8)感じたものを伝える意思、受けいれる環境
「華雪さんが朗読を聞いて書かれたというのは、古川さんの声に反応したのでしょうか? それとも、物語に出てくるひとの声ですか?」と、最初の質問者が訊ねた。
小説の朗読にインスパイアされるといっても、文章のすべてを書き留めるわけではない。自分の心に留まる言葉を抽出し、それを文字に変換する行程を華雪は説明した。
「書きながら誰の声を書いているのか考えていたんですが、結果的に、物語のなかにいるひとの声に反応していたんだと思いました。だから冒頭部分で問いかける言葉、いちばん強いメッセージである「か!」を書こうと思ったんです。「か」を拾うことで、(物語の人物が)言いたいことを拾えるんじゃないかと思ったんですね。だから、きっとそれは古川さんじゃない声なんです。(古川の存在は)媒体でしかないんです。しかも実際古川さんはわたしからは見えないところにいた。もし古川さんが見えていたら、もっと違うものを書いていたと思います。声しか聞こえないから、もしかしたら古川さんじゃないひとが……そんなことあり得ないけれど」。
やがて古川と華雪の指示を受け、セッションで「声を聞いた」と「字を見ていた」のどちらにより意識を向けていたかで、受講者は2つのグループに分かれた。
「声」のグループに入ったひとりが発言した。
「声を聞いているけど、いちおう書かれているのも見たいと思い、立って見てました。朗読だけなら目をつぶってもいいわけですが、目も動いているから情報量が多すぎる。朗読する古川さんがいて、書いている華雪さんがいて、聞いているみんなの気配やカメラで撮っている音とかもある。自分のなかの情報量が多すぎる状況で、物語にいるひとがしゃべっていることもわかるし、書かれてる何かも感じられる。そうなったとき、ぼんやりしたものが自分をすぅっと通過しているという感じなんです。それで思ったのは、何かが通過するってことは、通過する自分がいるからじゃないか、ここにいる自分が浮かびあがっているじゃないかと」。
一方、「字」のグループの別の受講者は異なる経験をしていた。
「書ができるまで集中して見ていて、わたしには華雪さんがゴーストライトだなと思えました。(朗読の声の)低音がかなり響いてきていて、その音を楽譜的に書に表すっていう印象があった。最後の「あ」という言葉に導かれて、落とし込んでいくような流れです。ゴーストライトといっても、声に忠実ということではなく、反発もするゴーストライトです」。
作り手が送り出したものに対し、受け手が心に留めるものは一様でない。だが大事なのは、違うことを否定せず、他人の目も気にせず、自分の感じたものを伝えようする意思と、それを受けいれる環境である。古川と華雪、そして受講者を交えたセッションは、その萌芽が育つのを感じさせる。