富山県高岡市は鋳物(いもの)の町です。高岡鋳物の歴史は古く、加賀藩二代藩主の前田利長が高岡に築城、入城したときに始まります。利長が現在の高岡市金屋町に鋳物師を招き、鋳物場を開設させ、三代藩主の利常が高岡町民の外部移転を禁止し、高岡の商工の町への転換を図ったとされています。初期には、鍋、釜、鉄瓶などの日用品や鍬(くわ)、鋤(すき)などの農耕具を生産し、江戸時代中期になると、釣鐘や燈籠などの銅鋳物が作られるようになりました。高岡鋳物発生の地である金屋町は、2012年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。この地域では千本格子のことを「さまのこ」と言います。かつてはどこにでも見られた「さまのこ」と石畳の町並みは、今ではとても貴重なものになってしまったのでしょう、私にはとても懐かしく感じられました。所々に現れる銅像は、この町の人々にとって鋳物が身近なものであることを教えてくれているようです。
町並み散策の途中で、高岡市鋳物資料館に立ち寄りました。ここでは高岡鋳物の歴史や技術が分かりやすく解説されています。鋳物製品や鋳造用具の展示、伝統的な鋳造技術のほかに、最新の着色技術なども紹介されていました。高岡鋳物産業では、現在も、技術や素材の研究、開発が進められています。
さらに歩いていくと、鋳物の製造体験ができる工房を見つけました。箸置きやペーパーウェイト、アクセサリーなど、自分だけの鋳物製品を作ってみるのも楽しいかもしれませんね。もちろん、技術の高い高岡鋳物製品を求めることもできます。
金屋町から徒歩10分、越中三大仏のひとつである高岡大仏も、高岡鋳物の技術の粋が集められたものです。大火によって消失した大仏を1907年から26年の歳月をかけて再建しました。今回はメンテナンス中で、皆さんに見ていただきたかったお顔をうまく撮影できませんでしたが、実に美男子でいらっしゃいます。与謝野晶子が鎌倉大仏を「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」と詠んだのは有名ですが、高岡を訪れた際には「鎌倉大仏より一段と美男」と評したそうです。ぜひ参拝に訪れてみてください。
(加藤明子)