2)店と市と 2つで伝える
自分たちがおいしいと思うものを、つくり手から消費者にわたす。
青木嗣さんと裕子さんは、出店者やお客との信頼関係を築きながら、時間をかけて、そのことを淡々とやってきた。店のホームページやSNSなどで特に謳ってはいないけれど、万年青で扱う素材は基本的にオーガニックや無農薬、減農薬のものである。オモテ市で扱うものも同様だ。店と市を始めた7年前は、まだオーガニックは特殊という空気が一般的で、オーガニックを主体とするマーケットは京都にも、また全国的にも少なかった。
食をめぐるオモテ市の取り組みを、宣伝担当でもある裕子さんに伺ってみた。そもそも、店をオープンしてまもない時期に、市を始めたのはなぜだったのだろう。
———メニューにオーガニック使ってます、安全な食材使ってますとか書かないようにしていたんですね。押しつけるのは嫌だし、文章もへたくそなので。でも、とにかく見て食べて匂いをかいで実体験してもらう場、直に材料を見てもらう機会がお店以外にもほしかったんです。たくさん生産者の方がいらっしゃるから、店の営業以外でもご紹介したいと思いました。
素材がオーガニックや無農薬であるのは、ふたりにとってはふつうのことだ。嗣さんの出身である高知では、ごくあたりまえにそうした食べものがまわりにあった。しかし、オーガニックであることは、受け取るひとによってかなり幅がある。一般的な文言だけでは、その振れ幅に対応することは難しい。
———オーガニックとか安心安全を謳わないで、それをどうわかってもらえるかと考えたときに、マーケットだなって思ったんです。うちとかかわりがある方を中心にマーケットやることによって、うちの食材がこういうもの使っているとわかっていただけるよう、宣伝の代わりにやることにしたんです。うちでは、安心安全をどうあらわすかというと「おいしい」なんですね。それをまずは食べてもらって、と。
店のありかたと想いを伝える「手立て」としての市。
市があることで、店はより広がりを持ちながら発信できる。だから、店を開けてまもないころに市を始めたのは自然ななりゆきだったともいえるだろう。
とはいえ、初めての市を開くにあたっては、友人たちの存在も大きかった。
———「さあやろう!」って言ってくださったのは静原のレストラン「millet」の(隈岡)樹里ちゃんなんです。ちょうど、石窯で焼いたパンや、自分たちで育てたお野菜を、まちなかで販売する先を探しておられたんですね。「それなら、うちの前でよければちょっとしたスペースもあるし、あそこでどうですか?」って声をかけたんです。じゃあどうしようかっていろんなことを整理しながら話していたら、「とりあえず(マーケットの)第1回目をやってみいひん?」って言ってくれて。やってみたらいろいろ問題も出てくるだろうし、まずスタートする、そして継続することのほうが大事なんじゃないかって。
とりあえず小さなチラシをつくって告知したぐらいで、第1回目をやってみたんです。
考える前にえいや、っとスタートしたのだった。
場所は店の前にあるスペース、つまり「オモテ」で、嗣さんの出身地である高知の干物を置いて、あとは八百屋にパン屋2店ほど。最初のうちは当然、お客は集まらない。「暇で暇で。暇なときはマッサージしあいっこしてました」というくらいだったが、そこから自分たちが納得できる市のありかたを探る日々がはじまった。いつ、誰の、何を、どのように。市の形態から内容まで、あれこれ試してみるなかで、毎月25日と日にちを固定し、市のスペースを店内にも拡げ、出店は10から12、13店ほどと、次第にかたちができあがってきた。
そのなかでただひとつ、始めるにあたって決めたことがある。
———お客が1人でも来てくれるなら続けようと最初に決めたんです。雨が降っても雪が降っても、(商品の)量を減らせばいいだけだから。意地でも続けてるんです(笑)。
裕子さんと嗣さんは、そのことをずっと守り続けている。実際、台風が来てもコロナ禍にあっても、オモテ市を中止したことは一度もない。市は店の責任で開催するが、定番的な出店者や常連さんをはじめ、さまざまなひとがかかわることでもある。コロナ禍での開催についてはずいぶん迷いながら、「やはり食は大事」というところに行き着いた。規模を縮小しての開催だが、市の空気からも、良い食べもの、すこやかなおいしさを伝えたいという揺るぎない想いが伝わってくる。