アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#36
2015.12

生きやすい世界をつくるためのアート

前編 関係づけて、「保存と活用」するということ
1)初期の仕事、アトリエから

アトリエに入ると、何に目をやったらいいのか、途方にくれた。たいそう広いうえに、メリハリがないのだ。言い換えれば、さまざまなものが入り交じり、どれも等価な存在としてある。陶器や石器の作品も、使われることのなかった家庭の引き出物の皿も、アフリカの呪物も、海辺で拾ったガラクタも。

——いろんな意味の連鎖で雑然としてるけど、自分にとっては雑然ではないんだよね。意味と文脈がルートでつながっている。整理してしまうと、関係がつけにくくなるところもあるな。

松井さんに案内してもらいながら、初期の仕事を見ていきたい。

■月の骨

「意味のある雑然」とした世界に、穴が網の目のように開いたオブジェがところどころに、無造作に置いてある。「月の骨」というロマンチックな名前で、よく見るとかたちを保つぎりぎりまで穴を開けてあるのがわかる。残されたかたちはこのオブジェの骨格のようでもあり、内と外の区別がなくなった状態のようにも見える。

——『月の骨』っていうのはジョナサン・キャロルの小説のタイトルやったんよな。その小説にはまってて、月の骨ってええなって思ってて。穴を開けることで球体がどんどん蝕ばまれていって、最後に残るものでしょ。
焼きものは空洞なんですけど、その空洞は外から見えないから、見えるようにしようと思ったの。どんどん穴を開けていくと自然と網の目になっていくんやけど、そうしたとたんに、今度はなかの空洞が見えなくなって、空間とそれを成り立たせてるボディが一体になる。だからボディがメインなのか、空間がメインなのかわからなくなる。その境界まで穴を開けてる。

松井さんは陶芸家としてキャリアを始めたのち、あることをきっかけに10年ほど土をさわらなかった時期があった。その復帰第一作がこの《月の骨》だった。
IMG_5532

■たこつぼ

仕切りの一角に積み上げられている「たこつぼ」。1998年ごろ、讃岐に1軒だけ残る製造所を知ったことから、たこつぼを扱うプロジェクトを始めたのだった。ここにあるのは「藤原たこつぼ製造所」でたこを取るために製造された、弥生時代からつづく漁の道具である。
数年前の松井さんは、肩書きに「たこつぼ研究家」とつけられるくらい、たこつぼで展開するプロジェクトを多数手がけていた。

——たこつぼは弥生時代から連綿と続く日本の土器文化であって、2,500年変わらない超ロングライフの道具。もはや瀬戸内で一軒しか製造してるところがなくて、ここがなくなってしまったら残らない。でも、たとえものがつくられなくなったとしても、言葉で残せると思ったんです。

その「残し方」はとてもユニークだ。藤原さんのたこつぼを毎年大量に購入し続ける一方で、つくり方を習って、学生とともにたこつぼを自分たちもつくる。それらを使ってじっさいにたこ漁をする。さらには移動式の「無人販売所」をつくり、農村などで売る、あるいは交換をする。炊飯器やお茶入れにするなど、別の使い方を考える。おおらかでいかにも楽しそうだが、松井さんは大真面目である。

* 2012年、藤原たこつぼ製造所は三代目藤原俊男さんが亡くなり閉鎖された。

IMG_5529

藤原たこつぼ製造所で購入したたこつぼ。黒天目、飴、素焼き3種が焼かれていた / 無駄のない美しいかたち 撮影:表 恒匡(下のみ)

藤原たこつぼ製造所で購入したたこつぼ。黒天目、飴、素焼き3種が焼かれていた / 無駄のない美しいかたち 撮影:表 恒匡(下のみ)

■パナリ焼

——日本で土器がつくられ始めたのは1万5千年前ともいわれ、世界のなかでも最も早いんだよ。

たこつぼをきっかけに、研究を続ける土器の話になると、松井さんは「パナリ焼」の話を始めた。パナリ焼とは、18世紀末か19世紀初頭まで、沖縄の新城島でつくられてきた素朴な土器をいう。「日本最後の土器文化」とされながら、製造方法は不明なままだった。2000年に入ったころから、松井さんは島に行き、さまざまな調査を始めた。試行錯誤を繰り返しながら、失われた土器を復元したのである。

——パナリ焼はいつ、誰が、どのように始めたのかわからないんですよ。文献も残ってないし、研究者もいない。これまで復元を試みた数人の聞き取りをしたり、資料を見たりしながら、その始原を想像することはすごく面白い。それを再現する過程で、いろんな新しいことが発見できる。パナリ焼を通して芸術の始原に立ち会っている気がする。そこで考古学がつながってきたりするんです。

panari_1

■ 《Tempo azzurro》(青の時)

雑多ななかで、その佇まいでひときわ目を惹きつけるものがある。目に心地よい、美しいかたちの壺だ。雑味がなく、いい意味で手の跡を感じさせないフォルムの表面には、細かな数字がびっしりと青で象嵌(ぞうがん))されている。

——数字って、どこでも通じるでしょ。

1から始めた通し番号を手書きで彫り込むシリーズ作品だが、今では6桁の数になったという。あたりを見回すと、シリーズの他作品が上下を合わせて積み重ねてあったりもする。既成の壺やビンのかたちを組み合わせてつなぎ、新しい世界を築いていく試みでもある。もの同士のつながりと、数字の連なりを無限に続けることもできる。IMG_5490

IMG_5492

たこつぼやパナリ焼のような、太古から続いてきた土器文化をいかに現代に残し、伝えるか。あるいは、器やオブジェを通して、常識を取りはらった世界のありようをどう見せ、つなげるか。
初期の仕事を見て回っただけでも、スケールの大きさ、幅の広さが伝わってくる。そしてなぜか、とても元気になってくるのだ。
ユニークでポジティブな発想と制作の源は、いったいどこにあるのだろうか。