9)言葉にならないものを言葉にすること
古川と華雪を含め、居合わせた人間の胸にさまざまなものが去来し、それぞれに思いを伝えようとするなか、言葉にならないものをどう言葉にするか、そのプロセスとは逆のパターンを見た気がする、という意見が受講者のなかから出た。
一般的に自分たちが感じたり、思ったりすることは、言葉があってこそ存在すると考えられがちだ。たしかに感情や思考のアウトプットは、そのとき、その場で心に宿ったことを確認させる。
しかし一方で、いまだ表出されず留まる存在もある。たとえば、『女たち三百人の裏切りの書』を読んだ時点で、もやもやした気持ちになった人間がいたとすれば、このワークショップを通じて普段の逆パターン、つまり自身の思いの足跡を辿る追体験になったのではないか。
朗読の最中に、ドラミングのように胸を叩く動作で感情表現した古川は、同じアクションをしたうえでその意見に応じた。
「自分の朗読では、ボディ・パーカッションみたいなことは絶対にしない。書くにしろ、話すにしろ、やっぱりその前の段階ってまだ文字になっていない気がする。それをどうかたちにするかって話です。
なんで福島でこんなことをやっているのかというと、ひとって何かしゃべってもらいたいと言われても、しゃべりたいことがつかめないからしゃべれないんだよね。マスメディアなんかは、こういうことでしょって誘導するから、ステレオタイプなものにしかならない。なんだかわかんないものを出そうとしている、それを了解してもらえたら、自分の言葉をしゃべれるのかなと思う」。
傍らにいる華雪は、この話題に書家としての見解を示す。
「何かいろいろ言いたいことはあるけれど、それらを収斂させて漢字一文字にシンボライズして書くことで、わたしはこれまで表現をしてきました。言葉になること、ならないことがごちゃ混ぜにあるなかから、それらを串刺すような漢字一文字を探して、その字のどういう意味をつかまえたいと思っているのか、それを確かめながら書く。でも書きあげたとき、やっぱり言葉にできなかったものは残る、それにコンプレックスを抱いていたんです。表現物をつくっているのに、説明しきれないのはだめじゃないのかと思った時期がありました。
でも、3月11日のことがあって、言葉にならないことがあるのを、自分ではっきりわかったんです。それをわかったうえで、漢字一文字で書くということに意味がある気がして。すごく不思議な表現方法だと思ったんですね」。
「言葉になる以前のものが、この場で生じたとしたら、それが存在することをぴりぴりと感じられたとしたら、とても大事な体験のような気がします」と、華雪の話を受け古川は話した。そしてこのセッションの翌日、震災により“言葉を失った”自身の経験と、それが「ただようまなびや」設立に至ったいきさつを語った。
1日目(2015年11月28日)の他のプログラム
文:新元良一
文筆家、京都造形芸術大学教授。1984年に渡米、22年間のニューヨーク在住後、2006年に帰国。ニューヨーク在住中より、「新潮」「文學界」「小説現代」「ダ・ヴィンチ」「本の雑誌」などに、小説創作、文芸翻訳、評論、エッセイ、インタビュー記事を寄稿。2014年4月より1年間、NHKラジオ「英語で読む村上春樹」に出演。著書に、長編小説『あの空を探して』(文藝春秋)、対談集『翻訳文学ブックカフェ』(本の雑誌社)、インタビュー集『One author, One book~同時代文学の語り部たち』(本の雑誌社)など。
写真:大森克己
写真家。1994年、第3回写真新世紀優秀賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表。2013年東京都写真美術館でのグループ展「路上から世界を変えていく」に参加。2014にはMEM での個展「sounds and things」、PARIS PHOTO 2014 への出展など精力的に活動を行っている。主な写真集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』(マッチアンドカンパニー)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。
編集:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。最新刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。