北海道登別市の住宅街の片隅に、ひっそりと小さな記念館が建っています。『アイヌ神謡集』を編訳したことで知られる、知里幸恵(ちりゆきえ)さんの「銀のしずく記念館」です。作家の池澤夏樹さんらをはじめとするNPO法人「知里森舎」の募金活動により、2010年に開館しました。
明治36年、登別に生まれた知里幸恵さんは、幼少より祖母モナシノウクのもとでアイヌの口承文芸に親しみ、7歳の頃に祖母とともに旭川に移り住んだのち、伯母の金城マツにアイヌ語のローマ字表記を学びました。折しも言語調査のため旭川を訪れていた金田一京助の勧めで大正11年に上京し、『アイヌ神謡集』の出版に向け翻訳作業に尽力するも、校正を終えた矢先、心臓病のため19歳で夭逝しました。『アイヌ神謡集』はその翌年に刊行され、13篇のカムイユカㇻ(多様な動物を神様として物語が叙述される詞曲)が収められました。アイヌ語の豊かな表現を瑞々しく的確な日本語に訳したものとして評価されています。
記念館には幸恵さんが遺した手紙や手記、また写真パネルなどが展示されているほか、アイヌにまつわる書籍や資料が揃えられています。つい長居してしまうような心地の良い空間となっています。展示品のなかでも筆者が注目したのは「知里幸恵ノート」と呼ばれる、カムイユカㇻのローマ字表記とその対訳が記された自筆のノートです。館名の由来にもなった、「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに(Shirokanipe ranran pishkan)”」のページが展示されており、柔和で端整な筆跡からは幸恵さんのたおやかな人柄が伝わってくるようでした。また昨今は感染症のため難しい情況ですが、記念館では音楽会や散策会といったイベントも定期的に開催されてきました。
幸恵さんの生きた時代は同化政策が進められ、アイヌ文化は実に厳しい環境に置かれていました。自らのアイデンティティを模索し、時に差別や偏見といった苦痛を伴いながらも、強い使命感をもってアイヌ文芸の継承に大きく貢献した幸恵さん。「銀のしずく記念館」はその功績、ひいてはアイヌ文化そのものを伝える場として、これからも歩み続けることでしょう。尊くきらめくしずくが降りそそぐ、そのまわりで。
(加藤綾)
参考
知里幸惠編訳(1978)『アイヌ神謡集』岩波文庫
丸山隆司(2002)『〈アイヌ学〉の誕生 金田一と知里と』彩流社
北海道文学館編(2003)『知里幸恵「アイヌ神謡集」への道』東京書籍
知里幸恵 銀のしずく記念館
https://www.ginnoshizuku.com/
※12月20日~2月末日まで冬期休館となりますのでご注意ください。
知里幸恵ノート | 北方資料デジタルライブラリー
https://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/da/detail?libno=11&data_id=100-43197-0/
「知里幸恵ノート」の原本は北海道立図書館に所蔵されており、デジタルライブラリーにて閲覧が可能です。