アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風信帖 各地の出来事から出版レビュー

TOP >>  風信帖
このページをシェア Twitter facebook
#264

地域の文化と伝統を守る人々 ―波々伯部神社、夏の「祇園祭」にて―
― 兵庫県丹波篠山市

兵庫県丹波篠山市の中心部から東に6キロほどの場所に「波々伯部神社(ほうかべじんじゃ)」があります。
波々伯部神社の社伝では680年の創建とのことですが、京都の祇園社(現八坂神社)から勧請したという伝承もあり、祇園様とも言われています。波々伯部神社を守っているのは、明治時代から代々続く近松家の宮司と地域の8集落の氏子さんたちです。
近松宮司は現在77歳、先代の宮司であるお兄様が高齢となり、退職後に大学に通い宮司の資格を取られたそうです。田舎の宮司は年金収入が無いとやっていけないとのことです。
近松宮司の1日は、裏山の木々やご神木から境内に降り積もる落ち葉の掃除から始まります。周辺の神社が無人になり、複数の神社を1人で兼務する近松宮司は、遠方での地鎮祭や神前結婚式、例祭や氏子さんの集まりなど多忙な毎日で、近松宮司には、365日休みが無いそうです。

①明和2年(1765年)に建てられた社務所には長沢芦州の襖絵などがあります。 ②襖絵の前には装束が掛けられています。これらの作品(襖絵など)は現在も神社の中で近松宮司や地域の氏子さんと共に時を刻んでいます。美術館のガラスケースの中とは違った、呼吸をしている文化財のように感じます。 ③江戸時代から続く鯛のお守りです。藤と鯛の絵で「封じたい」と読み、災いを封じるお守りとして飾られています。毎年新しい絵が描かれ、氏子さんの玄関先に飾られています。写真のものは特に古い「封じたい」とのことですが年代はわからないとのことです。 ④江戸時代から一度も洗われたことがない天狗の法衣です。不思議と汚れない、匂わない法衣は、麻で作られているようです。例年、祭りの時は氏子さんが、この法衣を身に付けて天狗に扮して歩きます。

①明和2年(1765年)に建てられた社務所には長沢芦州の襖絵などがあります。
②襖絵の前には装束が掛けられています。これらの作品(襖絵など)は現在も神社の中で近松宮司や地域の氏子さんと共に時を刻んでいます。美術館のガラスケースの中とは違った、呼吸をしている文化財のように感じます。
③江戸時代から続く鯛のお守りです。藤と鯛の絵で「封じたい」と読み、災いを封じるお守りとして飾られています。毎年新しい絵が描かれ、氏子さんの玄関先に飾られています。写真のものは特に古い「封じたい」とのことですが年代はわからないとのことです。
④江戸時代から一度も洗われたことがない天狗の法衣です。不思議と汚れない、匂わない法衣は、麻で作られているようです。例年、祭りの時は氏子さんが、この法衣を身に付けて天狗に扮して歩きます。

波々伯部神社で最も大きな行事は8月の第1土曜と日曜に行われる「祇園祭」です。近隣8集落の宮総代と近松宮司が実施の可否や山車のコースなどを決めます。
近松宮司は、500名程の参加者名簿の作成と全員分の傷害保険加入手続き、警察や消防、役場への届け出等々、煩雑な業務をほぼ1人でこなしています。
近年、熱中症の危険があるため祭り前日~当日に、8集落の代表が各々で山車の台数等を決めます。
2024年8月3~4日にかけて行われた「波々伯部神社祇園祭」では、地域の8集落の山車が一斉に集まり奉納する壮大な場面が見られました。
気温が30度を超える中、宵の闇を切り裂くように老若男女が声を枯らして、山車が荒ぶれる壮観な様を間近で見ると暑さを忘れてしまうほどです(3日の宵の神事では8台の山車が出ましたが、4日は気温が35度を超えたため、4台の山車巡行のみでした)。
伝統を守り地域に根付いた「祭り」が、学生ボランティアなどの力を借りながらも、いつまでも続くことを願うばかりです。

①昭和30~40年頃に撮られたと思われる祭りの写真(近松宮司所蔵の写真より転載、場所不詳)。 ②2024年8月3日の写真です。①と比べて茅葺き屋根と砂利道のほか、大きな変化はないように見えます。 ③威勢良く山車を荒ぶらせ、奉納を行います。山車が激しく踊っているかのようです。 ④宵の奉納では提灯に火が入り、かけ声が一段と激しくなります。提灯には神社からの御神火が灯っています。

①昭和30~40年頃に撮られたと思われる祭りの写真(近松宮司所蔵の写真より転載、場所不詳)。
②2024年8月3日の写真です。①と比べて茅葺き屋根と砂利道のほか、大きな変化はないように見えます。
③威勢良く山車を荒ぶらせ、奉納を行います。山車が激しく踊っているかのようです。
④宵の奉納では提灯に火が入り、かけ声が一段と激しくなります。提灯には神社からの御神火が灯っています。

①右は近松宮司、左は地域の自治会長。会長から「8月の祭りの時は、都会から人が戻ってきて賑やかになる。この地区では、人口減少は急激ではないですが、高齢化率が高く、若者が少ない。特に幼児や小学生が少ない」と地域の現状を教えていただきました。 ②ご神木の一本は幹が空洞になり、スズメバチが巣を作っていましたが、祭りに向けて巣の出入り口を砂利で埋めています。参拝者には気付かれない小さな仕事が宮司には沢山あります(筆者も少しだけ手伝わせていただきました)。 ③ご神木の根が床下で成長して、明和2年(1765年)に建てられた社務所が傾いています。近松宮司が子どもの頃から地面は盛り上がっていたそうです。 ④何本かあるご神木から落ちた種子が発芽し、小さな苗が育っていたそうです。その苗を幹が空洞になった杉の根元に移植し、ここまで大きくなるのに10年かかったそうです。何百年後には、大木になっていることでしょう。 ⑤風が強いと、あっという間に落ち葉が屋根に積もるそうで、何度掃除をしても切りが無いそうですが、これもお勤めだそうです。

①右は近松宮司、左は地域の自治会長。会長から「8月の祭りの時は、都会から人が戻ってきて賑やかになる。この地区では、人口減少は急激ではないですが、高齢化率が高く、若者が少ない。特に幼児や小学生が少ない」と地域の現状を教えていただきました。
②ご神木の一本は幹が空洞になり、スズメバチが巣を作っており、祭りに向けて巣の出入り口を砂利で埋めています。参拝者には気付かれない小さな仕事が宮司には沢山あります(筆者も少しだけ手伝わせていただきました)。
③ご神木の根が床下で成長して、明和2年(1765年)に建てられた社務所が傾いています。近松宮司が子どもの頃から地面は盛り上がっていたそうです。
④何本かあるご神木から落ちた種子が発芽し、小さな苗が育っていたそうです。その苗を幹が空洞になった杉の根元に移植し、ここまで大きくなるのに10年かかったそうです。何百年後には、大木になっていることでしょう。
⑤風が強いと、あっという間に落ち葉が屋根に積もるそうで、何度掃除をしても切りが無いそうですが、これもお勤めだそうです。

※波々伯部神社は、兵庫県知事と神社庁に、届け出(昭和27年に届け出済み)をして行政上、正式に登録されています。その時に読み方を「ほうかべじんじゃ」として届け出ています。しかし地域によっては「ほほかべ」「ほおかべ」「ははかべ」「はかべ」その他の読み方も多くあります。

※文化財等は、基本的に非公開となっています。迷惑にならないよう境内から(外観のみ)の拝観でお願いします。

参考
ぐるり!丹波篠山「波々伯部神社祇園祭」、
https://tourism.sasayama.jp/hohokabe_gionmatsuri/(2024年8月15日閲覧)。

「暑さで巡行断念の山車も “丹波の祇園さん” 『何より命が大事』/兵庫・丹波篠山市」『丹波新聞』2024年8月9日、
https://news.yahoo.co.jp/articles/abb8438a17a6f9a269d172cf062cee2170bc11bf(2024年8月15日閲覧)。

YouTube「【ひょうご形の無い文化財】中世の人形劇・波々伯部神社おやまの神事」、https://www.youtube.com/watch?v=RFlcQA2UJvQ(2024年8月15日閲覧)。

(中野聡史)