私が30年前に訪れた中国雲南省の大理は、バックパッカーの聖地として知られながらも、静けさのある町でした。旅人の姿はそれほど多くはなく、欧米系のバックパッカーや日本人をときおり見かける程度でした。大理の町に寄り添うように広がる洱海(じかい)の対岸へ、手漕ぎの渡し船で1元(当時は日本円で10円)で渡った記憶もあります。白(ペー)族の家々が並ぶ路地には、茸を売る人や刺繍をする人など、素朴な暮らしの匂いが満ちていました。とくに大理から少し奥地へ入ると、少数民族の文化は観光のための演出ではなく、まさに生活そのものとして息づいていました。

祖父母、母、孫で民族衣装を楽しむ。「日本の京都芸術大学の機関誌に写真を載せていいか」と聞くと「それは名門大学か? 名門大学だったらうちの子は入学可能か?」と逆に質問された。「これから日本一の大学になる」と答える
今回(2025年)、久しぶりに訪れた大理は、まるで日本の繁華街を歩いているかのような賑わいでした。観光名所の大理古城の通りは観光客であふれ、レンタルの民族衣装に身を包んだ人々が、衣装をコスプレのように楽しみながら、スマホで写真撮影に熱中しており、路地はまるで撮影スタジオのような光景でした。
活気があるのは良いのですが、本来この地に暮らす白族の姿は観光の喧騒の中では影を潜めています。観光客が着用している衣装は、デザインを優先し大胆にアレンジが施されたものでした。白族だけでなく侗(トン)族や苗(ミャオ)族など、周辺の少数民族の衣装も混同して、現代的にデフォルメされており、その大胆さには驚きを覚えました。

右の赤い傘に書いてある「47」はツアーガイドが持つ目印の傘で、ツアー番号が47のこと

町に何軒もある、レンタル衣装屋。1着200元程度~、メーク付きで400元程度~(2025年現在、1元21円ほど)。夜に到着したツアー客も、21時頃にもかかわらず、次々と派手なメークをしてショップから町へと闊歩する
現在の大理では、少数民族の文化が生活から切り離され、「観光コンテンツ」として消費される側面が非常に強まっているように感じます。観光客が少数民族の文化の雰囲気を楽しむ視線があり、それを受け入れ生きようとする少数民族の姿がそこにはありました。しかし一方で、観光を通じて主に漢族や東南アジア系観光客と少数民族が触れ合うことは、誤解や距離を生みながらも、互いを理解する第一歩でもあるように思われます。これからの大理は、白族や他の少数民族が自らの文化を発信する「文化の交差点」としての役割を担っていくのかもしれません。

山々の緑はそのままでした
早朝に大理の町を散歩すると、石畳の路地には夜の屋台から出たゴミが風に揺られて静かに佇んでいました。しかし顔を上げると、30年前と変わらぬ山紫水明の景色が広がり、大理の山々が堂々と姿を見せています。大理は大きく変わったように思えましたが、その一方で、町は今もなお人々を寛容に受入れているように感じられました。
参考
高畠穣『現代中国文学5 丁玲・沈従文』松枝茂夫訳、河出書房新社、1970年、pp.273-358。
(中野聡史)


