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アネモメトリ -風の手帖-

風信帖 各地の出来事から出版レビュー

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#251

この世界を生きるために
― 岩手県平泉町

まず、今年2024年1月1日に起きた能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。東日本大震災の記憶が頭をよぎり、またこのような大変な事態に遭われた方々がいることに胸が痛みます。
今年は、岩手県平泉にある中尊寺金色堂が建立されてから900年の節目の年にあたります。これに合わせて東京国立博物館では建立900年特別展「中尊寺金色堂」が、また平泉では中尊寺宝物館賛衡蔵(さんこうぞう)で建立900年記念「金色堂の信仰と継承」がそれぞれ開催されています(註1)。
金色堂は2026年に開創900年を迎える中尊寺の堂塔のひとつで、東北地方現存最古の建造物です。また皆金色(かいこんじき)と呼ばれる、建物のほぼ全てが金箔で覆われている世界でも稀有な存在です(註2)。この金色堂は天治元年(1124)に奥州藤原氏初代清衡(きよひら)(1056~1128)によって建立されました。これは霊廟でもあり、堂内には現在も藤原4代のご遺体が納められています。

「月見坂」と呼ばれる中尊寺の表参道

「月見坂」と呼ばれる中尊寺の表参道

現在の岩手県を含めたみちのく(註3)は古来より中央政権による差別や偏見、そして征服の対象とされてきました。清衡は幼いころからこうした中央との戦乱に巻き込まれ、その中で肉親を全て失いながら一人生き残っています。この中央からの介入と肉親の相次ぐ死が、「みちのくを浄土に」という清衡の思想を形成していったといわれています。
清衡は熱心な釈迦信奉者で、みちのくの統治に絶対平等を根本精神とする法華経を据え、都もみちのくも初めから平等であるというメッセージを発します。そこには、みちのくの平和は都からの差別がある限り訪れないという清衡の原体験からの確信がありました(註4)。中尊寺は過去の戦で亡くなった命を敵味方関わらず平等に供養するために建立されたものです。

中尊寺本堂

中尊寺本堂

私の親戚に平泉郷土館(現平泉文化遺産センター)長を務め、平泉文化の世界文化遺産登録に尽力された方がいらっしゃいます。既にお亡くなりになられていますが、世界遺産登録に向けた言葉の中で、奥州藤原氏の「『みちのくを浄土に』の願いとその取り組みは、『文化による平和』『互いに価値を認め合う万物の共生』『自然との融合』という具体的な形をとって世界に発信され、受け容れられるにちがいない」と述べています(註5)。互いに価値を認め合うとは、例えば差別や偏見を乗り越えること、つまり都、みちのくというそれぞれ他者を〈想像〉する力が求められます。一方で平泉は黄金文化や、京都を介さない独自の日宋貿易で得た莫大な資財が頭に浮かびます。しかしそれらは絢爛豪華な貴族趣味や、権威誇示のためというよりも、仏教都市の造営などによって現世の平和(あの世ではなく)を実現する空間をみちのくの地に〈創造〉するためのものでした。さらに都の文化も積極的に取り入れ、時にはそれを凌ぐものや先取りするものも所持することで、中央の偏見を取り払おうとします。こうして「文化による平和」が目指され、平泉文化はおよそ100年続きました。

奥州藤原氏は膨大な数の経典を制作しています。ここは国宝の中尊寺経を納めていた経蔵

奥州藤原氏は膨大な数の経典を制作しています。ここは国宝の中尊寺経を納めていた経蔵

ここで平和や戦争について少し立ち止まって考えてみると、戦争は大昔から現在に至るまで幾度となくあり、そこで生まれた多くの犠牲の上に歴史は積み重なって来ました。しかしそう言えてしまうことは実は恐ろしいことでもあります。それは戦争の正当性を述べているからです。そのため人類は戦争を起こさないで歴史を前へ進める手立てを考え、講じてきました。
現代に立ち返ってみると、2022年2月に始まったウクライナとロシアの戦争は既に2年が過ぎました。この戦争は国際社会に対する情報戦、広報戦とも言われます。どちらに正義があるのか、戦う正当性があるのかという大義を掲げ、支持を求めています。また、史上最も戦場の映像や画像が発信されている戦争とも言われています。作家で批評家のスーザン・ソンタグ(1933~2004)は、戦争写真について述べた著書のなかで「戦争反対の主張は、誰がいつ、どこで、という情報に依存せず、無慈悲で恣意的な殺戮が充分な根拠となる。それとは対照的に、一方の側には正義、他方には抑圧と不正があり、ゆえに戦闘は続けられねばならない、と信じる者にとって重要なのは、まさに誰によって誰が殺されるかということである」と指摘します(註6)。後者の、正義と悪が〈どちらなのか〉という定義の重要性はガザ地区における戦闘でも同様です。私たちはまず起きている戦争それ自体を否定するべきですが、そうした完全なる反戦の主張は簡単なことではないと気付かされます。
また平和とは戦争がないことだけを指すのではありません。1989年に不条理を主要なテーマとした文学・演劇界の巨人、サミュエル・ベケット(1906~1989)が亡くなります。文筆家の小崎哲哉は著書『現代アートとは何か』のなかで、ベケットが亡くなった「1989年以降2001年の9.11と2011年の3.11を経ていまに至る時代において、世界はあからさまにディストピア化している」と指摘します(註7)。まるでベケットの不条理文学が現実に表出したかのようだと。この著書が出版された2018年以降も、周知のように新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)によるパンデミック、ロシアとウクライナの国家間戦争、そして能登半島地震と災厄が続き、世界はユートピアとは程遠いように感じられます。小崎も指摘するように地球温暖化といった大きな規模の変化も起こっています。しかしこうした不条理は今に始まったことではありません。戦争・災害・疫病・飢餓など、考えると世界は私たちの時代以前から決してユートピアではなかったのだと気付きます。そうした長い歴史のなかにおいて「文化による平和」「互いに価値を認め合う万物の共生」「自然との融合」を目指したのが平泉文化でした。これは現在の私たちも目を向けるべき、人類の大きなテーマのように思えます。
清衡が目指した他者理解のための〈想像力〉、そして自己の思想や考えをこの世界にかたちにしていく〈創造力〉は、芸術文化においても、生きる上でも大切なことだと思います。そしてだからこそ、芸術は生きることに繋がっているのだとも言えます。前出の小崎はベケットの遺した有名な散文「想像力 死んだ 想像せよ」を引き合いに「想像力の死はアートの死にほかならないばかりか、人間性の死にほかならない」と言い切ります(註8)。決してユートピアとは言えないこの世界で、いまを生きていくために(如何なる時代であっても)私たちに必要な力だと思います。
真冬の澄み切った空気のなか金色堂の藤原4代を前に手を合わせ、平和を願わずにはいられませんでした。

④

(註1)
・東京国立博物館 建立900年特別展「中尊寺金色堂」2024年1月23日~4月14日
・中尊寺宝物館賛衡蔵(さんこうぞう) 建立900年記念「金色堂の信仰と継承」1月13日~4月24日

(註2)
須弥壇の後方部分については一面黒く、現在は金箔が貼られていません。これは長い年月で金箔が剥がれ落ちた後の漆下地で、これを保存するための処置として敢えて修理時に貼り直ししませんでした(※)。これにより建立当初の金一色のお堂の姿をみることは出来ませんが、代わりに現在は須弥壇上の金箔で覆われた諸像が際立ち、暗闇から立ち現れるかのような印象を私たちに与えています。

※展覧会図録『建立900年 特別展 中尊寺金色堂』東京国立博物館ほか、2024年、p.37。

(註3)
「陸奥(道奥)国」(みちのくのくに)のうち、日本海側は出羽国(でわのくに)として分離されたため、厳密には陸奥(道奥)とは東北地方の太平洋側を指しました。ここでは現在一般的な呼称である「みちのく」と表記します。

(註4)
展覧会図録『特別展 平泉 みちのくの浄土』NHK仙台放送局・NHKプラネット東北、2008年、pp.8-15。

(註5)
展覧会図録『特別展 平泉 みちのくの浄土』NHK仙台放送局・NHKプラネット東北、2008年、p.15。

(註6)
スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、2003年、p.9。

(註7)
小崎哲哉『現代アートとは何か』河出書房新社、2018年、p.250。

(註8)
小崎哲哉『現代アートとは何か』河出書房新社、2018年、p.419。

参考
岩手県教育委員会『記憶の眠る景観 「平泉の文化遺産」ガイドブック』いわて・平泉観光キャンペーン実行委員会、2005年。

菅野成寛ほか『中尊寺と平泉をめぐる』小学館、2018年。

岩手県平泉 天台宗東北大本山 関山 中尊寺、https://www.chusonji.or.jp/index.html(2024年1月20日閲覧)。

いわての文化情報大事典「奈良-平安時代」、http://www.bunka.pref.iwate.jp/genre-list?parent_id=1667(2024年1月25日閲覧)。

展覧会公式サイト「建立900年 特別展 中尊寺金色堂」、https://chusonji2024.jp/(2024年2月12日閲覧)。

(大矢貴之)