと実力がかみ合って、新たな道が開けた、という感じですね。

そうですね。ただ、教えるいうことが自分にとっては初めての経験でしたし、学生とあまり年齢が変わらないこともあって、最初は試行錯誤しましたね。いまは准教授として、色彩論や描写など、基礎デザインに関することを学生に教えています。

—その後、大学に勤めながら京都造形芸術大学大学院の芸術環境研究領域に入学されていますが、その動機はどのようなものだったのでしょうか。

芸術環境研究領域は地元に根ざした地域資源を取り上げて、それらを何らかのもの、かたちにして広く発信する、いわば地域の生かし方を学ぶ領域なんですが、わたしの所属している文化創造学科が目指すところとリンクする部分が多く、そのノウハウを学べれば、という思いで入学しました。
当時、地域活性化というと、アートプロジェクトが主流になりつつあったころだったのですが、アートというものが本当に必要なのか、という疑問を抱いていたんです。プロジェクトそのものを否定しているわけではないのですが、フィールドワークで現場を歩いてみると、メディア上では盛り上がっていて興行的にも成功しているけれど、実際現場で地元の方にお話を伺ってみると、何をしているか自分たちにはわからない、という声が多かったんです。要するに、発信者と受容者との間に温度差がある、ということを感じていまして。地元の資源が外部から来たアーティストの表現によって「こういう見方があるんだ」と再確認できて、新しい発見を見出されて盛り上がる、ということもひとつの価値だと思うのですが、逆に言えば、あるがままを認められない、ということなんじゃないかと思えたんです。ある意味「ふつうじゃだめだ」という風にも受け取れるな、と。どこの地域の方も「自分のところには何もないから」と言う方が多いんですが、どこにでもかならず魅力的な資源はあるんですよね。ただ、それを外部からの働きかけじゃないと再確認できない、ということに疑問を感じたんです。

—そこで小橋さんは別の視点から地域活性の手段を見出そうと思われたのですね。

はい。外部から持ち寄るのではなく、地元に根ざしたものを生かして何かできないだろうか、ということを考えていくようになりましたね。内部からの働きかけがやはり大切だと。大学院では地域資源活性化のノウハウを学ぼうと思っていた訳のですが、借り物で流行をつくる、ということへの疑問が芽生え、ノウハウを学ぶということ自体、何だか違う気がしまして。その結果、地域をていねいに歩くしかないんだな、という結論にたどり着いたんです。結局時間のかかることなんだと気付きまして。今はそれをすごく意識して活動していますね。流行よりもスタンダード。普遍性のある活動を目指していくべきだということを考えるようになったのは、大学院での学びのひとつであったと感じています。

—大学院卒業後、山口県田布施町で古くから生息している櫨の実を使った蝋づくりの活動に参入されたそうですが、これはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

大学の職員の中に日本舞踊の花柳流の関係者の方がいまして、踊りの際に舞台で和ろうそくを使っているという話を聞いたんです。その和ろうそくの原料となる櫨の産地が山口県田布施町だという話に繋がっていったんですが、櫨の実が伐採によってほとんど消滅してしまっている状態だということを知りました。しかしそのまま櫨が失われていくことはあまりにも忍びない、ということで地元の方々が集まって「ハゼの実ロウ復活委員会」という団体をつくって活動されているということを耳にしまして。それからその方たちとお話をさせていただく機会を得たのがきっかけですね。

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(左)ろうそくの原料となる櫨の実(右)櫨でできた和ろうそく。断面が年輪状になっているのが特徴

—小橋さんにとって「ハゼの実ロウ復活委員会」との出会いはどのような意味があったのでしょうか。また、どのようなアプローチをされて活動を始められたのでしょうか。

自分の研究のテーマとして、地元に根ざしたものと外側からではなく、内側から関わる、というコンセプトがあったのですが、「ハゼの実ロウ復活委員会」はまさに自分が探していた活動とかなり近しい部分があり、理想的だと感じたんです。もともと田布施町でフィールドワークを何度か行っていまして、土地自体に魅力を感じていました。委員会の方がすでにいろんな活動をされていましたが、わたしなりに別のアプローチで櫨の実ろうに関わることができないかと思い、いろいろとアイディアを練り、企画書をつくり上げたんです。そして委員会の方にお渡ししたところ、面白そうだということで企画が受理され、役場の方も巻き込みながらの活動が始まりました。

—その企画書の内容とは具体的にどのようなものだったのでしょうか。

おもに子ども向けのワークショップを企画しました。田布施町は内閣総理大臣をふたりも生んでおり、その特殊な事実や土地柄に着目しまして、内閣総理大臣が未来をつくる存在である、ということを子どもたちに伝え、櫨の実ろうでつくったクレヨンで田布施町の未来を描いてみよう、というワークショプを考えました。それからこれは女の子用なんですが、櫨の実ろうでつくった口紅でお化粧をして、内閣への入閣式を真似た集合写真を撮ろう、というワークショップも企画しました。田布施町の方からも、自分たちだけではこんな企画は出ないねと言っていただきまして、結果わたしが主催するというかたちで開催に至りました。

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クレヨンづくりのワークショップのワンシーン。シリコンカップにろうの入った材料を流し込んでつくる

—子どもたちの反応はいかがでしたか。また、ワークショップ以外に行ったイベントはありますか。

クレヨンや口紅は買うものだ、とう意識が強かったようで、そういうものを自分たちの手でつくり出せる、という体験に喜びと新たな発見を感じてくれた子が多かったですね。また昨年は、全国的に行われている“100万人のキャンドルナイト”というイベントに参加することになりまして、会場に灯すろうそくに絵付けをする、というワークショプを開催しました。

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(左)冬至に田布施町で行われた「100万人のキャンドルナイト」のワンシーン。(右)ワークショップで作られた色とりどりのろうそく

—現在「ハゼの実ロウ復活委員会」以外に関わられている活動はありますか。

休耕田を使って菜の花を植え、菜種油をつくっている「宮野なの花会」という団体があるのですが、出来上がった菜種油を製品化したいとのことで、パッケージやラベルデザインの依頼を受けています。これは大学の学生たちと一緒に取り組んでいる事業ですね。あとは大学にプロダクト専門の教員と、写真専門の教員がいるのですが、そのふたりとわたしと3人で組んで、地元の家具屋さんと家具の商品開発をしたりしています。

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「宮野菜の花会」がイベントを行う際に着る“はっぴ”も小橋さんたちがデザイン

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学生たちと小橋さんがデザインした菜種油のラベル

—地元の団体や経営者の方が、大学教員である小橋さんにデザインを依頼してくるというのはどういった経緯があってのことなのでしょうか。

公開講座というかたちで、いろんな地域で自分たちの活動をお話させていただく機会がありまして、そこでの出会いからお話をいただくことが多いですね。デザイン事務所は山口にもたくさんあるのですが、地域に根付いた活動をしている方にとっては、そういう所と最初にどうコンタクトを取ったらいいか分からないという気持ちが正直あるそうです。そんななかで、わたしのバックボーンやこれまでの活動内容が明確であるということが、頼みやすさの一因になっているようですね。

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宇部市の漁師さんから依頼されてデザインを手がけたお菓子のラベル

—小橋さんがデザインする上で、大切にしていることや心がけていることがありましたら教えてください。

まず現場に足を運ぶことですね。そして依頼者の方としっかり話をし、五感を使って情報を取り入れることを大切にしています。また、デザインをする前に、本当にパッケージやラベルが必要なのかどうか、というところまで突き詰めて考えたりしますね。ものありきではなく、どう伝えたいか、というところが大切だと思うので。これはわたしが大学教員という立場上、利益主義でなく動けるから、というところが大きいと思いますね。また、現場に足を運ぶことで、学生たちに生の声を還元できるということもわたしにとってはプラスになっていますね。

—デザインを通じて山口の地域資源の活性化を目指す小橋さんにとって、今後進みたい方向とはどのようなものでしょうか。

地元の資源を活用することで郷土愛を深めていく、ということがわたしの活動の目的なので、地域資源がそういった活動のツールになればと強く願っていますね。ただ、地域資源は商品化した時点でその活動が終わってしまうことも多々あるので、プラスアルファの方向性も見出せないかと思っています。いわば商品の内側にある思想、みたいなものを深く考えながらものづくりをしていくことが、わたしのこれからの課題かな、と思っています。

インタビュー・文 杉森有記
2014年7月2日 skypeにて取材

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小橋圭介(こはし・けいすけ)
1980年山口県生まれ。山口県立大学環境デザイン学科卒業。印刷会社勤務を経て、山口県立大学環境デザイン学科助手に就任。現在は同大学文化創造学科准教授。大学勤務の傍ら、山口県の地域資源を生かした商品開発の企画やイベントの開催に携わる。

杉森有記(すぎもり・ゆき)
1979年福井県生まれ。同志社大学文学部美学及び芸術学専攻卒業。美術館学芸員、雑誌編集者を経て、アートやローカルカルチャーに関するライターとして活動を行う。