2019年10月31日夜半、正殿から出火した火災により、正殿と北殿、南殿・番所など、首里城の主要な建物が焼失してしまいました。「中秋の宴」の時の夕闇に浮かぶ首里城の姿を思い出しながら、テレビ画面の炎上する首里城を見ていました。正殿エリア一帯は立ち入りが制限されていますが、それ以外のエリアは2019年12月14日に立ち入り制限が解除されました。
1月22日、火災後、初めて首里城を訪れました。
思いのほか、多くの人が訪れていました。訪れた人々は火災現場を確認するように制限区域に沿って移動し、黒く焼け崩れた建物を写真に収めていました。
首里城の火災に接して感じたことをいくつか述べます。
まず、焼け跡を写真に収めている人を見て、「琉球王国の歴史・文化の象徴」から「災害の記憶」へと首里城観光が変わったと感じました。
現在の首里城を訪れた人は、火災の現場を見るため制限区域に沿って移動します。すると「京の内」というエリアに誘導されます。そこで「首里城にこんな場所があったんだ」という会話を耳にしました。
「京の内」とは首里城の「祭祀空間」で祭政一致の琉球王国にとって重要な場所でした。首里城公園を運営する財団は「京の内」を含む見学コースを「首里城復興モデルコース」として情報発信を始めました(1)。
正殿エリアの焼失は、結果的にこれまで素通りされてきた場所に光をあてることになりました。
どのような形になるかは今後検討されていきますが、首里城復元は、国、沖縄県、沖縄県民三者の共通した認識になっています。
正殿区域の被災箇所も片づけられるでしょう。時間の経過とともに災害の記憶も薄れてきます。近い将来、首里城はいわゆる「ダークツーリズム」の対象ではなくなります。
プロジェクションマッピングなど、新たな観光の目玉を整備する話も起こっています。
火災が観光地としての首里城の今とこれからにどのような影響を与えたかを述べてきました。
最後に、この災害が県民にとって「首里城」とは何かを再認識させる出来事であった(2)ということを追記しておきたいと思います。
(1)首里城復興モデルコースのご紹介
http://oki-park.jp/shurijo/info/4860
(2)私たちは立ち上がる 首里城焼失 特別評論 小那覇安剛社会部長|特集 ひやみかせ首里城再建|琉球新報 Web News
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1018340.html
(儀間真勝)