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アネモメトリ -風の手帖-

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#296

真鶴貴船まつり—歴史と文化を次世代に繋ぎ、コミュニティを育む
― 神奈川県真鶴町

真鶴駅からタクシーで港まで。車を降りて目に飛び込んできたのは照りつける日差しと光る海、美しく装飾された小早船(こはやぶね)でした。
船揚場に置かれた小早船は、極彩色の飾りを纏い水浮けの時を待っていました。揃いの半被に身を包んだ男衆が船を囲み、海の上では櫂伝馬(かいでんま)と呼ばれる船が小早船の水浮けを見守っています。
令和7年7月25日、貴船まつり宵宮の日。筆者は関係人口としてここ数年、祭りを楽しみに真鶴町を訪れています。

水浮けを待つ東の小早船。小早船は東西の二艘あります

水浮けを待つ東の小早船。小早船は東西の2艘あります

真鶴町は神奈川県南西部にあり、足柄下郡に位置しています。三方を海に囲まれた真鶴半島は海の幸に恵まれ、良質な小松石の産地でもあり、漁業と石材業が盛んな港町として江戸時代から栄えていました。石材は船で江戸まで運ばれ、江戸城の石垣にもなったそうです。そんな町の歴史が貴船まつりには今も残され、継承されてきました。
昭和33年に神奈川県指定無形文化財、昭和51年に神奈川県指定無形民俗文化財、平成8年には重要無形民俗文化財に指定されるも、近年では過疎地域認定もされ、祭りの担い手にも困る状況に陥っています。
祭りには神事としての側面が色濃く残り、様々な儀礼や船の扱いは代々、年長者から伝えられてきましたが、高齢化と後継者不足、産業構造の変化は祭りにも影響を与えていました。
そんな状況が少しずつ変わってきたのはここ最近のこと。都会からの移住者が少しずつ増え、祭りとその準備に参加するようになったのです。最初は手伝いたいけれど他所者が入っていけるのか? と躊躇することもあったとか。
祭りは海に寄り添うこの地の営みに基づく神事でもあり、その戸惑いは当然ですが、人がいなければ祭りの存続にも関わります。話し合いながら少しずつ門は開かれ、結果としてコミュニティを繋げることにもなりました。

神輿と祭り関係者を乗せた台船が船渡御の時を待っています

神輿と祭り関係者を乗せた神輿船が船渡御の時を待っています

櫂伝馬は練習の成果を発揮、力強く湾内へ漕ぎ出しました

櫂伝馬は練習の成果を発揮、力強く湾内へ漕ぎ出しました

今年は8年ぶりに海上渡御(かいじょうとぎょ)も行われました。海上渡御とは、最前方より他の船を引いていく東西2艘の櫂伝馬、祭りの花形である東西の小早船、貴船神社の神輿がご鎮座する神輿船、祭りを盛り立てる東西の囃子船(はやしぶね)の計7艘が海を渡る神事のこと。
神輿船に神輿と担ぎ手、鹿島踊りの演者などの関係者を乗せて湾を渡っていく様子を見ることができました。囃子船は真鶴囃子を打ち、そこに鹿島の唄が重なり、2艘の櫂伝馬も湾へ漕ぎ出し、祭りを盛り上げました。
強風で船団が前方に進めなくなる事態も発生しましたが、漁船及び石船の曳航により渡御は無事完了しました。一連の祭りは、全て人力によって進行します。船を操り動かすのも人、櫂伝馬の漕ぎ手は1年の練習を重ねました。鹿島踊りの踊り手も希望者が増えているそうです。祭りとは、身体の記憶を継承することでもあると実感しました。
真鶴には8月から始まるカレンダーがあります。1年は「貴船まつり」によって締めくくられるという町の感覚に倣って作られたカレンダーは、真鶴出版が制作、7月から販売されています。そこで暮らす人が、祭りを自分ごとと意識を変えることでコミュニティが活性し、文化と歴史を伝えることに繋がる。祭りの無事を願い、来年もよろしくと貴船神社に向かい一礼しました。

YouTube– 真鶴貴船まつり 令和7(2025)年度【ナレーション追加版】~真鶴の海に祈りを乗せて~8年ぶりの海上渡御

令和7年真鶴貴船まつり
https://kibunematsuri.jp/kibunematsuri_2025.html

真鶴出版オンラインストア
https://manapub.stores.jp/

(原 順子)