北海道南西部に位置する噴火湾沿岸は、貝塚の密集地帯として知られています。なかでも伊達市の小高い丘陵にある北黄金貝塚は、縄文前期から中期(紀元前5000年~3500年頃)にかけての集落遺跡で、近く世界遺産に登録される見通しとなった「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つに含まれています。現在は史跡公園として一般に開放されています。
広々とした丘でまず目を引くのは、貝殻が敷かれた貝塚跡です。北黄金貝塚では5地点の貝塚がありますが、そのうち2ヵ所において、出土した貝と同じ種類の現世の貝殻が目印として敷き詰められています。縄文前期から中期にかけては、温暖期から寒冷期への移行、および海進と海退など自然環境の変動が著しい時期でした。それを物語るように5地点のうち最も古い貝塚では、温暖な気候を好むハマグリが多く見られ、より新しい貝塚ではカキやホタテが主体となっていきます。当時の人々は、環境の移り変わりに適応しながら柔軟に漁労を行っていたことがうかがえます。
また丘を少し下った一角には、さらさらと水が流れる湧水地があります。この湧水地付近では大量の擦石や石皿が発掘されており、道具を供養する祭祀が営まれていたと考えられています。このほか貝塚からは、神聖視されていたシカの頭部を祀った痕跡や、屈葬の形式で葬られた14体の人骨が発見され、いずれにも土器が添えられていました。土器を添えるというのは、生まれる以前の状態に戻すという意味合いがあったそうで、貝塚一帯が万物の再生を願う「墓地」だったことを示しています。資源を大切に、生命を尊ぶ縄文の人々の姿勢は、現代の私たちにとっても何らかの示唆に富んでいるのかもしれません。
なお、筆者が訪れた際は残念ながら休館中でしたが、貝塚に隣接する「北黄金貝塚情報センター」では、クジラの骨で作られた刀をはじめ、土器や石器、装飾具といった出土品が展示されているとのことです。自然とともに懸命に生きたであろう縄文の人々の知恵、そして創造性に、初夏の清々しい風を受けつつ思いを馳せたひとときでした。
参考
小林達雄編(2010年)『世界遺産 縄文遺跡』同成社
青野友哉(2014)『北の自然を生きた縄文人 北黄金貝塚』新泉社
北海道・北東北の縄文遺跡群
https://jomon-japan.jp
(加藤綾)