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アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#44

現場と理論をつなぎ、文化財を守る
― 崎田芳晴

(2016.07.05公開)

ある日突然起こりうる災害からいかにして自分たちの環境を守り、継続させていくのか。未曾有の震災や災害が相次ぐ今日、各地での命題となっている。
崎田芳晴さんは、かなり早い段階から、文化財建造物防火・防災という一面に着眼し、東京消防庁での職務の傍ら文化財の防火・防災に係わる研究を行ってたひとりだ。その熱い視線の先にある、崎田さんの思いを語ってもらった。

01_メインイメージ

———東京消防庁での職務の傍ら、文化財建造物防火・防災について長年研究されてきたとうかがいました。

学生のころは建築を専攻していて、将来は文化財建造物の保存修理技術者になろうと思っていました。特に奈良県にある寺院を巡ることが好きで、よく唐招提寺の塔頭である、西方院に宿泊しながら寺院巡りをしていました。その西方院とは、文化財の保存修復を行う技師や、学者がよく宿泊しながら調査や研究をされている場所です。そこで当時国立東京文化財研究所に勤めていた中里壽克先生に出会ったり、法起寺三重塔の解体修理工事参加したりしました。
卒業当初、第一志望は奈良県上級建築職に就くことだったので、東京消防庁は念頭になくて。消防って聞くと、火を消す人、救急の人というイメージしかないでしょう。わたし自身もそうで、東京消防庁の求人票に、建築専攻の学生を募集しているのを見たとき、「消防で『建築』ってなんだろう?」と思い、受験をし、紆余曲折は有りましたけれど縁あって東京消防庁採用されました。
けれど、消防の仕事で文化財の知識が活かせるのだろうかと悩み、先生にたずねると「文化財修復の分野は防火・防災に関する実務や知識をもっている人材がいない」と言われたです。文化財には防火や防災設備のことが、確かに関わります。しかし実務的に仕事ができる人は、現在でも少数であるといわれています。技師や職人に予算内でお願いする、ということは行われるかもしれませんが
東京消防庁に入して以来、文化庁の方などから「自動火災報知をこんな風に設置したいのですが、消防法的に問題はあるか」などたずねられたりしました。そんなアドバイスをしてきました。

仕事の範囲のみにとどまらず、文化財防災に関わる研究、調査を行っている。写真は文化財市民レスキュー災害図上訓練の様子。

仕事の範囲のみにとどまらず、文化財防災に関わる研究、調査を行っている。写真は文化財市民レスキュー災害図上訓練の様子

———奈良、京都を中心とした関西地方と、関東地方では文化財に対する意識が異なるのでは、と感じますが、実際はどうなのでしょうか?

関東地方、特に東京の消防機関が文化財建造物防火・防災に対し、先進的な技術や意識を持っているわけではないと思います。確かに文化財の防火、防災対策は非常に重要ですが、東京はそれ以上に高層ビルや地下街での火災時に、いかに人の命を助けるのかが最優先だと言われたこともあります。しかし、東京では今、木造密集地帯の火災が行政課題としてあがっていますし、そういったかたちで、同じ木造建築である文化財の防火・防災にする知識を活かすことはできます。
わたしが最初に文化財建造物防火・防災対策に携わりはじめたころは、文化財建造物式論で考えられていました。式論とは、例えば飛鳥時代にできた建造物について考えるならば、飛鳥時代の建て方を研究する、というようなことです。つまり、文化財建造物について防火・防災までを含めた研究を行うといった方は少数でした。建造物のことのみで、まわりの環境については考えていないです。ですが火災の場合、その建物から発生することはもちろん、周囲から飛火起こる可能性だってあります。そのため、点ではなく面で考えないといけないです。まわりの環境を捉えた上で、どんな風に災害から守るのか。その意識が生まれはじめたのは、阪神・淡路大震災以降のことです。

———現在も震災の影響などがあり、いかにして文化財を守るのかは重要なテーマになりそうです。

根本的には、守るために必要な技術や知識以上に、自分の故郷や日々の生活の中におけるかかわりの中で文化財に接し、だから守りたいという気持ちが大切だと思いますね。ただの美術品、工芸品、観光の対象じゃなくて、生活の一部として考えることが、自然とその文化財を保存していくことにつながります。学生時代にお世話になった西方寺さんも、宿泊費にると、「庭掃除をしてくれたらいいよ」と言って免除してくれるようなお寺でした。唐招提寺の歴代住職が眠るお墓を掃除しているだけで、必然的に感じたり思ったりすることがあるです。接しながらそばに溶け込んでいくことが最も大切なのでは、と思いますね。

長楽寺での火災時、仏像搬出を行った様子。

長楽寺での火災時、仏像搬出を行った様子

———まさに、「現場が大切」という話につながります。そして東京消防庁に勤務するかたわら、電気設備について学ぶために大学に再度入学されていますね。

東京消防庁に勤めて25、6年経ったころ、ある電気火災の原因調査指揮をとった当該調査に参加されていた警察の科捜研の方と、わたしとで火災原因について話を詰めていたとき、あるひとつの言葉がわからなくて。論破されてしまい、これじゃいけないと思い、電気について学ぶために芝浦工業大学の電気設備学科に入学しました。
学んでいるうち、修士にも進みたいと思うようになりました。先生からのアドバイスもあり、博士を目指すことになったのですが、実際自分は何をするのか、と考えていました。当時、東京消防庁の命題として、火災が起きたときどういう方法で安全に避難するか理論的に研究するという行政課題があり、大学院ではそのことについて研究を深めたら? と、アドバイスを頂きました。いざ博士課程試験を受けたら、結果はボロボロに。そのとき先生に、自分の時間やお金を使ってまで学ぶことになるのに、「本当は何がやりたいの?」と問い直されたです。自分は昔から文化財建造物防火・防災についてこんなことを考えていて……と話すと、「なんでそれをやらないだ」と。そこでもう一度、文化財について研究しよう、と決意したです。

———そう奮起された矢先、京都造形芸術大学の通信教育学部に出会われたと。

タイミングよく京都造芸大の通信教育学部が、芸術環境研究領域の修士課程を開設したです。そこで水野先生と内田先生にお会いして、芸術環境研究領域や文化財保存についてなど、いろいろとお話をしました。この領域では文化財保存についても学べるけど、防火・防災については今までなかったかもしれない、と聞いて。ハード面は難しいかもしれないが、地域の人がどのように文化財建造物を守っているのか、などと言ったソフト面であれば学べるかもしれないと。まだ向けられていない観点から、文化財建造物に係わる防火・防災について研究してみたらどう、と後押しされて、入学しました。以来、研究を重ねて、京都造形大を卒業した後は、立命館大学にも通いました。

立命館大のころ参加した、篠山市に残る伝統的建造物保存地区の調査。

立命館大のころ参加した、篠山市に残る伝統的建造物保存地区の調査

2012年には、奈良市消防局からの招聘で、春日大社の防火対策についての調査研究に参加、助言を行った。

2012年には、奈良市消防局からの招聘で、春日大社の防火対策についての調査研究に参加、助言を行った

———卒業された現在も、研究活動を続けていらっしゃるとうかがいました。

立命館大で研究を行っている際、教授に火災が起こった建物の屋根ごとに消火の方法を選ぶことができるのか? といったテーマで論文を書くように課題を出されたんです。
苦しんで苦しみぬいて結局、4年間の間に論文を書くことは出来ませんでした。というのも、理論的に消火することは可能かもしれないけど、現場のことを考えると無理なです。例えば、かやぶき屋根であれば、屋根に登り、萱を引き抜く、あるいは、引き剥がして消すことはできるかもしれませんが、現実は水で濡れた屋根には絶対に上らないというのが消防の鉄則です。それは、上った隊員がすべって落ちてしまいますから。隊員に自分の生命を亡くしたり、ケガをしたりしてまで人を助けるな、というのは現場では大原則です。なぜかそれは、次の人を助けられないし、その隊員にも家族がいるですよね。出して、確かに火を消したかもしれないけど「お父ちゃん殉職しちゃいました」なんて、絶対にやってはいけない。

——崎田さんの研究に対するポテンシャルは、どんな思いから湧き上がってくるのでしょうか?

わたしが突き詰めてやりたいことは、文化財建造物に係わる防火・防災対策について、消防職員としての火災現場における知識と技術に学術的な考えをプラスして、消防隊員の行っていることを伝えることです。消防の世界は、あまりアカデミックな組織じゃないけど、火災現場のことを熟知しているのは、そこで火を消している人。ただ単に火を消しているわけでなく、考えていることがきちんとあります。そして、文化財建造物を所有する方々が、防火・防災設備を設置する際、少しでも私たちの知識技術が参考になればという思いからです。それを伝えるためには、後継者を養成しないといけないし、文化財建造物のみならず木造密集地帯の火災などにも技術や知識を転用できる証明しなくてはいけません。
例えば消器ひとつでも、問題はあります。ここ最近は変わっているかもしれませんが、10年ほど前は文化財や美術品にかけていい消器はありませんでした。一定規模以上の美術館や博物館には消防法で決まっているので必ずてありますが、いざ使ってみると美術品がボロボロになってしまうかもしれない。消火器は、人の生命、財産を守るという観点から製造されているのです。数年前、東京工大の学生と文化財の防火・防災対策について話す機会があったときにも話しました。「誰か文化財に適合した、消器を開発してください」と。ひとりでもそんな人が生まれてくれたらありがたいですね。少しでも自分が知っている知識・技術を、別の分野にも提供したい。もうすぐ65歳になりますが、自分が動けるうちはやれればと思っています。

インタビュー・文 浪花朱音
2016.05.28 電話にてインタビュー

06_プロフィール

崎田芳晴(さきた・ よしはる)

1951(昭和26)年東京都生まれ。元東京消防庁消防吏員。
1972(昭和47)年から3年間、奈良県生駒郡斑鳩町の国宝法起寺三重塔解体修理工事に学生として参加し、1975(昭和50)年東京消防庁入庁。消防吏員として防火に関する知識・技術を生かし、主に奈良地方の木造文化財建造物の防火対策に関する助言、初期消火訓練指導等を行った。
2007(平成19)年からは、東京消防庁に勤務する傍ら社会人学生として、京都造形芸術大学大学院芸術研究科(通信課程)芸術環境専攻(修士課程)芸術環境研究領域に在学。「文化財建造物の保護体制(防火設備、自主防災市民組織)のあり方」について取組み2009(平成21)年修了。同年、立命館大学大学院理工学研究科総合理工学専攻博士課程後期に在学、環境防災設計学研究室に所属し「木造文化財建造物の防火対策」について研究に従事し、2013(平成25)年単位修得満期退学。
2012(平成24)年に東京消防庁を退職。現在は、二松学舎大学学生支援課に勤務する傍ら、消防のOBとしての経験と知識を生かし文化遺産を災害から守るための防火・防災対策及びリーダー等の人材の育成に寄与すべく調査・研究を行っている。


浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学卒業。京都の編集プロダクションにて、書籍の編集などに携わったのち、現在はフリーランスで編集・執筆を行う。「京都岡崎 蔦屋書店」にてコンシェルジュも担当。