3)きれいな字とは それぞれの「ヴォイス」
3人のディスカッションで興味を引いたトピックに、書家の華雪が取り上げた字の「きれい」の問題がある。
字にしろ、容姿、ファッション、アートにしろ、「きれい」の判断基準を我々は他者がつくった既存のもの、社会で流通しているものに頼りがちである。だが何が自分にとって「きれい」なのか、価値があるのかは、それとは別のところから来ているのを、幼いころ、書の先生から指導を受けた華雪の経験が伝える。
「先生がわたしの筆を、後ろから持つんですよ。書いているのはわたしだけれど、筆を持つ先生にも書くリズムがある。時々先生とわたしのリズムがずれるときがあって、そうするとぐって引っぱられる。その全然違うリズムにわたしはものすごくびっくりしたんです。同じものを書いているのに、わたしとは違うリズムのひとがいるんだと、はっきり認識したんです。おそらくこの認識はすごく大事なことで、わたしと違うリズム、ここでいうとヴォイスがある、生きている。みんな違う。小説もそうでしょうが、書もすごくフィジカルなものを持っています。
わたしがやっているワークショップで、「美しい字」「きれいな字」とは何ですかということを、もっぱらテーマにしているんです。そう問いかけるとみんなけっこう言葉に詰まるんです。「美しい字」って具体的にどんなものをイメージしているかって聞くと、ああ、それはちょっと……と出てこない。でも、自分の字は嫌いとおっしゃる方がすごく多くいる。
きれいな字というのは、実はけっこう理屈に則って書かれている。つまり人工的に設計されているので、ポイントをつかんで練習すれば誰でもある程度書けるようになる。均等、垂直、平衡といったバランスを整えて書けばきれいに見える。
たとえば活字ができる以前、多くの人々にとって、良い、「きれいな字」の感覚は今とは異なっていました。話は中国の大昔の時代まで遡ります。当時大流行した書があって、みんながその字を真似た。今、書を知らないひとにその字を見せると、すごい歪んでいますねという感想が出てくる。
この話を知って考えたのは、人間は身体そのものが歪んでいる。歪んでいる身体が字に出るんですよ。その字から、そのひとを感じる。つまり昔良いとされていた字は、書いたひとの何らかを感じさせるかどうかで評価されたんです」。