初春の令月にして
気淑く風和ぎ
梅は鏡前の粉を披き
蘭は珮後の香を薫ず
太宰府市の観光スポットと言えば、学問の神様として親しまれている「太宰府天満宮」が全国的に有名ですが、新元号「令和」の典拠が約1300年前に大宰府の地で行なわれた「梅花の宴」を記した『万葉集』「梅花の歌三十二首」の序文にあることが発表されて以来、新たな顔ぶれが加わりました。「梅花の宴」の舞台となった大伴旅人の邸宅があったとされる坂本八幡宮や、「梅花の宴」の様子を再現したジオラマが展示されている大宰府展示館が、令和ゆかりのスポットとしてたくさんの観光客で賑わいをみせています。
旅人の邸宅があったとされる……と書きましたが、実は旅人の邸宅がどこにあったのかはわかっておらず、坂本八幡宮付近のほか、大宰府展示館の横にある月山東地区官衙跡、菅原道真公が居たという南館(現・榎社)の東側、の3説があります。手掛かりとなるキーワードは旅人の歌「わが岡に さ男鹿来鳴く 初萩の 花嬬問ひに 来鳴くさ男鹿」にも詠まれている〈わが岡〉。旅人邸の近くには丘陵があったと推測されており、3ヵ所の推定地の近くにはそれぞれ〈わたしの丘〉と詠みたくなるような丘陵がありますが、これまでに行なわれた発掘調査からは決め手となる遺構や出土品が見つかっておらず、謎は深まるばかりのようです。
また、大宰府展示館では、人気の「梅花の宴」のジオラマのほかにも、「梅花の宴」の主役である白梅は中国から渡来したばかりの高貴な花であり、当時の日本文化の最先端をいく宴であったことや、王義之の傑作『蘭亭集序』との関連性についてなど、大陸との交流の窓口であった大宰府ならではの拓かれた視野の解説や展示を楽しむことができます。
この記事が掲載される頃には新元号フィーバーも一段落していると思いますので、旅人が生きた時代に思いを馳せ、「令和」というテキストに込められた私たちへのメッセージを探しに、万葉集を片手に太宰府を訪れてみませんか?
(中井健二)