(2022.04.10公開)
役者やダンサーだけでなく、薬物依存症リハビリ施設の入所者や京都東九条の老人福祉施設の高齢者、さらに自らの両親まで、さまざまな背景を持った舞台経験のないひとたちとともに舞台・映像作品をつくってきた倉田翠(くらた・みどり)さん。自らも舞台に上がり、演出家・ダンサー・振付家として活動している。役者やダンサーではないひとたちと作品をつくる理由を、倉田さんは決して「彼らのため」ではないと語る。その根底にある思いを、制作の経緯とともに伺った。
———倉田さんは、京都ダルクのひとたちと舞台『眠るのがもったいないくらいに楽しいことをたくさん持って、夏の海がキラキラ輝くように、緑の庭に光あふれるように、永遠に続く気が狂いそうな晴天のように』(以下『眠るのが――』)を上演しておられます。京都ダルクとの出会いについて教えてください。
きっかけは『はじめまして こんにちは、今私は誰ですか?』という作品をつくる際に通うようになった、京都の東九条です。東九条エリアは在日コリアンの方や外国人が多く住んでいて、ひとことでは言い表せない歴史や文化が積み重なっています。
その東九条の川の清掃を手伝っていたときに、男性の集団がやってきました。そして清掃して帰っていく彼らの様子をみていて、「これだ」と思いました。というのも当時、『捌く』という作品をつくっていて、作中で男性の集団性の脅威をあつかっていたんです。川にやってきた男たちは、みんな一生懸命清掃しているようすで「気持ちのいいひとたちだな」と思ったのと同時に、ちょっとふつうじゃない雰囲気がありました。
その彼らの胸のところに京都ダルクと書いてあったんです。薬物依存症のリハビリ施設という基礎情報しか知りませんでしたが、入所しているひとたちに会ってみて興味を持ちました。
彼らは互いに話していても、女の子にへらへらと声をかけるような感じではありませんでした。すごく引いているというか、距離があるんです。だからわたしから話しかけて『捌く』の稽古場に来てもらいました。それからスタッフの方から「見学に来たらどうですか?」と言ってもらって、通うようになったんです。
———出会ってからすぐ、一緒に舞台をつくってみようと思ったのでしょうか?
すぐに舞台をやろうと思ったわけではないんですよ。ダルクに通い出して、初演までに1年半かかっています。基本的に女性は入れないのですが、週に何度も通っているうちにお互いの警戒心も少しずつとけていきました。頻繁に通うようになったのは、ダルクのメンバーの話を聞いて「これ、わたしのことや!」と思ったからです。わたしはクスリはやったことありませんが、話の内容が自分のことのように感じたんです。ダルクでは1日3回、メンバーが集まって話をするミーティングを行います。クスリや依存症の話をするわけではなくて、テーマに沿って自分の感じたこととか経験したことを話します。
特にある男性の話が印象に残っています。彼はほんとうに優秀で、家も裕福で仕事もちゃんとしてきたんですね。だけどある事情があって、自分を隠して生きてきたことでクスリに手を出してしまった。それでも学校や職場でケンカも揉めごとも起こさず、どこでもうまくやってきたそうです。そのどこにでも馴染めることが自分の長所だと語りました。
するとスタッフから、自分の思いよりも周囲に気をつかって合わせてしまう“過剰適応”ではないかと言われて、長所だと思っていたことが自分を苦しめていたかもしれないと気づくんです。わたし自身も「自分はどう思うかより、この状況ではどう行動すべきか」と考えて生きてきたかもしれないと思いました。
———自分もそんな一面を持っているようで、倉田さんが共感する気持ちがわかります。他にはどんな話が印象に残っていますか?
はじめて見学に行った日に聞いたのは、あるおじさんの話でした。そのおじさんが「桜が咲いて、散っていくときが好きや」という話をしました。これまでいろいろ必死にやってきたけど、人生は放物線みたいに石をポーンと投げて落ちていくようなもの。その最後の落ちかけているときが好きで、鉄が錆びているさまとか、何かが朽ちているときがいいとそのおじさんは言うんですね。
勝手なイメージで、薬物依存症というのはいつも話が通じないような状態かと思っていたら、そんなことは全然ないんですね。どこにでもいそうなおじさんが、ほんとによくものを考えているし、毎日毎日、自分のことを問い直しながら生活しています。そんなひとはなかなかいませんし、わたしもそのおじさんの感覚がよくわかりました。
———たしかにそのとおりだと思います。ですがその入所者の話がなぜ、舞台作品をつくることにつながるのでしょうか?
これはある意味、演劇や舞台でやろうとしてることなんです。舞台上で起こっている一見何気ない動きが、みているひとの感覚に響くことがあります。例えば、目の前でダンサーが踊っているだけなのに涙が出てくるとか。これは観客の心のなかにある問題や記憶に響いて、自分のこととして捉えることで泣いてしまうんです。
ダルクのミーティングで「これ、わたしのことや」と思ったということは、ある種、舞台が成立しているんです。それにダルクのひとたちは、すごく話すのがうまいんです。ダルクのミーティングで毎日3回も人前で自分のことを語っている彼らは、舞台上でもほんとに役者みたいにしゃべるんですよ。
それはこの作品の怖い部分でもあって、自分のことをあんなにすらすらとしゃべれるのはある意味めちゃくちゃ気持ち悪いことなんです。しゃべり方がうまければうまいほどダルク歴が長いということですからね。
———ほんとに役者さんかと思うくらい、舞台上でスムーズにしゃべっていました。ですが舞台関係者ではないひとたちと一緒に舞台を上演するのは、簡単なことではないですよね。
そうなんです。ほんとに大変だったんですよ。やっぱり役者とはちがいますし、健康そうにみえても薬物依存症を抱えていますからね。公に顔を出せないようなひともいて、そんなひとたちを舞台に上げるわけですから。
ひとの入れ替わりも激しくて、舞台に出演したからといって依存症が良くなるわけでもありません。舞台上で拍手を浴びて、彼らの役にも立っていると勘違いしそうですが全然そんなことはなくて。もちろん舞台は彼らのためにやったのではありません。彼らには「ただわたしの作品に出てほしいだけ」と伝えていました。それで彼らも一緒にやってくれましたが、簡単に舞台ができるとは思っていませんでした。ただ面白くなるとは感じていましたね。
———舞台は施設建設に反対するひとたちに、ダルクの入所者が説明するシーンからはじまります。それをみている観客が、まるで施設建設に反対している側のように感じます。
そこはすごく構造的に考えていて、舞台にずらっと並んで座っていたダルクのひとたちにとって、目の前にいる観客は施設建設反対運動をしている住民なんですね。実際の施設建設の住民説明会にわたしも参加していて、住民の質問を全部覚えていました。その質問に対する返答を、ダルクのひとたちに思い出して語ってもらいました。
どんな厳しい質問にも、彼らは気丈に答えていました。そのときと同じことばを、彼らは淡々と観客に向かって語りかけます。
「通勤や通学の時間帯に、同じような時間帯にうちのメンバーが駅や公共の交通機関を利用したこともありましたけれども、それで今日まで問題があったことはありません」
といった回答が、緊張感を持って聞こえてきます。
舞台上では、わたしもそこに並んで座っていて、
「わたしはひとを殺したことがあるんですけど、でも捕まってはないんです。というのは合法やったんで。だからわたしは犯罪者ではないです」
と語ります。わたしは法に裁かれていないひと代表として、あなた方はどれだけクリーンに生きているのか、「わたしのことは怖くないですか」ということを問いかけます。そこからみんな下着になって私服に着替えて、いつもの彼らに戻っていく。
最初はお客さんも怖いと思います。圧というか、うわっと強いものを感じます。それがだんだん、わたしが最初に感じたように「これは、わたしのこと」と思えるような構造になっています。彼らは頑張っているんですよ、ということは一切言わないんです。
———倉田さんは、ダルクのひとたちが料理したり話をしたりしている横でずっと踊り続けていますよね。それは倉田さんが、あくまで部外者であることを感じさせます。
そうなんです。わたしはどこにいても、当事者じゃないような感じがずっとあります。それは小さなころから感じています。家族や周りのひとたちのことは好きですし、そのことは認めるけど、自分はここにいていいのだろうかという疑問がずっとつきまとっている感覚があるんです。
わたしが家族をテーマにした作品をつくっているのも、やっぱり家族というものが謎だからです。例えば血がつながっていることには、大きな強度があります。自分の母親は、わたしのためなら死ねるんじゃないかと本気で思えるんですよ。これは愛情のなせるわざかもしれませんが、よく考えると異常なことです。
父と母だって、そもそも他人同士です。そしてふたりの血が混ざった子どもを生むことによって家族が大きくなっていく。だけど子どもを外から迎え入れることもあります。血の繋がりは、家族にとって重要な意味があるようでないような実は曖昧な気がします。
———「ここにいていいのだろうかという疑問」があるそうですが、「ここにいていい」と感じるのはどんなときですか。
今ここにいてもいいと思える瞬間は、YouTubeで公開した映像作品や、先日の舞台(『三重県足立区甲府住吉メゾン・ド・メルシー徒歩0分、入浴中』)でも「ここって、こことか……」と語っているんですが、自分の作品の舞台上なんですね。その瞬間、わたしがつくったもののなかに立っていて、ほんとに全力でやっています。出演者や観客と1時間とか1時間半の時間を共有しているそのときが、わたしがいていいと感じる瞬間です。ただ、「そのとき」は舞台の幕が降りれば終わってしまいますけど(笑)。
だけど家族も、永遠に続くわけではありません。家族の誰かが亡くなることもありますし、離婚することだってありますから。だから今この瞬間、自分がいていいと思えるところが家族というか……考えるとやっぱり難しいですね。
———倉田さんはダルクのひとたちと現実を再現した舞台をつくり、YouTubeで公開している『三重県新宿区東九条ユーチューブ温泉口駅 徒歩5分』でも、ご自身の両親や役者ではない「うらちゃん」と呼ばれる男性が出てきます。そんな役者ではないひとたちと作品をつくるのはなぜでしょうか。
例えば目の前で大切なひとが亡くなると、とても悲しいですよね。子どもや孫が生まれたらすごくうれしい。そんな現実の中にある悲しみやよろこびを、つくりものでフィクションの舞台ではこえられないと思っています。ささいなことでも現実は、想像以上に心に影響を与えることがあります。それに対して舞台はパーンと照明を当てて、大きな音響で劇的な瞬間をつくります。もちろん、フィクションを求めてみにくる方もいますが、わたしは現実の持っている強さを作品とつなげたいんですね。
———“現実”を取り入れた作品をつくるようになったのは、どんな経緯があるのでしょうか。その原点についてお聞かせください。
子どものころからバレエをやっていましたが、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)に入学すると、踊れるということを徹底的に否定されました。特に山田せつ子先生からは、「今、あなたは誰としてそこに立っているのか」ということを言われて、全然意味がわかりませんでした(笑)。
その意味を考えながら自分の舞台をつくって、卒業制作もダンスをしました。だけど“つくりもの”の舞台芸術では「誰としてそこに立っているのか」という問いの答えは出ないと思いました。
それで卒業後にやったのが『展示』と呼んでいる作品です。役者やダンサーに限らず、舞台の経験がないひとも含めて、わたしが面白いと思ったひとを集めて、ある部屋のなかにい続けるというものです。でもひとは、同じ場所にただいるということはできないんです。だからいろんなものを持って来るひともいましたし、ずっとテニスのラケットを振っているひと、何かをにらんでいるひともいました。
その部屋の中に観客が入ってきます。そして何かが起こったときに、それぞれの出演者が判断して行動します。例えばラケットを振っているところに何かを投げられたら、それを打ち返すのも無視するのもその瞬間の判断で、演出しないというか、現実のやりとりなんですね。その『展示』を5回ほどやって、やり尽くしたと思ったのでまた舞台に戻ってきました。
———それから現実と舞台をつなげるような作品をつくるようになったんですね。次につくる作品は、どういったものになるのでしょうか?
東京の有楽町や丸の内界隈で働くひとたちと作品をつくる計画があります。有楽町アートアーバニズムプログラムYAUからご提案いただいた企画でこれから出演者を募集するのですが、即座に「やります」と返事をしました。それは自分からすごく遠くて、よくわからない相手だからです。募集をする東京の一等地で働くいわゆるエリートのひとたちとは、これまで縁がありませんでした。だからこそ面白いものができると思ったんです。
舞台作品をつくりたいからといって、演劇やダンスばかりみていてもだめなんですよ。舞台とは関係なく生きているひとたちのことを知って、自分が社会でどんな位置にいるかを客観的にみないと、もともと狭い舞台の世界がさらに専門的で息苦しいものになってしまいます。同じひとたちがぐるぐる回っているだけでは、衰退していく一方だと思います。
舞台芸術の関係者がみてくれるのもありがたいですが、舞台とは関係なく生きているひとがふらっとみにきてくれるような作品にしたいですね。何万人もみに来てくれたらいいとか、そういうわけではないんです。わたしの作品をみている時間「ここにいてもいい」と感じて、救われるひとがいればいいと思っています。
取材・文 大迫知信
2022 .03.01 オンライン通話にてインタビュー
倉田 翠(くらた・みどり)
1987年三重県生まれ。京都造形芸術大学( 現・京都芸術大学)映像・舞台芸術学科卒業。3歳よりクラシックバレエ、モダンバレエを始める。京都を中心に、演出家、ダンサーとして活動。作品ごとに自身や他者と向かい合い、そこに生じる事象を舞台構造を使ってフィクションとして立ち上がらせることで「ダンス」の可能性を探求している。2016年より、倉田翠とテクニカルスタッフのみの団体、akakilike(アカキライク)の主宰を務め、アクターとスタッフが対等な立ち位置で作品に関わることを目指し活動している。セゾン文化財団セゾン・フェローⅠ。
近年のおもな作品に、幾度も再演を行いakakilike初期の代表作とも言える2016年初演『家族写真』/2017年初演『捌く』、2018年初演、京都市東九条地域の住人とともに制作した『はじめまして こんにちは、今私は誰ですか?』、薬物依存症リハビリ施設京都ダルクのメンバーとともに制作した2019年初演『眠るのがもったいないくらいに楽しいことをたくさん持って、夏の海がキラキラ輝くように、緑の庭に光あふれるように、永遠に続く気が狂いそうな晴天のように』など。
https://akakilike.jimdofree.com/
大迫知信(おおさこ・とものぶ)
京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)文芸表現学科を卒業後、大阪在住のフリーランスライターとなる。自身の祖母の手料理とエピソードを綴るウェブサイト『おばあめし』を日々更新中。祖母とともに京都新聞に掲載。NHK「サラメシ」やTBS「新・情報7DAYS ニュースキャスター」読売テレビ「かんさい情報ネットten.」など、テレビにも取り上げられる。また「Walker plus」にて連載中。京都芸術大学非常勤講師。
おばあめし:https://obaameshi.com/
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