琉球王国時代、新しい国王の即位には冊封関係にある中国から、皇帝の使者である冊封使がやってきました。
彼らは南からの季節風を待って中国南部、現在の福建省を出発し、一連の儀式を済ませ、北からの季節風が吹くころ中国へ戻ってゆきました。
半年以上沖縄に滞在する彼らのために、琉球王府はたびたび宴を設け、琉球の芸能でもてなしました。その中で八月十五夜に行われたのが「中秋之宴(ちゅうしゅうのえん)」です。
中秋之宴は琉球国王の居城である首里城正殿前の庭「御庭(うなー)」に特設舞台を設けて催されました。
観光地となった現在の首里城でも、八月十五夜に近い日を選んで「中秋の宴」というイベントが行われています。(1)
令和元年は9月14日(土)に行われました(当初2日間の予定でしたが、残念ながら2日目は荒天のため中止となりました)。
現代の「中秋の宴」に行ってきました。王国時代と同様、正殿の前に舞台が設けられ、立ち見を含め多くの観客が舞台に見入っていました。(2)
沖縄県立芸術大学で琉球芸能を学ぶ若い芸能者による演奏と舞で宴は幕を開けました。続いて、人間国宝を含む第一線で活躍する琉球芸能の伝承者たちが、頂点の芸を披露しました。
宴は、今から300年前の1719年に沖縄で創作された歌舞劇「組踊」へと続きます。子を思う母親の情愛を描いた「女物狂(おんなものぐるい)」が上演されました。
音楽と独特な所作で演じられる舞台を見つめる観客を、正殿の後ろから姿を現した満月が照らします。(3)
幻想的な雰囲気の中、古の冊封使の宴に思いをはせ舞台に引き込まれてゆきました。
冊封使をもてなす中で磨かれていったのが沖縄の芸能です。明治になり王国の後ろ盾がなくなると、琉球芸能の芸能者たちは民間に出ていきました。
首里城の芸能は彼らによって沖縄各地に伝播し、現在にいたります。
首里城は琉球芸能の原点といっても良いでしょう。
琉球芸能の伝承者たちが、年に一度、八月十五夜の夜、首里城の舞台に戻ってくる。そんな特別な空間と時間を共有できる体験でした。
(儀間真勝)