7)タイルに込めた創造性を受け継ぐということ
ここで取り上げた5つの建物は、社交場、かつてホテルだった教育施設、旅館、銭湯、喫茶店と、使われ方は多種多様。泰山タイルの使われ方にも多様性があったが、一方で、タイルが使われた空間にはどこか凛とした空気が流れているようだった。
先にも書いた通り、泰山製陶所は、明治期に陶器からの移行で模索された一点物の美術タイルから、戦後に大きく受容されていく建材としてのタイルとの過渡期に、美術と建材の双方の性格を持ち得る「タイル」という素材の可能性を追求した。進々堂京大北門前の川口さんが述べる利便性に優れた素材を用いた、美的優位性の追求は、多くのひとを惹きつけたのだろう。京都を超えてさまざまなところにその仕事が届けられた理由はその点にあるはずだ。
いわばタイルは、社交や晴れの舞台といった非日常のみならず、生活空間の日常においても、都市に生きるわたしたちの生活に彩りをもたらしてきた。
考えてみれば、現在の建物のなかでこれほど特殊な使われ方をする素材はないだろう。庶民が日常使うような場所を装飾するための素材によって、海外から来る要人をもてなす場所の顔をつくる、そんな素材はいまほとんど見ることができなくなっている。「便利である」という一点によってタイルはある時期から新建材に取って代わられてしまったが、そこで失われたものは少なくない。
そこで失われたもののひとつは、先人がタイルに込めた創造性とも言うべきものだろう。綿業会館のタイルタペストリーで試みられた5種のタイルに驚くべき多様性をつくりだしたことも、甲子園ホテルのバーにリサイクルされたタイルを用いたことも、別府湯に飾られた乱形のタイルを組み合わせたタイル絵も、それぞれタイルを使っていかに空間を彩っていくのかに関する、創造性の舞台となってきた。
きんせ旅館の取材帰り、島原界隈を歩いていると3階建ての近代的な町家に改造されたタバコ屋の前を通りがかった。タバコ屋の店主は、床壁にあしらわれたタイルを見ながら、「これうちの父が当時改築したんや。考え方が進んでいて、本当にハイカラなひとだった」と聞かせてくれた。伝統的な町家を活かしながらも一面のタイル貼りに西洋化の息吹を感じる。このまちの風景を自分たちの手でつくっていく、名も知れぬさまざまな先人たちの気概と努力が透けて見えるようでもある。
そうした思いを引き継ごうと、困難さを抱えながらも強い気持ちを持って維持管理する方々の姿もまた印象的だった。彼らがタイルを残そうとしているのは、現在その価値が見直されているからでも、単に貴重だからというだけでなく、先人の創造性が詰まった対象だからなのではないかと感じた。タイルをつくったひと、タイルを依頼したひと、タイルのある風景を生きるひと、そしてタイルを守るひと、時代を超えてタイルに関わる様々なひとの思いがある。
ただ、もちろん現実的には何もしなければ消えていく運命にあるのがタイルでもある。施工や維持管理の容易な新建材の発達によって、日本のなかでタイルは必ずしも「合理的」な選択肢ではなくなったことは動かし得ない事実だ。現在タイルが愛好の対象となっているのは、タイルが「珍しいもの」になっているという理由もあるのだろう。
一方で、そんな「もの珍しい」古今東西のタイルを収集しアーカイブすることで、まちにも還元していく動きもある。それは先人がタイルという素材と格闘してきた、創造性の数々を記録しておく取り組みでもある。
後編ではそのような取り組みを取り上げたいと思い、タイルの一大生産地である岐阜県多治見を訪ねた。タイルの流通消費地であった京阪神にて、タイルがいかに使われてきたのか、を見てきた本編。一方で、タイル産業そのものとともに歩んできた多治見では、2016年に「多治見モザイクタイルミュージアム」が開館予定だ。なぜタイルのミュージアムをつくることになったのか、どのような取組みをしているのか、タイルをいかに残し伝えていくか、その取組みを取材した。